第100回全国高校野球選手権記念南埼玉大会は23日、県営大宮球場で決勝が行われ、春季県大会王者でAシードの浦和学院がノーシードの川口に17-5で大勝し、5年ぶり13度目の優勝を飾った。浦和学院は二回に蛭間が3ランを放つなど計19安打17得点し、決勝の最多得点を更新する猛攻で圧倒した。従来の最多得点は、2013年の第95回大会で浦和学院が記録した16点。守ってはこれまでと同様に継投し、5失点で川口の反撃を退けた。
優勝した浦和学院は、全国高校野球選手権大会(8月5~21日・甲子園)に出場する。
自立求め自主性育む
浦和学院が、5年ぶり13度目の夏の甲子園出場を決めた。1986年の初出場以降、4年間のブランクは前任監督から森監督への移行期を挟む88年から93年までの6年間遠ざかったのに次ぐ。長いトンネルを抜け出した指揮官は、「新たなスタート」と位置付ける。
2013年にエース小島(現早大)を擁して選抜大会で初の全国制覇を成し遂げ、同年夏の全国選手権にも出場した。だが、翌14年夏の埼玉大会は、エース小島が3年生になり、優勝候補の筆頭とされながらも3回戦で川口に1-4でまさかの敗退。ここから夏の甲子園が遠ざかった。
15年は春の選抜大会で4強入りしたものの、夏は埼玉大会準決勝で白岡に敗れ、16年の夏は4回戦で市川越に0-1と惜敗。3年連続で公立勢に敗れる苦汁をなめた。夏の県大会決勝進出すらも、遠くなりつつあった。
苦悩の日々が続いたが、転機が訪れる。大学院に通い始めた森監督がチームを空けることが多くなった。「スタッフや選手たちに任せることが増えた」と森監督は選手たちの自立を求め、自主性を育んでいった。
甲子園を知らない選手たちが少しずつ変わっていく。森監督が「1年生から4番を打たせたのは初めて」と絶大な信頼を置く主将の蛭間は「甲子園に行けないかもしれないという不安があったが、森先生を信じてついてきた」。監督の背中を見て育った蛭間は「革命」を掲げ、新しい浦和学院を目指した。
規律を重んじる伝統に自主性を加えた。早朝の打撃練習も自分たちから起こした行動の一つ。森監督は「自立という意味では少しずつ形になってきている」と手応えをつかみ始めている。
今大会の決勝の相手は、4年前に敗れた因縁の川口。進化していく浦和学院の力を試すかのように導かれた対戦で、4年分の鬱憤を晴らした。決勝最多得点記録を塗り替える大勝は、殻を破った証しだろう。
昨夏の埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が、県勢で初めて深紅の大優勝旗を埼玉に持って帰ってきたことにうれしさと悔しさが入り混じっている。「昨年に続いて、埼玉に大優勝旗を持ってこられるように頑張りたい。夏の忘れ物を取りに行く」と森監督。今度は浦和学院の番だ。
浦学打線開眼 新たな歴史 個の力結集、花開く
春までは豊富な投手陣に支えられてきた今季の浦和学院。だが、集大成の夏は課題だった攻撃陣が成長を見せ、5年ぶりの甲子園切符をつかんだ。決勝はそれを象徴する大勝。19安打17得点は、2013年に先輩たちが記録した決勝の最多得点16点を1点上回り、100回目を迎えた大会に新たな歴史を刻んだ。
打線開眼を示したのが、「あそこで優位に立つことができたのが勝因」と森監督が振り返った二回の攻撃だ。
一回表に2点を先行したが、先発の渡邉がその裏に四球や失策も絡んで追い付かれた。迎えた二回。2死二塁から1番中前が左前へ運んで一、三塁とすると、矢野の内野安打で勝ち越した。
ここからが圧巻だった。なお一、二塁で打席に立った主将の3番蛭間が、内角寄りの甘い直球を右翼席に突き刺す3ラン。森監督も「あれが大きかった」とうなった一発が勢いを加速させた。続く上野も二塁打で4連打。さらに四球で一、二塁とし、後藤が中前適時打。この回計5点を奪い、主導権を握った。
