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栄光の歴史



浦学野球史

無名の浦学を全国ベスト4へ導いた故・野本喜一郎監督

nomoto_001 昭和59年春、上尾高校の監督を22年務め同校を甲子園へ6回導いた元プロ野球選手の野本喜一郎氏が浦和学院の監督に就任。

 昭和61年、2年生スラッガー鈴木健(元西武~ヤクルト)と2年生エース谷口英功(現上武大監督)を擁して関東大会ベスト4に進出し、その夏は悲願の甲子園初出場へ期待が高まった。

 しかし、野本監督は病気の為、夏の大会前に辞任。それでも夏の埼玉大会で初優勝を果たし、悲願の甲子園出場を決めたが、甲子園開会式の当日、甲子園で初めてプレーをする選手達の姿を見ることなく64歳の生涯を閉じた。

 結局この大会は初戦の泉州から始まり、宇都宮工、高津臣吾を擁する広島工、高知商と危なげなく下した。準決勝では松山商に敗れたがベスト4という輝かしい成績を残した。これが現在の浦学の夏の最高成績である。

ついに全国制覇 21年越しの悲願を達成した森士監督

mori_001 1991年、野本氏の上尾時代の教え子である森士(おさむ)氏が27歳の若さで浦和学院の監督に就任。その年の秋季関東大会でベスト4入りし、翌春(1992年)のセンバツで大会最年少監督(当時)として出場、いきなり全国ベスト4に進出した。

 その後、1998、2002年のセンバツでベスト8入り。県大会や関東大会では何度も優勝や上位進出を果たすも、過去最高成績である全国ベスト4はなかなか越えられなかった。

 上位進出どころか、2005年春、2006年夏、2007年夏、2008年夏、2011年春の甲子園ではいずれも初戦敗退。甲子園5連続初戦敗退という不名誉な記録を残し、なかなか甲子園で勝てない時期が続いた。「浦学は全国で勝てない」こんなことを言う者もいた。

 風向きが変わってきたのは2011年頃からだ。同年の秋季関東大会で36年ぶり史上3校目の2連覇を達成。翌春(2012年)のセンバツではエース佐藤拓也を擁し、1回戦で敦賀気比に勝利。甲子園連続初戦敗退を5でストップさせた。準々決勝でこの大会優勝の大阪桐蔭に2-3で惜敗するも10年ぶりのベスト8に進出した。同年夏の甲子園でも2勝し、夏の甲子園では26年ぶりのベスト16に進出した。

 新チームとなり、1年生エース小島和哉を擁して2012年の秋季関東大会で史上初の3連覇を達成。翌春(2013年)のセンバツでは準々決勝で北照に勝ち、21年ぶりのベスト4進出。ついに森監督就任1年目の全国ベスト4に並ぶ。

 準決勝の敦賀気比戦は4番高田涼太が3試合連続の本塁打を放ち(一大会3本塁打は松井や清原に並び史上9人目の大会タイ記録)、初の決勝進出を果たす。決勝では大会屈指の好右腕・安楽擁する済美に17-1で大勝し、春夏通じて初の優勝を達成した。

 創部から35年、森士監督就任から実に21年越しの悲願の全国制覇である。埼玉県勢の優勝は1968年の大宮工以来、45年ぶり2度目の快挙となった。野本監督も天国で喜んでいるに違いない。

 2021年、第103回全国高校野球選手権埼玉大会決勝で昌平を10-4で破り、3年ぶり14度目の優勝を果たす。試合後の優勝監督インタビューで森士監督が今夏限りでの退任を表明した。最後の指揮となった甲子園では初戦となる2回戦で日大山形に3-4で惜敗し、30年間の監督人生に終止符を打った。

 夏の全国制覇は成し遂げられなかったが、27歳の若さで監督に就任してから30年間浦学を率いて、強豪校に育て上げた。生涯成績は計653試合で551勝99敗3引き分け。甲子園には春夏通算22度導き、計49試合で28勝21敗の成績を残した。

