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元巨人、西武・三浦貴「有限会社エース」/引退後記

 日刊スポーツ野球コラムに浦学OBで元プロ野球選手(巨人~西武)の三浦貴さんのことが掲載されています。

◇三浦貴(みうら・たか)

 1978年(昭53)5月21日生まれ。埼玉県出身。浦和学院、東洋大を経て00年ドラフト3位で巨人入団。1年目から開幕1軍入りし、中継ぎ投手として 49試合に登板。03年、原監督の薦めもあり野手転向。同年9月15日には中日平井からプロ初本塁打。07年戦力外通告を受け、トライアウト受験後、西武 に入団。09年10月7日のシーズン最終戦に先発出場も、翌日に戦力外通告。再びトライアウト受験も獲得球団なく現役引退。投手として通算52試合に登板 し3勝2敗0セーブ、防御率3・56。野手としては82試合に出場。打撃通算は打率1割9分3厘、1本塁打、5打点。背番号は39、54、53。181セ ンチ、80キロ。右投げ右打ち。

 ユニホーム姿を最後に見てから1年もたっていない。三浦さんを新人時代から知る仲は、世間話を許され る。3人目の子どもが3月18日に誕生。「また女の子。3姉妹です」と、笑顔は現役時代と変わらない。だが着ているのは作業着。表情は野性味を増してい た。埼玉・川越市「有限会社エース」の応接室で昔話に花を…とはいかなかった。時間が、ない。

 西武に移籍した2年目の09年10月7日 のシーズン最終戦、三浦さんは先発メンバーで試合に出場していた。日本ハム戦(札幌ドーム)で6番一塁。途中から守備は三塁を守り、最終回の4打席目には 左前打を放っている。すでに4位が決定している状況で、来季を見据えたオーダーを並べてもおかしくない。だが翌8日、札幌から空路帰京する前、マネジャー から東京プリンスホテルへ向かうよう伝えられる。

 経験した者ならすぐに戦力外通告と理解できる。「10年はやりたかったんで。トライア ウトは受ける前に1回目でダメならスパッとあきらめようと」。韓国球界から声がかかったが、日本のプロ球団からはオファーはなかった。「31歳だし、子ど もも小学生になってすぐ。独り身ならもがいていたかもしれない。仕事しないと始まらないですから」と決心。母校の恩師へ引退のあいさつ回りに入った。

 夢があった。指導者になること。高校時代にも指導を受けた浦和学院・森監督に告げると「教職取って、ウチ来るか」だった。母校で夢が実現できるかも知れな い。だが大学の2部に通いながら働くには、時間の制約が生まれる。「内定をいただいた企業もあったんですが、どうしても夜8時ぐらいになってしまう。(教 職の)通信教育だと時間がかかる」。残業は出来ない。

 また母校が救う。自宅から遠くない運送業を営む有限会社エースの社長が、東洋大硬 式野球部の先輩だった。「車も嫌いじゃないし、お願いしました」。車といっても、運転するのは4トントラックだ。ホンダの工場に車の部品を運び、下ろす。 倉庫と工場の往復は計9回に及ぶ。エンジンなど数百キロに達する物もある。必要なのはフォークリフト。5日間で免許を取った。東洋大2部に通う土台が出来た。

 三浦さんのタイムスケジュールはタイトだ。

 午前6時前 出社、出発
 同6時20分 部品を下ろすなど、倉庫と工場の往復9回
 午後3時 帰社
 同4時 帰宅
 同5時 大学へ出発
 同6時10分 講義
 同8時30分 講義終了
 同10時 帰宅
 午前0時 就寝

 週5日、寝る時間を惜しんで夢へと突き進んでいる。土曜日には会社の軟式野球チームの練習にも参加。日曜日は家族との時間を楽しむ。「しんどいとは思わな い。やらされているのではないし、先生になるために学校に行っている。飯を食べるための仕事。睡眠は少ないけど充実しています」。フルスイングだ。

 プロ野球界を振り返って、今どう思うか。「離れてみて、やっぱりすごいんだなと。職場でも野球の好きな人がいますけど、ファンの声をあまり聞いてなかっ た。プロ野球は特別な世界だったんだなと思います」。後悔はないという。「いつまでもウジウジしているのも嫌だったし、いつかは自分で決めなければいけな いことだったんで」。現役の後輩たちには「悔いのないようにやってほしい」と話した。

 夢はでかい。「高校野球の指導者になって全国優 勝。母校を采配(さいはい)して埼玉県初の全国制覇ですね」と目を輝かせる。指導者像は―。「高校生って1番伸びる時期。その3年間はすごく野球人生の中 で大きなウエートを占めてる。うまくなったら大学とかプロとか、いろんなことがある。3年間野球をやって、すごいしんどいと思う。それをその後の人生に生 かせばいいと思う。教えるのは監督でもやるのは選手。自分で考えられる選手を育てたい」。

 4トントラックの助手席にお邪魔した。見下ろ すような車高は初めての感覚だった。駐車場に戻した後、マイカーで川越駅まで送ってくれた。わずかな時間で、また子どもの話に戻る。現役時代、酩酊(めい てい)した私の背中を押しながら階段を上がってくれたことを思い出す。大きくシフトチェンジしたように見える今も、飾らぬ笑顔は変わらない。三浦貴は、ま たグラウンドに帰ってくる。

http://www5.nikkansports.com/baseball/imai/96051.html

(日刊スポーツ・野球コラムより)

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