2死からつながった打線は、個の力が結集されたもの。上野は「全員が最高のパフォーマンスを出せた」と胸を張る。森監督も「何としても勝つんだという思いが集まっていた」とうなずく。試合前日の練習で、遅い球をバットの芯で捉える意識を徹底。川口のサイドスロー右腕エース岩城を二回途中でマウンドから引きずり下ろした。
春までは、打線のつながりがいまひとつだった。課題を克服するため、早朝6時からロングティーを100本、続いて約1時間の個別の打撃メニューを野手全員でこなしてきた。全ては「投手陣を助けるため」(上野)。こつこつと積み上げてきた成果が、決勝の舞台で花開いたのだ。
野手陣の頑張りは、投手陣も知っている。森監督から「おまえが締めてこい」とマウンドに送り出されたエース右腕河北は最後の打者を外角高め直球で空振り三振させると、後ろを振り返りガッツポーズ。「自然とみんなの方を向いていた」。バックの仲間に感謝の気持ちがあふれ出た。
豪快3ラン 主将・蛭間、感謝の夏 聖地へ
思いを乗せた低い弾道のライナーがぐんぐん伸びた―。
3-2の二回2死。走者を2人置き、打席には浦和学院の蛭間。強打の象徴である不動の3番打者の頭に「本塁打」の3文字はない。「とにかく野手の間に強い打球を打つことだけ」。5球目、内角を突いた直球がシュート回転して真ん中へ。この絶好球を見逃すはずはない。「打った瞬間、『いったな』と思いました」。放たれた打球は右翼スタンドに突き刺さる3ラン。序盤で決めた。
「自分を厳しい環境に置き、野球人としても人としても成長したい」。群馬から埼玉にやってきた理由だ。1年から主砲を担い、新チームになり主将に。「責任感が強く、プレーでも声でも引っ張れる」(三浦コーチ)選手だ。だが、その半面、周りのことを最優先に、自身を追い込みすぎてしまうところがあった。
「自分、マイナス思考なんです」。そんな蛭間を特に気に掛けてきたのが森監督の長男の大コーチ。春季大会以降、2人は寮の同部屋で過ごした。大学で心理学を学ぶ大コーチは「彼をポジティブなメンタルにするのが僕の使命」と背中を押し続けた。今大会準決勝前夜にも「とにかく力むな。楽しまなきゃ損だぞ」。
この日の二回に飛び出した今大会初アーチ。一番喜んでいたのは「あの一発はでかかった。よかった」と大コーチ。蛭間も「本当に、支えてもらいましたから」と笑顔でタッチを交わした。「考えず、力まず、息を吐くだけ」。高校通算27本目は、まさに理想の一発だった。
腰を痛めて戦列を離れていた時に支えてくれた仲間たちにも思いを込める。「チームがまとまらず、つらかったこともあった。でも、最後はみんなが一つになってくれました」。名門野球部を背負う主将。感謝の夏は甲子園へと続く。
「大事な夏」 飛躍の証し 先発・渡邉
浦和学院を5年ぶりの栄冠に導く好投を見せたのは、背番号11の渡邉だった。準決勝に続いて決勝も先発を任され、完投こそ逃したものの、八回途中まで8安打5失点。甲子園を手繰り寄せ「小さいときから夢見ていた場所なので素直にうれしい」と笑顔がはじけた。
一回に味方の失策も絡んで2失点したが、「序盤はがちがちに緊張していた」と反省。フォームを「柔らかく、柔らかく」と言い聞かせ、リリースの瞬間だけ力を込めるように意識。その後は落ち着きを取り戻した。
五回には森監督に「投げさせてください」と志願して続投。八回に走者を2人出したところで無念の交代を言い渡されたが、「『それでは甲子園では勝てない』という森監督からのメッセージだと思う。80球を超えてからの投球が課題」と自覚。昨年の決勝で負けた悔しさもばねにして、夏の大会では最長のイニングを投げて成長を見せた。
3月に右肘を痛め、投球できない時期があったが、焦らず治療とトレーニングに専念。春の関東大会から復帰し、大事な夏にエース級の働きを見せた。夢の全国でもチームを勝たせる活躍が期待される右腕。この日果たせなかった完投は「甲子園にとっておきます」。
積極的打撃で5打数5安打 2番矢野
2番矢野が5打数5安打と大車輪の活躍。「攻撃型の2番打者として、怖がられる存在になりたかった」と積極的な打撃で優勝に貢献した。
