あの、あどけない少年だった阿部鳳稀君(石巻市立万石浦中学校出身)が浦学の野球グラウンドに立っている。スタンドから浦学生として、先輩に大きな声援を送っている。
東日本大震災の当時、小学校4年生。浦学が支援交流を続けている石巻市、鹿妻・子鹿クラブの野球少年だった。下の写真を見ても一目瞭然、同学年の女子選手よりも体は二回りも小さい。そんな彼が、この春浦学の門を叩いてくれた。しばらく音信が途絶えていた彼から「浦学に入りたいのです」と、本校石巻・東松島交流センターの担当に連絡があったのは、昨年の6月頃だっただろうか。中学3年生に成長した彼は、宮城県シニアリーグで野球を続けていた。そんな彼に「あんな大きな出来事があったからこそ、地元で野球を続け、親元を離れてはいけない」と、アドバイスをした。
しかし、小学校時代より心身ともに大きく成長した彼は、「小学校の時に、甲子園で応援した時から、この学校に入りたいと決めていました、決意は固いです」と、頼もしい言葉を返してくれた。
さらに、入学試験後1ヶ月間欠かさず、毎日800字の作文を書き続けた。その一文に「浦学の人たちは、あの辛い出来事の時、途方に暮れていた僕たちを支えてくださり、頑張ろうという気持ちにさせてくれた」と、書き示してくれた。
今、彼は浦学野球部の一員として、夏の甲子園100回大会での優勝を目指し、苦しい練習、親元を離れた寮生活のスタートを切ったばかりである。
練習風景
(左から2番目、緑のシューズの選手)
現在、野球部に入部したばかりのピカピカの1年生。7月9日に開幕する、夏の甲子園県予選において、スタンドから大きな声援を送ってくれることであろう。
(浦和学院高校公式ホームページ)