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浦学・森士監督×小島和哉選手対談 高校野球”ありがとう”

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【写真】昨年の冬季号でも山根主将(立教大1年)に同じ言葉を贈った森監督。「もちろん同じ言葉を贈ります!」と言い小さく「2014」を加筆していました。「七転び八起き、困難、試練から立ち上がれる野球人になって欲しいですね」。

 2013年のセンバツ初優勝を経て、2014年は森監督、小島投手にとって「激動の1年」でした。栄光と挫折が交互にやってきた高校野球で、最後に思い出となったのは「男の2人旅」でした。森監督が初めて語った小島投手の苦悩、葛藤の1年とは。

◇春Vから夏の初戦負け。底知れぬ「恐怖」に襲われた秋

―甲子園を経験したのは小島投手ただ1人でしたが、この代は森監督にとっても思い入れの深い1年だったと聞きました。全てはこのシーンから始まった1年でしたよね。

森監督 そうそう。こんなこともあったねぇ~。小島はね、泣くとお母さんに良く似てる。

小島 えっ…(恥ずかしそうに)

―改めて見てどうですか?

小島 この時は2年の夏。3年生じゃなくて、2年生だったから特に悔しい気持ちが強かったです。自分が3年生の思いを壊してしまったので。

―相手の校歌が終わった後、スッと監督の元に自分から行きましたよね。

小島 そういう(悪い)ピッチングしかできなかったので、申し訳ないというか「スイマセンでした」としか言えなくて。監督に言いに行きました。

森監督 ハハハ。それを僕が「うなだれるな!」「シャキッとせい!」と言いましたあ。僕に申し訳ないというか、3年生の思いを背負ってたし、応援してくれる皆さんに対して申し訳ない、って気持ちがあったんじゃないかな。春に優勝し、連覇に挑んだ夏だったので、プレッシャーは計り知れないものがあったのでしょう。

小島 ハイ、センバツから夏の大会までずっと負けなしで勝ち進んでいたので、試合で負ける悔しさ、キツさがわかった試合になりました。この試合で、今までやって来たものがゼロになってしまったと言う感じでした。

森監督 そう。この試合で初めて怖さを知ったんだよな?それまでは怖いもの知らずのまま時間を費やしてきたから、悔しさとは違う「怖さ」を感じたんだよね。ただ、そのショックが思っていた以上に大きくて、どうなっていくのか気になってました。

小島 はい、しばらくポカーンとしてしまいました。それまでは後先のことなんて考えず前だけ見てやっていたんですが、この試合をきっかけに、自分が何をしていいのか。終わった次の日とか、正直、秋の大会のことなど考えられなかったです。

森監督 ひとつのバーンアウトだよね。そういう状況に陥ったんでしょう。

―そうだったんですか…。そんな小島君をどう見守っていたのですか?

森監督 節目節目でヒントを与えたんですけどね。そこに気が付く感性がまだなかったね。僕が思ってた以上に落ち込み方が尋常でなかったので、とても時間がかかりました。ね?(小島君を見て)あの時は自分を見失っていただろ?何もしてないのに過呼吸で2度3度、倒れたもんなぁ。

小島 ハイ…。(部屋の一角を指して)あそこでも倒れました…(笑)。

森監督 ハッハッハ。

―そうだったんですか。今は2人とも笑ってらっしゃいますが…。

森監督 センバツ優勝時の小島は16歳で何もわからぬまま活躍して、そのまま全国優勝までしちゃって、勝っていくのが当たり前だった。そしたら夏は奈落の底へ…とは言いすぎかもですが、甲子園では自分のイメージの野球ができぬまま初回から不安要素が一気に爆発して、立て直せない。それが何万、テレビで見てる人を入れると何十万と言う人が見ている中で自分がさらしものになってしまったわけですから、全部のダメージを受けてしまったんですよね。試合後の取材で小島がお立ち台で倒れた時には、大勢の記者が僕の前を飛び越えて、小島に群がった。「ちょっといい加減にしろよ」と思いましたけど(笑)、ちやほやされているだけじゃない。そういう物があるんだってことをね、彼はわかっていったのでしょう。

―取材する立場の者としても非常に胸が痛いお話です。小島君は時計の針を戻すならどこに戻したい?

小島 (2013年)センバツが終わった後からですね。夏、ああいう形で負けたってことは負けるべくして負けたと思うんです。センバツ優勝してからわかった考えを生かして、もう少し気を引き締めてその後取り組んで、夏に生かしていれば、ああいう結果にはならなかったと思います。

―2年夏の仙台育英戦の前に戻りたいということなのですね。

森監督 今秋、神宮大会の決勝で仙台育英と戦ったのですが、何かの因縁を感じていました。スタンドで小島が見ていますし、リベンジを果たしてあげたいなというのも僕の中にあったのです。でも思うように行かないところも、僕の不徳の致すところといいますか、足りない面だと思いました。(結果は1-4の敗戦)そういうめぐり合わせをくれるのも神様のいたずらというかね、試練を与えてくれるなと思いましたね。

小島 後輩たちが仙台育英との決勝戦まで行ってくれたのは嬉しかったです。実は決勝の相手が仙台育英って決まった時、自分の中でメラメラ燃えるものがあって~(笑)。試合中も必死に応援していたんですよ。

―仙台育英とのめぐり合わせは、この後も続いていきそうですね。

◇バスの中で監督が号泣 その理由とは…?