大会2週間前の練習試合中に右手首を疲労骨折。医者からは手術を勧められたが、「大会に間に合わなくなる」と痛み止めを飲んで治療し、4回戦から出場した。
「緊張すると思う」と初の大舞台をイメージしながらも「自分の持ち味の元気を発揮し、甲子園球場を沸かせたい」と目を輝かせた。
決勝前に修正 先制の適時打 4番上野
準決勝の聖望学園戦で無安打に終わるなど、打撃不振が続いていた4番上野は4安打。一回に高めの内角直球をうまく上からたたき、先制の右前適時打を放った。「みんながチャンスを回してくれた」とチームへの感謝を口にした。
スイング時に力んで肩が入ってしまう課題を抱えていたが、決勝前日にフォームを修正。コンパクトでスムーズな打撃を心掛けた。「まだ課題はたくさん。始まったばかりなので、修正して全国優勝につなげたい」と前を向いた。
期待に応えて3打点で貢献 5番佐野
打撃を期待されて準決勝、決勝と5番に抜てきされた佐野が3打点で勝利に貢献した。一回、上野の適時打で先制した後、1死一、三塁で打席に入ると、「もう1点欲しかった。何とか外野に運ぼうと思った」と狙い通りの犠飛。八回にも中前に2点適時打を放ち、「センター返しを意識して抜けてくれてよかった」と振り返った。
本来は投手だが、昨年の決勝でも本塁打を放つなど打力に自信を持つ。夢の甲子園を実現させ「正直、実感はないが素直にうれしい」と喜んだ。
猛暑に耐え熱い応援 全国制覇へ「共に戦う」
5年ぶりの夏の甲子園を目指した浦和学院。一塁側の応援席には生徒や保護者ら千人以上が駆け付けた。南埼玉代表として出場が決まると、達成していない夏の全国制覇を期待する声が聞かれた。
試合開始は午前10時でも連日の猛暑で、スタンドではスポーツ飲料を飲むなどしてチームを応援した。応援団長で野球部3年の小松勇斗さん(18)は「目標の全国優勝へ、まずは代表切符を勝ち取れるよう、スタンドも共に戦う」と気合を入れた。先発の渡邉勇太朗投手の父信次さん(49)は「甲子園へ、攻めの投球をしてほしい」と期待した。
一回表に2点を先制するも、直後に追い付かれた。嫌なムードが流れる中、二回表に蛭間拓哉主将の3ランなどで5点を勝ち越した。ソングリーダー部3年で部長の栃村玲央さん(18)は「蛭間主将の一打の勢いが勝利につながるよう、応援する」と気を引き締める。
渡邉投手は二回以降は立ち直り、得点を許さない。三回にも1点を加え、6点リードで試合を折り返した。女子ソフトボール部2年で主将の吉田巴菜さん(16)は「追加点を挙げ、勝利に近づけてほしい」と願った。
スタンドの思いは選手たちに届き、八回に5点、九回に4点を追加して試合を決定づけた。応援席の興奮はさらにヒートアップ。九回、背番号1の河北将太投手がマウンドに。気迫の投球で、最後の打者を空振り三振に打ち取った瞬間、スタンドの応援団は互いに抱き合い涙を見せながら、喜びを爆発させた。
熱戦を終え、吹奏楽部3年の小笠由伽さん(18)は「甲子園でも応援を頑張ります」と気持ちを聖地に向けた。父母会長の西田弘さん(54)は「多くの仲間の思いを胸に全国優勝してほしい」とエールを送った。観戦した石原正規校長(59)は「全国でも一戦必勝で勝ち抜いてほしい」と期待を込めた。
今大会を振り返って 抜群だった浦学投手力
南埼玉大会決勝が行われた23日は、熊谷市で国内の観測史上最高気温となる40・1度を記録した。気象庁によると、県営大宮球場があるさいたま市では、大会期間中の平均最高気温は昨年より約8度高い35度。決勝は39・3度と最も暑かった。
熱中症対策として、県高野連では2015年夏の大会から三回と六回の終了時に選手たちに水分補給をさせている。だが、今大会はそれでも、脱水のために脚をつる選手が続出。その中で、夏としては初めて、今大会からタイブレークが導入され、武南-市川越の3回戦で適用。延長十三回で決着がついた。延長再試合はなかった。
