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【写真】インタビューに答える上武大・谷口監督=神宮(サンスポ)

 昭和62年度、第8期卒業生の谷口英規監督率いる上武大学が、全日本大学野球選手権に見事初優勝を果たし、日本一に輝いた。上武大学野球部には、本校野球部OBも多く進学している。谷口氏は、本校野球部が昭和61年、62年の夏の甲子園に出場した際のエース投手。昭和61年にベスト4進出した時の立役者である。

 浦和学院高校の日本一、卒業生の日本一。本校にとっても、浦学ふぁみり~にとっても、嬉しいビッグニュースである。谷口さん、おめでとうございます!

▽谷口英規氏
 北区桜田中→浦和学院高校→東洋大学→東芝→上武大学准教授、野球部監督。東芝時代にも日本一を経験、全日本の4番打者を務めた実績もある。

(浦和学院高校公式ホームページより)

◇上武大が初V!横田MVP 全日本大学野球

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【写真】優勝を決め、胴上げされる上武大・谷口監督=神宮球場(サンスポ)

 全日本大学野球選手権最終日は16日、神宮球場で決勝を行い、上武大(関甲新)が6-5で亜大(東都)を破り、3年連続12度目の出場で初の大学日本一を達成した。関甲新学生リーグ代表の優勝も初めて。11年ぶり5度目の頂点を目指した亜大は昨年に続いて準優勝に終わった。

 今大会4勝を挙げた上武大のエース左腕、横田哲が最高殊勲選手賞と最優秀投手賞に選ばれた。首位打者には12打数6安打の打率5割で、4強入りした明大の糸原健斗が輝いた。

 上武大は1-3の六回に1点を返し、さらに代打の清水が満塁本塁打を放って逆転。連投の横田は九回の亜大の反撃を2点に食い止めて逃げ切った。

▽谷口英規・上武大監督の話
 「本当にうれしい。就任当初のこととかを思い出した。清水の本塁打は予想していなかった。試合中はさすが亜大と思っていた。勉強するところはまだまだある」

(サンスポ)

◇報われた一振り 脇役が代打逆転満塁弾

 最後となった打者の飛球が二塁手のグラブに収まった。これを見届けた上武大の清水が、まっ先にベンチを飛び出して、完投勝ちの横田に飛びついた。

 1-3の六回。1点を返し、なお満塁と攻めて、代打の清水が打席へ。スタンドからの大声援も「聞こえなかった」と振り返った。集中力を高め、3球目の直球を左翼席へ。初優勝を手繰り寄せる逆転満塁本塁打。「次の打者につなげようと思っていただけ。自分が本塁打を打つなんて、思っていなかった」

 山梨・甲府工高では3年時に主将を務めたが、県大会決勝で敗れて甲子園出場はなし。大学でも1年秋からベンチ入りしているものの、内野の守備固めが主で、関甲新リーグで放った安打は最終学年で迎えた今春の1本だけ。「腐りかけた時期もあったが、諦めずにやってきてよかった」。苦労人の努力が最高の形で報われた。

 九回には亜大の反撃に遭い、最後は1点差の辛勝。エースが好投し、脇役の決勝弾で得た栄冠。谷口監督は「今は何も考えられない。うれしいという言葉だけです」。こう話して目が真っ赤になった。

(時事通信)

◇上武大 OBにオリ安達、ロッテ加藤ら

 群馬県伊勢崎市にある私立大学で1968年創立。ビジネス情報学部、経営情報学部などがある。野球部は関甲新学生野球連盟に所属し、リーグ戦優勝23回。大学選手権は今回が12回目の出場。明治神宮大会には4回出場。部員数は161人。主なOBにDeNA菊地、加賀、井納、中日松井雅、オリックス安達、ロッテ加藤ら。谷口英規監督は浦和学院、東洋大、東芝で活躍。00年に監督に就任した。

(日刊スポーツ)

— 6月17日追記 —

◇上武大V「歴史作った」

 第62回全日本大学野球選手権大会(全日本大学野球連盟、読売新聞社主催)の決勝が16日、東京・神宮球場で行われ、上武大が亜細亜大に6-5で逆転勝ちし、3年連続12回目の出場で初優勝を飾った。関甲新学生野球連盟の出場校の優勝も初めて。高校時代、甲子園出場経験者の少ない“雑草集団”が東京六大学や東都リーグの代表を撃破しての快挙達成に球場は大いに沸いた。

