ユニホーム姿がまぶしい。浦和学院高校のかつてのエース右腕が、指導者となって母校のグラウンドに帰ってきた。学生野球資格回復が承認され、7月末から 同校野球部で指導するのは、プロ野球の巨人、埼玉西武で計9年間プレーした三浦貴コーチ(35)だ。プロでは投手、野手の両方を経験したが「高校野球は、 まず人として育てないといけない」(三浦貴コーチ)。恩師の森士(おさむ)監督(49)と同様に、技術面よりも“心”の成長に重きを置き、選手とともに 日々奮闘している。
◇新たな野球人生
7月30日、待ちに待った瞬間が訪れた。真っ白な練習着に袖を通す。晴れて“指導者・三浦貴”の誕生に「うれしいですね。身が引き締まります」と満面の笑み。8月4日の甲子園練習では、ユニホームを初めて着て、久々に聖地の味をかみしめた。
旧与野市(現さいたま市)出身で1996年、エースとして春夏連続甲子園に出場した。東洋大を経て、2000年ドラフト3位で巨人に入団すると、1年目の 01年から中継ぎとして活躍。03年からは身体能力と打撃センスを買われ野手に転向。08、09年は埼玉西武でプレーし現役を退いた。
就職活動を始めた矢先、引退報告をしようと森監督を訪ねた。すると「教職取って、うちに来るか」「俺の後を継ぐか」と誘われた。実は07年に巨人を戦力外 になった際にも、同じような声を掛けてもらったそうで「ありがたいなと思いました」。恩師のひと言で、新たな野球人生に踏み出すことを決めた。
◇働きながら教職
この時点で、元プロは2年以上の教員経験がないと高校生への指導はできず、グラウンドに立てるのは最短で4年以上先。長い戦いが始まった。
昼間は午前5時から午後4時まで運送会社でトラックの運転手をして家族を支え、夜は教員免許を取得するために大学に通い、授業を受けた。自宅に帰ってから もリポートを仕上げたりと、睡眠時間は1日平均3、4時間。それでも「やることが明確で勉強も楽しかった」と振り返る。
仕事と授業のない日曜日には度々、球場に足を運び浦和学院高の試合を観戦。後輩たちの活躍を自らの肥やしにしてきた。2年間、この生活を続け、12年3月に教員免許を取得。母校に採用され、同4月から社会科教諭として教壇に立っている。
◇“生きる教材”に
プロ時代に捕手、遊撃手を除く7ポジションを担った経験はチームにとっても、この上なく大きい。エース小島和哉投手は「実際にお手本を見せてくれる。感覚とかイメージが形になる」と、“生きる教材”から多くを吸収しようと真剣なまなざしだ。
それでも森監督が「教育なくして生徒の成長はない。技術を発揮できるのも人間性。併用して指導できないと一人前にはなれない」と厳しくも温かい言葉を送る ように、高校野球の原点は、三浦コーチの心にも深く刻まれている。「礼儀、気配り、思いやりなど、社会でも通用する野球人に育てていきたい。その上でプロ で培ったことも伝え、生徒とともに頑張りたいですね」。選手に負けないぐらい日焼けした顔は、明るい未来を照らしているかのようだ。
■プロ経験者の学生野球資格回復条件の大幅緩和
プロ側と日本高野連側、両方の研修を受けて修了証が交付されれば、日本学生野球協会への指導者復帰申請が可能。教員免許を持っていれば研修を受けなくても 申請でき、2年間の教諭歴も必要ない。三浦コーチの場合は、今年7月1日に施行された新規則で「中学、高校で2年以上の教諭歴」というこれまでの制限が撤 廃されたため、同29日に学生野球資格が回復。新制度適用第1号となった。
(埼玉新聞)