教員になったきっかけは、母校浦和学院野球部の森士監督の一言でした。2009年10月にプロを引退して、学校にあいさつに行ったとき、森監督に「うちで教員やらないか」って。ずっと野球に携わりたいという思いもありましたし、まったく畑違いのところで一からやり始めるよりは、自分の中で野球が一番、経験と知識があり、それを生かせる仕事に就きたいと思いました。
時代は変わっても、高校野球は変わらないなと指導者の立場で見るようになって感じます。ひたむきさだったり、みんなで団結して頑張ろうという仲間意識だったり。
従来は、高校野球の指導者になるには2年間の教員経験がなければできませんでした。13年夏に見直され、教員免許を持っていれば元プロでもすぐに指導者になれるようになりました。教員免許を持っていなくても数日の研修を受けることで指導資格が得られます。僕が1年ちょっと、教員として働いたことについて「ちょっと遠回りしていませんか」とよく言われますが、僕自身はそんな風には思っていません。野球から離れて教員として働いたことは、野球部以外の子たちと接することができて良い経験になったと思っています。
直接指導するようになって今年の7月で1年になります。やってみて、高校生に対して技術だけ教えればいいという訳ではないと感じました。人として一人前であるとか、基礎がしっかりできているとか、当たり前の土台がしっかりしていないと、技術ばかり教えても頭でっかちになってしまいます。
高校生は自分で野球を考える頭もまだ十分育っていないですし、こなせる技術もついてこない。何が大事かと言えば、基本をしっかり教えてあげることだと思います。もちろん、知らない知識を教えることはマイナスにはならないと思いますし、出来る限り元プロとしてアドバイスをしてあげたいです。
球児に伝えたいことは、「野球」は後でもできるけど、「高校野球」は今しかできないということ。昨年の流行語大賞の「今でしょ!」ではないですが、高校生にはそれをわかってもらいたい。2年4カ月という限られた期間で、できることを妥協なくやってほしい。
プロとアマの最大の違いは、勝ちに対する思いの度合いですかね。プロはリーグ戦が中心で、負けても次があるという気持ちが少なからずあります。それに対して、高校野球はトーナメントで、1回でも負けたら終わり。それが毎試合、と考えると、執念というか、一試合一試合にかける思いが自然と強くなると思います。
今後の目標はコーチとして一人前になって、浦和学院を夏の甲子園で優勝に導くことです。OBとして、戦う魂。勝ちにこだわる姿勢を見せる浦学の野球を後輩たちにしっかり伝えていきたいです。
◇みうら・たか
1978年生まれ、さいたま市出身。浦和学院高校、東洋大学を経て2000年にドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。1年目は49試合に登板した。03年から野手に転向、08年から埼玉西武ライオンズに。09年に現役を引退後、東洋大で教員資格を取り12年4月から浦和学院で公民の教諭。13年7月から野球部のコーチに就任した。
(朝日新聞埼玉版別刷り)