 第7代監督には森士前監督の長男・大が就任した。次の夢はまだ成し遂げていない夏の全国制覇である。浦学なら近いうちに必ず達成できると信じている。

沿革

西暦 主な出来事
1978浦和市(現さいたま市)に浦和学院高校開校、野球部創部。
1979粟野監督が就任。初の公式戦・春季南部地区予選1回戦敗退。元プロの長持栄吉氏が監督就任。その後、総監督として春3回、夏4回甲子園出場。
1980公式戦初勝利(第62回全国選手権埼玉大会1回戦・対越ヶ谷)
1984野本喜一郎氏(不動岡~コロムビア~西日本~西鉄~近鉄~上尾監督)が監督就任。福田治男氏(上尾~東洋大)が大学で教員免許取得の間コーチを務める。
1986春季県大会初優勝、春季関東大会ベスト4進出。野本監督が病気療養のため、夏の大会前に辞任。和田昭二先生が監督代行。第68回全国選手権埼玉大会で初優勝。8月8日、甲子園の開会式当日、野本氏がすい臓出血のため死去(享年64)。第68回全国選手権大会ベスト4進出。
19918月、野本氏の上尾時代の教え子である森士氏(上尾~東洋大)が監督就任。秋季県大会初優勝、第44回秋季関東大会ベスト4進出。
1992第64回選抜大会初出場でベスト4進出、準決勝で帝京に1-3で惜敗。
1995秋季県大会優勝、地元埼玉開催の第48回秋季関東大会で初優勝。
1998第70回選抜大会でベスト8進出、準々決勝で関大一に2-3で惜敗。春から鈴木善一氏(浦学~中央大)がコーチ就任。
2000第82回全国選手権埼玉大会決勝は球史に残る名勝負となり、春日部共栄を2-1の延長10回サヨナラで下し、4年ぶり5度目の優勝。98年、99年と2年連続決勝で敗退していたが、3度目の正直となった。第82回甲子園初戦・八幡商戦で坂元弥太郎投手が19奪三振、54年ぶり大会タイ記録(当時)。
2002第74回選抜大会ベスト8進出、準々決勝でこの大会優勝の報徳学園に5-7で惜敗。第84回全国選手権埼玉大会の全7試合で失点わずか1と圧倒的な力で優勝。第84回甲子園1回戦で春夏連覇を目指した報徳学園に7-3で勝ち、リベンジ成功。
2003春季県大会優勝、第55回春季関東大会初優勝。
2004小山琢也選手が日本高校選抜代表で第21回AAA世界野球選手権準優勝、首位打者賞受賞。
20074月、神田正樹氏(浦学~中央大)がコーチ就任(その後、中学校教諭に)。第89回全国選手権埼玉大会で2年連続9度目の優勝(2連覇は20年ぶりの快挙)。9月18日、森監督が公式戦通算300勝達成(秋季南部地区予選・対大宮南)。
2008高間薫部長が県高野連副理事長就任、安保隆示コーチが部長に就任。第90回全国選手権記念南埼玉大会で3年連続10度目の優勝(夏の県大会3連覇は史上初の快挙)。
2009高間薫元部長が私学初となる県高野連理事長就任。森士監督が第8回アジアAAA選手権の日本高校選抜(関東選抜)監督に選ばれる。
2010第63回秋季関東大会から正式に日本代表仕様の新ユニフォームに変更。秋季関東大会で15年ぶり2度目の優勝(春・秋連続優勝)。明治神宮大会初出場。
2011森士監督が第9回アジアAAA選手権の日本高校選抜コーチに選ばれる。秋季関東大会で2年連続3度目の優勝(連覇は36年ぶり史上3校目)。明治神宮大会2度目の出場。
2012第84回選抜大会で大阪桐蔭に惜敗も10年ぶりベスト8進出、甲子園連続初戦敗退を5でストップ。同大会の2回戦・対三重で甲子園春夏通算20勝達成。第94回全国選手権大会で2勝を挙げ、夏の甲子園では26年ぶりのベスト16進出。佐藤拓也選手、笹川晃平選手が第25回18U世界野球選手権に出場(浦学から2名選出は史上初)、6位。秋季関東大会決勝で花咲徳栄に延長10回サヨナラ勝ちし、史上初の3連覇達成(埼玉同士の決勝も史上初)。
2013第85回選抜大会で初の全国制覇(県勢の優勝は1968年の大宮工以来、45年ぶり2度目の快挙)。野球部に彩の国功労賞、さいたま市長特別賞、森士監督にさいたま市長特別賞が贈られる。第95回全国選手権埼玉大会準々決勝・埼玉平成戦で、小島和哉投手が23年ぶり3人目(4度目)となる完全試合達成。
2014第96回全国選手権埼玉大会3回戦で県立川口に敗れる波乱。浦学が夏の県大会3回戦で敗れるのは97年以来17年ぶり(同大会で公立校に敗れるのも17年ぶり)。小島和哉投手が高校日本代表に選ばれ、第10回18Uアジア選手権に出場、準優勝。秋季関東大会で2年ぶり5度目の優勝。明治神宮大会で初の決勝進出、準優勝。
2015第87回選抜大会でベスト4進出。甲子園春20勝、春夏通算30勝目。
2016第98回全国選手権埼玉大会4回戦で市立川越に0-1で敗退。夏の埼玉大会で3年連続公立校に敗れるという屈辱を味わう。
2017第99回全国選手権埼玉大会決勝で花咲徳栄に2-5で敗れ、4年ぶりの夏の甲子園出場を逃す(森監督就任以降、夏の甲子園から4年以上遠ざかるのは初めて)
2018第100回全国選手権南埼玉大会で川口を17-5で下し、5年ぶり13度目の優勝。夏の埼玉大会決勝で17得点は2013年の浦学が川越東戦で記録した16点を上回る最多得点記録。第100回全国選手権記念大会で32年ぶりのベスト8進出。国体では初戦で報徳学園に4-3で勝利。以降は打ち切りとなり4校共同優勝。
2021第103回全国選手権埼玉大会で昌平を10-4で下し、3年ぶり14度目の優勝。試合後の優勝監督インタビューで今夏限りでの退任を表明した。最後の指揮となった甲子園では初戦となる2回戦で日大山形に3-4で惜敗。この試合をもって30年間の監督人生に終止符を打った。27歳の若さで浦学の監督に就任し、これまで甲子園に春夏通算22度の甲子園に導く。甲子園は計49試合で28勝21敗。30年間の生涯成績は計653試合で551勝99敗3引き分け。秋季地区予選から森士前監督の長男である大(だい)監督に代わるのを機に、旧タイプのアイボリーのユニフォームに戻した。秋季県大会からは帽子のデザインを変更。Gの文字部分が金色になった。秋季関東大会でベスト4となり、翌春の選抜出場が濃厚に。
2022森大監督になって初の甲子園出場となった第94回選抜大会でベスト4進出。

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