5年ぶりに優勝した浦和学院は、その暑さに耐えられる投手力が群を抜いていた。決勝を含めた全6試合を継投で投げ切った。エース右腕河北のほか、渡邉、近野、美又の右3枚と左腕永島が登板して消耗を最小限に抑え、前評判通りの安定した勝ち上がりを見せた。打撃も調子を上げ、甲子園を懸けた川口との一戦は、決勝として最多の17得点を記録した。
1県1校制以降では初となる決勝に進出した川口は、エース右腕岩城と捕手高橋の2年生バッテリーと切れ目のない打線で躍進。5年ぶりに4強入りした川越東は4番前多らチームで8本塁打と打撃力の高さが、聖望学園は21犠打と小技を絡める攻撃とエース右腕坂本の好投が際立った。
南大会では11日の2回戦で狭山ヶ丘が1イニング最多本塁打タイとなる3本を放つなど、本塁打が量産。南大会の本塁打数は83試合で53本、1試合平均で0・6本。156試合73本で、1試合平均0・5本だった昨年よりも0・1本多かった。
ナインひと言
背 | 氏名 | 守 | コメント |
1 | 河北将太 | 投 | 日本一の投手陣を目指して練習してきた。投手陣を甲子園でもけん引したい。 |
2 | 畑敦巳 | 捕 | 甲子園では、投手陣を攻めの配球で引っ張り、全国優勝を果たしたい。 |
3 | 小町竜梧 | 一 | 甲子園へ向けて良い準備をして、数多く出塁し全国制覇に貢献したい。 |
4 | 後藤陸人 | 二 | 甲子園が決まりうれしい。日本一へ、安打を多く放ち、優勝の力になりたい。 |
5 | 矢野壱晟 | 三 | 守備の中心としてリズムをつくり、自分の持ち味の攻撃につなげたい。 |
6 | 中前祐也 | 遊 | 1打席目にこだわって練習してきた。切り込み隊長として活躍したい。 |
7 | 佐藤翔 | 左 | 甲子園に向かい、ベンチ全員で選手に声掛けやサポートができた。 |
8 | 蛭間拓哉 | 中 | 全員で1番から9番までしっかりつなぎ、点を取っていきたい。 |
9 | 上野暖人 | 右 | 一回から点を取ろうと決めていた。チームを勢いづけられてよかった。 |
10 | 近野佑樹 | 投 | 5年ぶりの甲子園が決まり安心した。全国でも自分のベストを尽くす。 |
11 | 渡邉勇太朗 | 投 | うれしいのひと言。甲子園では周りの人に感動を与える投球をしたい。 |
12 | 冨岡夏樹 | 捕 | 優勝目指してやってきたのでうれしい。甲子園では全員野球で臨む。 |
13 | 坪井壮地 | 一 | 今まで支えてくれた家族や大切な人、皆に感謝し、全国制覇を目指す。 |
14 | 永島竜弥 | 投 | 甲子園では県の代表としてふさわしいプレーをし、全国制覇を目指す。 |
15 | 大澤龍生 | 三 | 100回大会優勝のためにやってきた。甲子園で自分たちの力を発揮する。 |
16 | 阿部鳳稀 | 二 | 優勝のためやってきたのでうれしい。甲子園ではプレーで大暴れしたい。 |
17 | 下薗咲也 | 投 | 試合には出られなかったがベンチでサポートし、全員で優勝できてうれしい。 |
18 | 福島迅 | 捕 | ここまで来られたのは全員が一つになれたから。甲子園では優勝を目指したい。 |
19 | 美又王寿 | 投 | 全員野球でここまでやってきた。甲子園でも全員野球で優勝を目指す。 |
20 | 佐野涼弥 | 左 | 先輩たちから5回目の決勝で甲子園をつかめた。今までの分もうれしい。 |
(埼玉新聞)
神様がくれた痛み 浦学3年・蛭間拓哉主将
二回表2死一、二塁。巡ってきた好機。待っていた直球が来た。「センターを目がけて打とう」。バットを振り抜くとボールは右翼を越え、自身にとって今大会初の本塁打となった。
プロ注目の強打者だが、2月から腰の痛みに悩み続けた。主将でありながらチームを離れることも多く、仲間には申し訳ない気持ちがあったという。
春の県大会に続き、今大会も腰にコルセットを巻いて試合に臨んだ。痛みを我慢しながら勝ち進んだが、準決勝の聖望学園戦後は耐えられず、決勝まで練習が全くできなかった。それでも「力が抜けていいかな」と前向きに考え、下を向かなかった。
