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浦和学院の親子鷹が涙/埼玉大会

<高校野球埼玉大会:花咲徳栄6-2浦和学院>◇26日◇準決勝

 親子鷹の夢が終わった。浦和学院・森士(おさむ)監督(47)の次男光司捕手(3年)が2度盗塁を刺すなど守備で魅せたが、3点を追う7回2死満塁の好機で凡退。チームも14安打を放ちながら2得点の拙攻で敗れた。

 兄の大(20=早大3年)は同校で08年大会の優勝投手。昨夜電話で「悔いを残さず思い切りやれ」と激励されたという。父と兄が果たした甲子園出場に届かず「約束を果たせなかった」と涙を流したが、「(監督は)子供ではなく1人の選手として見てくれた。感謝している」。

(日刊スポーツ)

◇「親子鷹」夢途切れる

 「もう一度甲子園出場を決めておやじを男にしたかった」。浦和学院の森光司捕手(3年)は大粒の涙を流した。同校の森士(おさむ)監督の次男。4点を追う九回一死一、二塁で右前打を放ち、逆転の希望をつないだ。しかし、味方の走塁死と後続の三振で「親子鷹(だか)」の夢はついえた。

 3歳年上の兄大(だい)さん(20)は同校の投手として甲子園に出場し、今は早大野球部で活躍している。自身も父と兄と同じ野球の道を選び、グラウンドでは父を「先生」と呼んだ。他の選手と比べて自分への指導が厳しいと感じることもあったが、母志奈子さん(50)に「自分が浦学を選んだのでしょう」と励まされた。

 試合後、「野球のすべてを教えてもらった。本当に感謝している」と言えば、父は「3年間、よくついてきてくれた」とねぎらった。

(読売新聞埼玉版)

◇父を甲子園へ夢無念 浦和学院・森捕手

 7回表、1死一塁。「ここは絶対に走ってくる」。浦和学院の捕手森光司君(3年)は、データに基づいた予想通り、盗塁を試みた走者を刺し、打者を打ち取った。ベンチに戻ると、父親でもある森士監督とハイタッチした。

 次男として生まれた時には、すでに父は浦和学院の監督を務めていた。そんな背中を見て育ち、小学1年で野球を始めた。そのころには「浦和学院で野球をやる」と思っていたという。

 3歳上の兄は投手として活躍し、2008年の夏には、父を甲子園に連れて行った。当時、中学3年だった光司君は「俺もおやじを甲子園に連れて行きたい」と強く思ったという。

 「おい森」「はい、森先生」。あこがれの野球部に入ると親子ではなく、監督と選手として接するようになった。兄から聞いていたが、グラウンドの父は、家でくつろいでいる時とは別人だった。指導が厳しく、ハードな練習に励むこともあった。

 「ここで負けるんじゃないぞ。つらいのはお前だけじゃない」。つらい時、支えてくれたのは兄だった。「おやじは監督、俺は選手。だが、浦和学院はおれたち親子だけじゃなくて、仲間とみんなで一つのチームなんだ」

 厳しい練習に耐え、ようやく迎えた最後の大会。前夜、東京の大学で野球をしている兄に「絶対、勝つから」と電話で誓った。

 4点差をつけられていた9回裏、打席が回ってきた。「このチームで甲子園に行くんだ」。あきらめるつもりはなかった。振り抜いた打球は一、二塁間を抜けた。盛り上がるベンチを見ると、監督と目があった。うなずいているように見えた。

 父を甲子園に連れて行く夢はかなわなかった。「選手として、チームメートとともに監督に感謝しています」。最後の試合が終わり、グラウンドの親子は、もう選手と監督ではなくなった。

(朝日新聞埼玉版)

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