 上武大は初回に1点を先制したものの、すぐに逆転され、その後も劣勢が続いたが、ドラマは六回に起きた。

 四死球などで作った満塁のチャンス。谷口英規監督に「左投手が得意」と代打に送り出された清水和馬選手(4年)が逆転満塁本塁打を左翼席にたたき込み、6-3と試合をひっくり返した。

 投げては準決勝に続いてエース横田哲投手(4年)が164球の熱投。最終回には2本の長打で2点を失い、1点差に詰め寄られたが最後の打者を打ち取ると、両腕を高々と上げ、喜びを表現した。

 就任14年目で日本一に導いた谷口監督は熊本県出身。埼玉県の強豪・浦和学院で2年時に夏の甲子園で4強入り。東洋大、社会人野球を経て2000年に上武大監督に就任。当時は無名のため、高校にスカウトに行っても名刺を受け取ってもらえないこともあった。「(会話が)『上武大ってどこにあるの』から始まった」と振り返る。

 学生の自主性を重んじる指導方針が実り、全国大会の常連になった。今は学生たちが自分で練習メニューを考えるようになり、部員も161人に増えた。谷口監督は「粘って集めたやんちゃな学生たちが大学野球の聖地で結果を出せた」と涙ぐんだ。

 逆転本塁打の清水選手は「上武大の歴史を作れて良かった」と笑顔。優勝旗を受け取った小川裕生主将(4年)は「強豪校の明治大や亜細亜大に勝って日本一の目標を達成でき、うれしい。迷惑をかけてばかりの主将についてきてくれてありがとうと言いたい」と語った。

(読売新聞)

◇上武大が初日本一 公式戦1安打男が代打逆転満弾

 上武大が亜大を6-5で下し、3年連続12度目の出場で初優勝を飾った。関甲新学生野球連盟に所属する大学の優勝も初めて。初の全国制覇。胴上げされ、3度宙を舞った谷口監督は涙を流した。

 「本当に信じられない。就任当初からのOBの顔も浮かんできて…。うれしいですね」。2点を追う6回、1点を返し、なおも1死満塁。谷口監督は清水を代打に送った。指揮官の東洋大時代の同期が、阪神の桧山。清水は「代打の神様」のように逆転満塁弾を放った。「公式戦2本目のヒットが初本塁打。何が起きたのか分からなかった。やってきたことが報われてうれしい」。今春リーグ戦で公式戦初安打。普段は主力選手の練習をサポートする4年生だ。自主練習では日付が替わるまでバットを振り込んだ。努力は報われた。

 長い道のりだった。谷口監督が就任した00年。野球部は荒れていた。バイクを乗り回し、練習をさぼってはたばこをふかし、茶髪の選手もいた。「やんちゃばかりで、スクールウォーズみたいな感じ。警察の方にもお世話になったし、毎日のように選手とケンカをする夢を見ていた」

 周囲の見る目は当然、冷たい。強豪高校へスカウト活動に訪れれば、名刺を投げ返されたこともあった。だが、真正面から選手と向き合い、徹底的に対話した。私生活から見直し、礼儀やあいさつの大切さを説いた。

 就任から13年がたち、全国大会の常連にした。選手の生活習慣もスクールウォーズ時代とは違う。昨年12月。161人の部員たちは今春の徳之島キャンプの費用をバイトで稼いだ。「建設現場でペンキ塗りとか。親に迷惑を掛けて野球を続けられていることが分かった」と小川主将。選手たちの模範的存在が清水であり、谷口監督は「この子が打てなかったら諦めもつく」と打席に送ると、奇跡が起こった。

 地方リーグの代表が全国の舞台で準決勝で明大を、決勝で亜大をいずれも1点差で下した。谷口監督が掲げる「心の強さ」を選手たちが実践し、日本一にたどり着いた。

◆谷口英規(たにぐち・ひでのり)1969年(昭44)7月20日、熊本県生まれの43歳。浦和学院では西武、ヤクルトで活躍した鈴木健と同期で左腕エースとして2年夏、3年夏に甲子園出場。東洋大3年時に投手から野手に転向。東芝では93年の都市対抗野球で日本石油の補強選手として6本塁打で優勝に貢献し、橋戸賞を獲得。日本代表にも選出された。00年に上武大野球部監督に就任した。同大ではビジネス情報学部スポーツマネジメント学科の准教授も務める。

(スポニチ)