この日、打席に入る前、「打ちたい」と考えてスイングに力が入っていたことに気づいた。打席では息だけをして球を待った。右翼を越えていく白球を眺めながら「神様がくれた痛みなのかな。今までやってきてよかった」と思った。「浦学の看板を背負っている。甲子園では全力プレーで全国制覇を目指す」。熱い戦いはまだ続く。
故郷石巻の両親に
「ショートが動いていないぞ!」浦和学院の阿部鳳稀(3年)は、一塁コーチとしてチームを鼓舞し続けた。東日本大震災で被災した宮城県石巻市の出身。小学生時代、交流支援で石巻を訪れた浦和学院野球部と出会い、「強い学校で野球をしたい」と門をたたいた。二塁手だが、今大会はレギュラーの座を奪われた。裏方としてチームを支え、優勝に貢献したが、送り出してくれた両親のためにも活躍する姿を見せたいという。「甲子園までにレギュラーを取り返し、被災地に元気を届ける」と笑顔を見せた。
(毎日新聞埼玉版)
力まず決めた一撃 蛭間拓哉主将
試合を決めたのは、リーダーの一撃だった。二回2死一、二塁、浦和学院の中堅手・蛭間拓哉主将(3年)が、相手の直球をとらえ右越え3点本塁打。大きく息を吐き、淡々とダイヤモンドを回った。安堵(あんど)したようにも見える表情で。一気に流れを引き寄せた。
1年から4番に座り、現在は3番として中軸を担う。高校通算27本塁打。森士(おさむ)監督も「彼の思いやプレーが、チームにいい影響を与える」と認める存在だ。春の県大会決勝では、九回裏に同点本塁打を放ち6連覇に導いた。
だが、この夏、その力はなりを潜めていた。2月に痛めた腰が治らず、今大会直前は「今までで一番状態が良くない」ともらした。試合前に痛み止めを飲み、試合後に痛みに耐える日々。打席では力みが出て、満足できずにいた。初戦は内野安打が1本で、本塁打にはほど遠かった。
チームも力を出し切れなかった。初戦後のミーティングで、選手全員で課題を紙に書き出して共有した。チームをまとめるための策で、蛭間君は「常に冷静に周りを見られるように」と書いた。
2日前の準決勝で腰の痛みが悪化した。
それでも、「これは神様がくれたのかも」。決勝は痛みがあるからこそ、力まず軽やかなスイングになった。「けがではなく、最後は自分との勝負」と言い続けてきた蛭間君らしい前向きな発想の転換だった。
「最後にチームもまとまり、自分も打つことができた。ほっとしました」
自らに課してきた目標は「チームを勝たせる主将になる」。言葉通り、自ら引き寄せた5年ぶりの夢の舞台で全国制覇を目指す。「とにかくフルスイングで甲子園でも本塁打が出せれば。この代で『革命』を起こします」
夢舞台での完投勝利めざす 先発の渡邉投手
「行かせてください!」。決勝で先発投手を任された渡邉勇太朗君(3年)は五回、森士監督に続投を志願した。序盤は「緊張でカチカチになり、リリースのタイミングがずれた」。だが、三回2死一、二塁のピンチを直球で切り抜けると、四回は変化球もぴしゃりと決まり三者凡退。「最後まで投げたい」と思った。
昨夏の決勝で先発し負けた相手の花咲徳栄は全国優勝。「この悔しさの借りを返せるのは全国制覇だけだ」。白米やうどん中心に1日3500グラム食べ、体重は12キロ増の90キロ。ケガで試合に出られなかった春もひたすら走り込み、球速は最速149キロまで伸びた。
背番号11だが「マウンドに立てば自分がエース」。この日は「点差がついて甘くなった」と、2連打を浴びた八回に交代を告げられ、「まだ60~70点」。
甲子園での「完投勝利」に向け、「序盤の失点、甘い球もなくす」。さらなる成長をみせる。
フォーム修正 4安打大暴れ 浦学・上野選手
準決勝まで打率2割。結果が出ていなかった浦和学院の4番上野暖人選手(3年)が、大暴れした。
一回、内角の直球を上からたたきつけると右前へ抜け、流れを呼び込む先制打になった。その後も3長短打の活躍で、4番の役割を果たした。
この夏、4番を任されたうれしさから「打ちたい、ホームランを打つという欲が出て力が入りすぎてしまった」。つい下からすくい上げ、好機でもフライで凡退しがちだった。
