浦学は「仮想横浜」浦学・森士監督、慶応前監督と対談

 2013年春のセンバツで初優勝を遂げるなど、埼玉・浦和学院を甲子園常連校に育てた闘将・森士と、慶応を15年まで率いた知将・上田誠。ライバルでもあり、同志でもあったという2人が神奈川の高校野球を語り合った。

 上田 神奈川だとやはり横浜が巨大な存在。でも横浜と練習試合をやるわけにはいかない。だから慶応は浦学を「仮想横浜」としてやらせてもらっていた。浦学は横浜と同じで、すべてにおいて隙がない。細かい走塁や守備のカバーリングなどすべてが徹底している。東海大相模の門馬敬治監督も同じことを言っていた。

 森 おこがましいです。僕も世代的に横浜の渡辺元智監督を追っかけてきた。神奈川でも色んなチームが特徴を出しながら、横浜に勝とうとしてきた。各校の工夫や戦術は本当に勉強になった。上田さんとは一緒に切磋琢磨して戦ってきた同志ですね。うちは横浜と慶応のほかに、東海大相模、横浜隼人と定期的に練習試合をやってきた。印象が強いのはやはり横浜と東海。両チームともに、違うようなんだけど、似ている。やっぱり激戦神奈川と勝ち抜くだけの底力があって。そこを勝つと甲子園に行っても勝ててしまうという。それだけのことをやっておられる。甲子園に行くだけじゃなくて、甲子園で勝つためのことをやっておられる。

荒木大輔世代

 森は「荒木大輔世代」だ。埼玉・上尾高1年の時、愛甲猛を擁する横浜が決勝で早実の荒木を倒し、夏の甲子園初優勝を果たしている。

 森 僕らにとって渡辺さんと小倉(清一郎)さんはずっと昔からの目標。でも他県だからといって、敵じゃない。リスペクトしている。人として、野球人としてもそう。勉強させてもらったし、定期的に練習試合を組んでもらって本当にかわいがってもらった。

 上田 横浜には手のひらで踊らされたような試合が何度もあった。偶然のポテンヒットだと思っていたのが、後で小倉さんに聞くときちんと伏線があったりする。でも浦学の野球も、「ここまでやらないと勝てないのか」と思わせられた。

 上田の代名詞でもある「エンジョイ・ベースボール」に対し、森の指導は徹頭徹尾厳しいことで知られる。

 上田 先日、浦学のピッチャーだった子と話す機会がった。彼は「高校では自分でどう考えてやるかということを学んだ」と言っていた。森さんは確かに厳しいけど、個人がどう考えて取り組むかというのを徹底されたんだと思う。自由が苦しかったり、逆にきつく縛られていても本当は楽という場合もある。

 森 例えば浦学は厳しい、慶応はエンジョイとか、最初に出てくる言葉があるじゃないですか。でも、アプローチの仕方が違うだけで根っこは同じだと思う。僕は上田さんがメンバー外の子にも大切な役割を与えてマネジメントしている点などは、とても良いなと思って採り入れました。

 上田 森さんは進路などで徹底して選手に関わっていく。やはり「うまい選手だからあの大学」だけでは絶対にだめ。最後まで面倒見てくれる指導者がいいのか、自由だけどあまり関わらない指導者がいいのか。どちらかというなら、僕は昔かたぎの徹底した関わり方をしたいと思う。

 森 生徒を預かった以上の責任。そこは変える気はない。自分の言葉で言うと「愛情の表れ」であり、それが「心配の表れ」になってこういう指導になっている。ただ今の時代はアプローチの仕方も試行錯誤していかないといけない。そこが難しい。

 上田 それは確かだけど、たぶん森さんも僕も、根本は変えたくないというのがあると思う。森さんは亡くなった星野仙一さんにかぶる。優しい厳しさというか、厳しいから優しいというか。

 夏の甲子園が100回目の記念大会となるが、10年前の90回大会には、浦学、慶応と横浜も顔をそろえた。結果的に横浜が初戦で浦学を下して4強まで進み、慶応も8強入りした。

 森 その年の4月に横浜と練習試合をして、エースの土屋健二君(元横浜DeNA)に3安打完封で負けた。手も足も出なかった。そのチームと甲子園で、「あと1本が出れば」という戦いができたのはよかった(6-5で横浜の勝利)。でもあれも、「抜けた」という打球が左中間締められていたりして抜けなかったりした。横浜の緻密な部分に改めて壁を感じた。

 上田 あの代の慶応は秋に横浜と県大会の決勝でやって負けた。1年生だった白村明弘(現日本ハム)を先発させたんだけど、横浜はエースの土屋君で来て、それを神奈川新聞に「(決勝に対する)本気度の違い」と書かれた。うちなりの本気の起用だったので腹が立って、書いた佐藤将人記者を見返してやろうと、冬の間はずっとその紙面を練習場のベンチに貼っていた。

 浦学と神奈川勢の甲子園での対戦はこの一度のみだが、選抜甲子園も懸かる関東大会では、毎年のように対戦している。

 森 横浜と東海とはずいぶん昔から練習試合をやらせてもらっているが、その2校には節目節目でとても悔しい思いをさせていただいた。最近ですね、僕らが互角でやらせてもらえるようになったのは。神奈川は野球王国であり、伝統のある先進県。埼玉は昨夏に花咲徳栄が優勝するまで途上県だった。全国優勝を求められた立場としては、やっと多少認められるような時期に来たが、まだこれが始まったばかり。神奈川に追いつけるように、自分自身も頑張りたいですね。=敬称略

長男の困った自慢話

 浦和学院と神奈川勢が唯一甲子園で顔を合わせた08年の夏のことは、森監督も鮮明に覚えているという。

 「当時、横浜もうちも甲子園で初戦敗退が続いていて。当日の朝にバスを降りたら、横浜の小倉さんと一緒になって『おい、俺ら連敗中だな』ってプレッシャーをかけられましたね」

 試合は筒香嘉智(現横浜DeNA)の2ランを含む4打点の活躍で、横浜が6-5で逃げ切った。

 「あの試合はうちの長男坊(森大)が投げたんです。長男は今も、筒香に弾丸ホームランを打たれた動画を人に見せて自慢していますから。そういうやつなんです」

 森監督は翌夏、高校生日本代表の監督を務めた際、その夏の甲子園出場を逃していた筒香を主砲に据えて戦った。

 浦学の監督室には、森監督が横浜前監督の渡辺元智さんと収まった写真が飾られている。「いつもうちは、ぼろぼろにやられていました。心から尊敬している指導者の一人です」

森士(もり・おさむ)

 埼玉・上尾~東洋大。大学時代に高校の恩師である野本喜一郎氏が浦学の監督となり、卒業後はその下でコーチを務める予定だったが、4年時に恩師が死去した。遺志を引き継ぐ形で1991年に27歳で監督就任。2013年には埼玉県勢45年ぶりの全国制覇となる選抜大会優勝を成し遂げた。監督として甲子園出場は春夏20度を数える。さいたま市出身、53歳。

上田誠(うえだ・まこと)

 湘南~慶大。1991年から2015年まで慶応監督。米国にコーチ留学するなどし、独自の「エンジョイ・ベースボール」を提唱。05年春に45年ぶりの甲子園出場を果たすなど、古豪を強豪として復活させた。甲子園に4度出場し、08年夏に8強入り。現在も慶応教員。学童野球の指導者を対象にした講演会を実施するなどの活動も行う。藤沢市在住。59歳。

(神奈川新聞)




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