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震災体験、若者に語る 元北上中校長・畠山卓也さん=石巻市

埼玉と被災地つなげる

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野球部の石巻訪問を前に語り合う畠山さん=さいたま市の浦和学院高

 「帰ったら、家がなくなっていたら、お父さんお母さんが亡くなっていたら、どうします?」

 「命は自分で守りなさい。大人の判断が誤りだと感じたら、突き飛ばしてでも生きてください」

 東日本大震災の津波が町をのみこむ映像が次々と流された後、畠山卓也さん(60)の問いが553人の全校生徒に向けられた。今月10日、川口市神根中の体育館。「遠く離れた埼玉県へ伝えたいこと」と題された、震災体験の講演会だった。

 ことし3月まで石巻市北上中の校長を務め、定年退職後、さいたま市にある浦和学院高の「石巻交流センター」特任センター長に招かれた。防災の語り部として5月以降、埼玉の中学校を中心に約40カ所を歩いてきた。

 「厳しい話をしたが、どこでも被災地になる時が来る。若者に生きてもらわないと困る。学校も自覚してほしい。それを伝えるのが俺の役目だ」

 北上中で2011年3月11日を迎えた。地元の北上町の犠牲者は650人を超えたが、高台の校舎は津波を免れ、避難所となった。同市住吉町の自宅が全壊したものの家族は無事で、以後は避難所で約400人の住民と寝泊まりを共にした。

 訪れるボランティアと避難所、その後開かれた仮設住宅「にっこりサンパーク団地」のつなぎ役を買って出て、現状を伝えるブログも校長室から300回以上発信した。

 「授業は先生方がしっかりやってくれる。外の支援を地元の人々につなぎ、元気にすることが、学校の子どもらを明るくすることだったから」

 衝撃を受けたのは、北上川の対岸で84人が犠牲になった大川小の校舎前に立った時だった。「もしここにいたら、どうしていたか」と一人の校長として自問し悩んだ。

 「防災」とは何か-を訴える語り部としての第二の人生も、そこからつながっているという。

 「防災は学校、地区が一体のもの。子どもたちと地元のハザードマップを作り、指定避難所も調べ、保護者も一緒に避難訓練をしてください」

 神根中の講演会の後、校長室でも、畠山さんの熱っぽい話は続いた。

 現在の仕事は校長時代、北上町での浦和学院高のボランティア活動を手助けしたのが縁。理科教諭をしながら、講演とともに石巻の被災地との交流を企画している。

 にっこりサンパーク団地などを毎月訪ね、地元の人々のニーズを聴く。「被災地を訪れるボランティアが激減して、『忘れられる』ことへの不安を聴く」と畠山さん。

 同高の石巻での支援活動は30回を重ねるが、職員、生徒にこう説く。

 「浅く広く、の活動の時期は過ぎた。顔なじみになり、安心感のある存在となることが必要。ようやく体験を語れるようになった人も多く、真剣に耳を傾けてほしい」

 今月は強豪の野球部が石巻を訪ね、仮設住宅の掃除を手伝い、少年野球チームと交流した。来年2月には大人たちの「石巻応援隊」を引率する。

 仕事の任期は2年。つなぎ役の行脚が続く。

(河北新報)

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