◇大学時代恩師 東洋大・高橋監督「俺に勝ったら認める」

 上武大・谷口監督の東洋大時代の恩師・高橋昭雄監督が、教え子を祝福した。

 今春センバツで優勝した浦和学院・森士(おさむ)監督に続く日本一に「よく頑張った。立派だった。でもまだまだ。今度は俺と決勝でやって勝ったら認めてあげるよ」と笑った。同大会を4度制しているが、現在は東都2部だけに「俺も頑張らないとね」と刺激を受けた様子だった。

▽阪神・桧山(大学時代同期) 昔から熱心なやつでね。選手権に出てきても(母校の)東洋に負けたりということもあったけど、花が咲いてよかった。今と昔では学生の気質も違うし、アマチュアを教えるのは大変だと思う。

▽DeNA・加賀(上武大OB) 自分たちのときも谷口監督の下で大学日本一を目標にしていたので、後輩たちがかなえてくれて本当にうれしい。DeNAにいるOB3人(あと菊地、井納)もしっかりして、プロに入ってもやれるんだというところを見せたい。

(スポニチ)

◇全日本大学野球選手権で初優勝した上武大監督・谷口英規さん

 胴上げで3度宙を舞い「就任当初のこととかを思い出して…」と思わず男泣きした。それでも記者会見場では「(卒業生に)いつか胸を張って上武大OBだと言えるようにしてやると話していた。約束を果たせた」と表情は晴れやかだった。

 子供のころはぜんそく持ちで、体を鍛えようと父の勧めで小学5年から野球を始めた。強豪の埼玉・浦和学院高では左腕投手。甲子園大会を2度経験した。東洋大では肩の故障もあって野手に転向。卒業後は東芝に進み、補強選手で出場した1993年の都市対抗大会で最優秀選手へ贈られる橋戸賞に輝いた。

 退部後は半導体の営業を担当した。得意先の近くに東洋大のグラウンドがあり、頻繁に顔を出した。野球から離れたことで思いが強くなり、恩師の高橋昭雄監督に上武大の話を持ち掛けられて迷わず引き受け、2000年に監督に就任した。

 当初は自身の学生時代のようにやんちゃな選手が多く「毎晩、選手とけんかをする夢を見た」。教えたのは心の強さ。サラリーマンになって書類の書き方も分からず、力不足を痛感した経験を踏まえ「挫折と負けを重ねなさい」と繰り返した。

 部員の勧誘で高校を回った際、知名度の低さもあってか名刺を投げ返されたこともあったが、諦めずに何度も通ったという。今や全国大会の常連になり、160人いる部員の練習は朝8時から夜10時まで及ぶ。趣味はゴルフだが「今は野球が趣味です」と笑う。家族は妻と中学1年の長女。43歳。熊本県出身。

(埼玉新聞)

◇谷口英規監督(43)上武大 初の大学野球日本一に

 全日本大学野球選手権で上武大を初の日本一に導いた。「就任当初のいろんなことを思い出した」。監督就任14年目の悲願達成の瞬間、これまでの教え子の顔が浮かび、涙をこらえきれなかった。

 野球選手としてエリートコースを歩んできた。浦和学院高の2年時は、エースとして鈴木健(元西武)らとともに夏の甲子園ベスト4入り。その後、肩を故障し野手に転向。東洋大、東芝と強豪チームでプレーした。

 「昔は納得いかないと反発するタイプだった」。鼻っ柱が強く、東洋大時代は監督と衝突し、主将を外されたこともあった。転機は野球選手を引退した後。1年半、東芝の半導体のセールスマンを経験した。「自分は無力だと感じた」とこれまでの考えを改めた。

 平成12年、「監督に」と声がかかった。当時は、野球では、無名の大学。部員は「やんちゃな子ばかり」。茶髪でバイクに乗ってグラウンドに来る部員もいた。警察から連絡を受け、夜中に頭を下げに行ったこともある。どんな選手でも見捨てず、私生活から根気よく指導をした。今でも問題を起こし、高校を中退した選手でもためらわず、スカウトする。「若いから問題を起こすのは当たり前。ちゃんと話せばできるようになる」と力を込める。

 就任当初、部員と交わした約束があった。「10年後に上武大を有名にしてやる」。当時の部員は30代半ば。立派な大人になり、子供を連れてこの日、スタンドで観戦していた。「約束を果たせてうれしかった」。一から作った「たたき上げ」チームが頂点に立った。

(産経新聞)

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