「社会で生き抜く力つけてほしい」13年センバツ優勝 浦和学院・森士監督に聞く

 23年間の監督生活で春夏合わせて19度の甲子園出場。通算23勝。埼玉の指導者の中で断トツの数字を誇るのが浦和学院の森士監督(50)だ。昨年の選抜大会ではチームを初の全国制覇に導いた熱血漢に、指導者としての信念や高校野球が果たす役割などを聞いた。

 ―昨春はセンバツで優勝しましたが、あらためて夏に全国制覇するためには何が必要なのでしょうか。

 「僕の中では、春と夏では全く別の大会だと捉えています。春はチームとしてもまだまだ。夏は集大成。気温も違う。そういう面で総決算は、夏。1回も負けられない中でトップに立つのは至難の業とあらためて感じています」

 「埼玉で言えば、予選を勝ち抜いて10日ちょっとぐらいで本大会がある。そう考えるとひと月ぐらいの間に13、14試合を戦わないといけない。そういう総合力、チームのタフさが求められますね」

 ―森監督自身、現役時代、浦和学院の監督になりたての頃、そして現在と周囲の環境など、高校野球はどのように変化してきましたか。

 「高校野球の注目度は昔から高く、人気のあるスポーツでした。僕が上尾高校2年生の時に参加校が99校で、3年生の時に100校を超えました。急激に参加校が増えてきた時代で、だんだんと華々しくなってきている。でも昔からの規律や伝統を引き継いできて、歴史を感じるスポーツというのは間違いないですね」

 ―高校野球が今でも愛される理由は何ですか。

 「常に目の前に全力。オールドファンの方はそういうところに若かりし頃を重ね、若い世代も自分の原点を見いだして今やる仕事に結び付ける。若返る象徴だったり、少年たちにとっては憧れだった。いろんな意味でひたむきさの中に自分自身が今求めて見いだせるものがあるのかなと感じます」

 ―指導者としての信念を教えてください。

 「『目標はあくまで全国制覇、目的は勝負の世界に身を置いた中での人間形成』という高校野球の教育方針にすごく準じたことですね。高校野球という2時間に凝縮したドラマをみんなで楽しめる。楽しむためには、普段の生活からきっちりとやらなければならない。その中に自分自身の成長が求められていくと思いますね」

 「野球という世界で僕も育ててもらい、成長させてもらった。どちらかと言うと、野球というスポーツよりも人が好きなのかなと。そっちが原点なのかもしれません」

 「人間味というか、人に対する思いを阻害してほしくないです。ひと言で言えば、『男、強くなければ生きていけない。されど、優しくなければ生きていく資格がない』なんていう人間味を求めているのは確かです。そんな強くて優しい選手になってほしいと思いますね」

 ―高校野球が果たす役割はどう考えですか。

 「『三つ子の魂百まで』ということわざがありますが、それに似ていると思いますね。ここで育んだ体力だったり考え方、礼儀だったり、社会に出て基盤となっていく元の魂をつくる3年間。男の子が社会で生き抜く力を宿らす3年間になってほしいです」

 ―プロ野球出身者が高校野球を指導できるハードルが格段に下がり、プロ出身の高校野球の監督が増えると思いますが。

 「技術的な部分でプロの卓越した経験、そういう者に指導を仰げるのは高校生にも貴重なことじゃないかなと。僕はいいことだと思います」

 「ただ技術と、人としての心構えや器などを併用して成長させないといけない。技術だけに走ってしまい、教育というものが除外されてしまう懸念、不安はありますね。みんながプロ野球選手になるわけではなく、いろんな世界のプロになるので、そういう部分を高校野球の指導は求められている。技術的な成長を考えるとメリットはありますが、トータルで考えればメリットもデメリットもあるのかなと思います」

■森士(もり・おさむ)

 浦和学院高野球部監督。旧浦和市出身。50歳。上尾高-東洋大出。1991年8月、27歳でコーチから監督に就任し、これまで数々のプロ野球選手を輩出した。昨春の選抜高校野球大会では浦和学院を初の全国優勝に導く。春夏合わせて19度の甲子園出場で通算23勝。

◇本紙が選ぶ埼玉大会決勝名勝負

 球史に残る夏の埼玉大会決勝を、本紙の独断と偏見で昭和、平成から1試合ずつ選んだ。

<平成>2000年(平成12)第82回大会 浦和学院2-1春日部共栄「右腕対決、投げ合い」

 平成の名勝負は、浦和学院・坂元(元埼玉西武)、春日部共栄・中里(元巨人)という後にともにプロ野球の道へと進んだ右腕同士の対決。魂のこもった投げ合いは、浦和学院の延長サヨナラ勝ちという劇的な結果となった。

 試合はがっぷり四つの展開となった。坂元はスライダーを決め球に、中里は自慢の速球を低めに集め、お互いに譲らず1-1のまま延長戦に入った。決勝の延長戦は77年の川口工-熊谷商戦以来、23年ぶり。明暗が分かれた十回の攻防は見応え十分だった。

 十回表、春日部共栄の攻撃。9回141球の力投を見せていた坂元は、1死から奥、小柳に連続安打を許した。茂木は投ゴロに打ち取ったが、小林を四球で歩かせ2死満塁の大ピンチを迎える。打者は4番島田。

 投じた171球目。島田が放った鋭い当たりは坂元の足元を襲った。抜ければ中前打だったが、坂元が素早い反応でとっさに出したグラブに打球が吸い込まれた。投ゴロ。浦和学院は絶体絶命のピンチを脱し、春日部共栄は絶好機を逃した。

 次打者だった中里はどんな気持ちで裏のマウンドに上がったのか。先頭打者は坂元というめぐり合わせ。坂元は四球を選び出塁する。しかし中里も踏ん張り、続く甲斐、榎本を打ち取り2死までこぎつけた。

 ここから浦和学院が驚異の勝負強さを見せた。2番山ノ内がフルカウントから中前打でつないで2死一、二塁。続く3番丸山が中里の137球目の直球を捉えた。打球は中里の足元を抜け中前へ。二塁から坂元が本塁へ向かって激走する。中堅手の島田も本塁へ好返球したが間一髪、坂元の生還が早かった。

 両手を突き上げる坂元。その後ろでがっくりと膝をつく中里。勝者と敗者の非情なコントラストだった。

 全国屈指の右腕と言われた中里は最後まで甲子園と縁がなかった。この年の春日部共栄は全国でも十分通用する実力を秘めていたが、2年連続で決勝で敗れていた坂元の最後の夏に懸けた優勝への執念が、それを上回った。

(埼玉新聞・「伝え継ぐあの時 埼玉新聞の70年」より)

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