―話は前後しますが、後輩たちは秋の関東大会で優勝を果たしました。決勝戦の朝は、森監督が感極まったシーンがあったと聞きました。

森監督 あっはっは(笑)。実は試合前のバスの中でね、ずっと涙が止まらなかったんです。バスを運転していたら今までのことが走馬灯のように思い出されちゃってね(笑)。

小島 3年生も一緒にバスに乗っていたんですが、「監督が泣いてるぞ?」ってみんなでビックリしました。

森監督 3年生が夏負けた時のことを思い出したんですよね。負けた試合の後、全員でミーティングをして、その足でグラウンドを走ったのです。毎日毎日3年生が朝からその「負けラン」をして、練習のサポートをしてきた。そんな光景がよみがえったんですよね。

―それで、3年生もあんなに優勝を喜んでいたのですね。

森監督 小島との思い出で言えば、夏の甲子園の決勝戦を2人で見に行ったことも思い出ですね。

―えっ、2人でですか!

森監督 私が解説で甲子園に行くことになりまして、小島もちょうど全日本(U18)の集合があったので「それなら一緒に決勝戦を見に行こう」ということで。「2人旅」っていうのかな。新幹線に並んで座ってな?最後位はいい思いをさせてやりたくてグリーン車に乗ったんだよな!(笑)

小島 はい!快適でした~!(ニコニコ)

森監督 いやぁ、大阪桐蔭と三重の決勝戦を2人で見たら、言葉がないくらい感動しちゃってな!

小島 はい!(ニコニコ)観客とか、熱気とか。春の決勝とは全然違いました。

森監督 感動したんだけども、それとともに後悔っていうのかな、なんかね、2人で同じこと思ったんだよね。「僕らでもできたんじゃないのか?」ってね。甲子園で優勝することって凄いことだと思っていたけど、実際見て、覆されたというかね。

小島 そうなんです。(全国制覇が)むちゃくちゃ遠い!という感じはしなかったんです(真顔)。

―自分がそこにいるイメージができたんですね。

森監督 夏3回戦(県大会)で負けた時はショックで「もう二度と甲子園に行けないんじゃないか」と思いました。でも止まるわけにはいかず、毎日グラウンドに立って時間を費やしていたわけなのですが、甲子園決勝を見た瞬間、逆の印象だったんです。

―光が見えたのですね。

森監督 小島は決勝戦の感想をイニングごとにメモをとっていました。優勝チームはどんなだったのかを書き記して、帰ってから後輩に伝えようと。

―後輩たちに託すためにですね。いい話ですね。

森監督 でな、その後…な?(笑)

小島 …はい(笑)。

森監督 小島メシ行くぞ!と言って、(大阪)北新地の飲み屋街のほう連れてってね(爆笑)。夜のいろんな景色を見せて「こういう所も見ておくんだぞ」って説明したんだよな。アッハッハ。

小島 入った店がすごく高級で、こんな恰好(ジャージ)で入っていいのか?と思いながら肉をいただきました(笑)。

森監督 ちょっとした社会勉強だったね。写メ撮ったりな。ダイエーでかき氷食べたり、楽しい旅でした。

―「もういけないんじゃないか」とまで思った甲子園で、勇気をもらって帰ってきたんですね。

森監督 僕の中に、小島を負けさせてしまった責任がずっとあって、試練を越えさせるためのプランがあったのですが、結果、失敗してしまった。そんな中、大阪に向かう新幹線の中で小島が「森先生、実はいま、投げたくてしょうがないんです」と言った時に「あ、これは大丈夫だ」と思いましたね。負けた後しっかり準備していたし、タイでの全日本(U18)では主力級の活躍を果たしてくれましたからね。

―期待に見事応えたんですね。2人で焼肉なんて、かつてそんな選手いたのですか?

森監督 初めてですね(笑)。小島はね、まぁ、基本的に甘え上手なのでね~。すぐ泣くし(笑)

小島 フフ…。

―小島君は早稲田大で野球を続ける予定ですし、この先も先生が見守ってくれそうですね。

小島 ハイ!

森監督 まぁ、甘え上手ですからねぇ(笑)。次男坊だからしょうがないですよ。僕も次男坊ですからね、考えていることがわかるんですよ。

―最後に、森先生に感謝の言葉はありますか?

小島 小学校、中学校時代は高いレベルの中で自分がやるなんて思ってなかったのですが、お会いした時に「一緒に野球やってくれないか」って言ってもらえて。「自分には無理かな」と思っていた所でそういう言葉をかけていただいて決意することができました。野球の1から10まで教えてもらったので、感謝の思いしかないです。

―監督は小島君に、どんな選手になって欲しいですか?

森監督 野球人としては、ある程度の基礎は教えたので、あとはその中で順応してくれればいい。でも「小島らしさ」、小島のキャラクター、甘え上手というのも一つの特徴だから、周りの人に可愛がられて大事にしてほしいですね。一番求めたのはリーダーシップ。自分だけじゃなくて、周りをも引き込んで、常に渦の中心にいて周りを動かせるだけの吸引力を求めたので、そこも含めた野球人になってもらいたいですね。

―大学で悩んだら、また監督に甘えに来なきゃですね?

小島 ハイ、そうですね!(ニコニコ)

森監督 オイ、いつまでも甘えさせないからな。

小島 えっ!?

森監督 いつまでも俺がいるとは思うなよ。これからは。でも僕はいつも言ってますから。入る前と、引退した後は優しい監督だからなって。こいつはそんな私に騙されて入ってきたタイプなんです。現役中は鬼ですからね。

小島 (聞きながらニコニコ)

森監督 焼肉食べたくなったらいつでも帰ってこいよ。

小島 いいんですか!

森監督 北新地のあんなにいい焼肉は食わせないけどな!

小島 (笑)

森監督 食べ放題だったらいいよ!

(一同笑い)

(輝け甲子園の星 2015年1月号/2014年12月19日発売)

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