「力まなくても自分には力がある。欲を捨て、集中しよう」。準決勝後、気持ちを切り替えるとともに、打ち上げず芯にあてられるよう、ビデオを見つつ耳の横でバットを持ち、スムーズに振れるフォームに1日で修正して臨んだ。
「まだ道の途中」と上野君。甲子園で待ち受ける好投手攻略に向け、研究を進める。
13年の選抜V OBら見守る スタンド
チームカラーの赤で埋まった浦和学院応援席では、野球部OBが活躍を見守った。
服部将光さん(23)は2013年の選抜大会で優勝した際、左翼手として活躍した。卒業後は日体大野球部に進み、4月から川口市立高校で事務員を務める。
「どの選手もうまいですね。甲子園は地方大会とまったく雰囲気が違う。大勢の観客の前で試合ができるし、ぜひ勝ってもらいたい」と母校にエールを送った。一方で、「川口もノーシードで決勝まで勝ち上がってきた。すごい」と話していた。
浦和駅などで本社号外配布
朝日新聞社は23日、南埼玉大会での浦和学院の優勝を伝える号外1万部を発行し、さいたま市のJR浦和駅や大宮駅などで配った。
浦和駅東口ではASA社員が「高校野球決勝の号外です」と声を張り上げ、号外を配った。日傘をさした女性や親子連れが次々と号外を手にしては、「浦学が勝ったのね」「(点が)すごい入ったんだ」と話しながら紙面を熱心に読んでいた。
(朝日新聞埼玉版)
浦学、決勝新17点V 蛭間「打った瞬間」弾丸3ラン
国内最高41・1度を記録した熊谷から35キロ。大宮公園の右翼席に浦和学院の3番・蛭間の弾丸ライナーが突き刺さった。同点の2回。1点を勝ち越し、なおも2死一、二塁で内寄りの直球をフルスイングした。
「打った瞬間に行ったと思いました。一本打ちたいと思っていたので、決勝で打てて良かったです」
高校通算27号は今夏初アーチ。1年夏から4番を任された侍ジャパンU―18代表候補の一撃で、この回5点を奪うと、一気に流れを呼び、19安打で、埼玉大会決勝の最多記録となる17得点で県川口を圧倒。13年夏決勝で16―1で川越東を下した記録をさらに更新した。
5年ぶりの夏切符。群馬から入学した蛭間にとっては初めての聖地だ。春季大会では県6連覇も、夏は勝てなかった。「本当に甲子園に行けるのだろうか…」。不安を打破しようと動いた。11日の初戦突破後、ミーティングを開催。ナインは各自のウイークポイントを紙に記した。主将を務める蛭間も「常に冷静に」と書いた。そんな行動が、ナインの結束を固めた。
この日朝、森士(おさむ)監督の携帯電話にLINEのメッセージが届いた。2年生左腕として13年春のセンバツを制した小島(早大)からだ。侍ジャパン大学代表としてハーレム国際大会(オランダ)に参加し「僕たちは世界一になりました。頑張ってください」と激励された。14年夏は小島を擁しながら3回戦で県川口に敗退。「おまえの分もリベンジしてやる」と返事し有言実行した。
昨夏は花咲徳栄が埼玉勢初の全国制覇。蛭間は「悔しかったし自分たちもやってやるという思いにもなった」という。13度目の出場を決めた指揮官も「昨夏に続いて(埼玉に)大旗を持って帰りたい」と力を込めた。
(スポニチ)
浦和学院17点V 蛭間3ランで打線点火
熱い男が、ウラガクに5年ぶりの歓喜を呼び込んだ。浦和学院(南埼玉)は決勝で17得点と打線が爆発。2回、蛭間拓哉主将(3年)が高校通算27号の3ランを放ち、県川口の勢いを止めた。森士監督(54)も「甲子園に出られない悔しさが乗り移ったような1発だった」とたたえた。
しっかり軸足を残し、痛めている腰を切って飛ばした。打撃の型は巨人阿部と重なる。巨人OBでもある三浦貴コーチ(40)からは「阿部は変化球でも軸をまっすぐ残して打っているよ」とアドバイスを受けている。「最後にようやく力みが取れて打てました」と白い歯を見せて笑う姿も、巨人阿部と重なった。
勝つまで油断しなかった。8回、蛭間は自ら10点目のホームを踏むと、ベンチ裏で中前祐也遊撃手(2年)を呼んだ。この日、攻守にさえない後輩に「雑になってるよ。夏は1球で決まるんだから」と声をかけた。中前は「シャッフルできた」と頭の切り替えに成功、2点適時打を放った。
