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 昨年7月24日。須永の携帯電話に何度も着信があった。兄・豊さん(33)からだった。

 「お父さんが危ない。すぐ帰ってこい」。メールも届いていたが、気づかなかった。その日は夜も遅かったため、翌朝、球団に報告し、遠征先の成田から都内の実家へ向かった。父・均さんはすでに帰らぬ人となっていた。70歳だった。

 03年に日本ハムにドラフト2巡目で入団。10年に巨人に移籍し、15年途中に再び日本ハムに復帰した。古巣復帰を一番喜んでくれたのは、ほかならぬ父だった。

 「良かったな、お世話になった球団で。もう一度、戻してくれる球団なんてなかなかないぞ」

 亡くなる1カ月前までは元気だった。だが、ある日、息苦しさを訴えて病院で診察を受けると、肺がんが発覚した。5年前に発症した舌がんはすでに完治していたが、再び訪れた病魔に打ち勝つことはできなかった。

 天国の父に白星を届けたい。背水の覚悟で臨んだ今季だったが、2月の沖縄・国頭村(くにがみそん)での2軍キャンプ2日目の朝に巨人時代から悩まされた頸椎(けいつい)のヘルニアによる首痛が再発した。「リュックを背負った瞬間に(痛みが)来た。2週間以上、走ることもできなかった」。大きく出遅れた。

 その後、症状が治まり、夏場には2軍で最速146キロを計測するなど調子は上向いたが、再び首痛を発症した。今季は一度も1軍に昇格することができず、戦力外通告を受けた。日本ハムからは来季の打撃投手を打診され、1週間ほど考えて受諾した。プロ通算13年間で白星なし。不思議と現役続行への気持ちは芽生えなかった。

 「プロの世界で1勝はしたかったけど、詰めが甘かったね。最後まで粘りきれなかったのかな」。プロ2年目の05年9月27日ロッテ戦(札幌ドーム)では9回無失点の快投を見せたこともあった。それでも白星は付かなかった。「打撃投手は難しい。不安ばっかりだよ」と恥ずかしそうに笑う。気持ちはすでに次の人生に切り替わっている。まだ腕は振り続ける。父もきっと天国で見守ってくれている。

須永英輝(すなが・ひでき)

1985年(昭60)10月28日、東京都生まれの31歳。浦和学院ではエースとして甲子園に3度出場。03年ドラフト2巡目で日本ハムに入団した。10年オフに巨人にトレードで移籍し、15年6月に再びトレードで日本ハムに復帰。プロ通算13年間で30試合に登板し、0勝3敗、防御率7・71。1メートル81、85キロ。左投げ左打ち。

(スポニチ)

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