ベンチから、塁上から、センターから、ナインに声を飛ばす。怒らず、熱くアドバイスする。森監督も「最近の子にしては珍しいくらい」と蛭間のキャプテンシーを認める。個々の技量は全国トップ級の猛者集団。「まとめるの、本当に大変でした」と苦労を明かしたが、悲願の甲子園でそれも報われた。
この日、埼玉・熊谷市で国内観測史上最高の41・1度を記録。決勝が行われたさいたま市内も相当な熱気だったが、蛭間は「今までで一番涼しいくらいでしたよ」とどこ吹く風。暑い埼玉の熱いキャプテンが、甲子園に熱さをもたらす。
(日刊スポーツ)
浦学、アツかった5年ぶりV 決勝史上最多17点で川口を圧倒
第100回全国高校野球選手権大会の地方大会は23日、4大会で決勝が行われ、南埼玉大会では、浦和学院が17-5で県川口を下して優勝。5年ぶり13度目の夏の甲子園出場を決めた。腰痛に苦しんだ主将の3番・蛭間(ひるま)拓哉外野手(3年)は3安打3打点で勝利に貢献。甲子園常連校も3年生部員にとっては、最初で最後の甲子園切符。2013年のセンバツ制覇に憧れて入学した現メンバーは、「目標は全国制覇」と力強く宣言した。
大宮は38・4度
国内最高気温41・1度を記録した熊谷市から、南東に約34キロ離れた大宮市も午後1時には38・4度をマーク。浦和学院ナインは、その熱気以上の歓喜の輪を作った。二回に右越え3ランを放った主将の3番・蛭間は、堂々と胸を張った。
「ちょっと内(角)よりの真っすぐ。決勝戦で長打が打ててよかった。甲子園に出られなくて不安な時があったけど、『革命を起こす』と言って続けてきてよかった」
豪快な通算27号で、流れを完全に引き寄せ、19安打17得点の大勝を演出。前回、甲子園出場を果たした2013年の95回大会決勝のスコア(○16-1川越東)を上回り、決勝戦の最多得点を記録した。
強打の浦学にあって、史上初の“1年夏から4番”に座った逸材も甲子園は遠かった。昨夏の決勝で花咲徳栄に敗れるなど、これまで狙った春夏4度の甲子園出場機会をものにできなかった。腰痛で別メニューが多かった主将は、明るい雰囲気を失わないようにしながら振る舞い、最後の夏にかけてきた。
現3年生は、2013年のセンバツ優勝を見て野球部の門をたたいた。甲子園常連校だけに、「最低でも1年夏から3年夏までの5季中、3度の甲子園出場」を思い描いていた部員も多い。そんな中、甲子園に届かず、暑い夏と厳しい冬を過ごしてきた。その状況で、森監督の考えも変わりつつあった。
「もう甲子園に出られないのかと思ったことがある。新たに、選手に主体性を持て、脱体育会というか…。自分で考えてできるようにした」
「革命」が実った
軍隊並みに号令一つで強制的に全員が徹底する練習から方向転換。個々の能力にあった打ち方など、選手自ら練習メニューを提案し、選ぶようにするなどした。これが、各選手の自主性を伸ばした。この“革命”が、5年ぶりの夏の甲子園出場につながった。
「南埼玉代表として、目標の全国制覇をして(深紅の)優勝旗を持って帰るようにしたい」
蛭間が力強く宣言した。そして昨夏、埼玉代表の花咲徳栄(今回は北埼玉)が手にした優勝旗に熱い視線を注ぐ。浦学が、“2年連続”埼玉県勢Vに目標を定めた。
(サンスポ)
浦和学院、V原動力は「徳栄に先越された」
「屈辱」から頂点へはい上がった。第100回全国高校野球(8月5日開幕、甲子園)南埼玉大会決勝戦が行われ、浦和学院が県川口を17-5で下し、5年ぶり13度目の甲子園出場を決めた。17得点は埼玉大会の決勝戦では史上最多得点。原点は昨年8月23日、ライバル・花咲徳栄(北埼玉=今日24日決勝)が優勝した甲子園決勝戦にあった。
歓喜の輪に向かい、センター深めに守っていた浦和学院・蛭間拓哉主将(3年)は走りだした。「つらかった。勝てて良かったな」とホッとしながら駆け、13秒後、19人の輪の中に両手を広げ、包み込むように抱きついた。優勝の実感がこみ上げた。
森士監督(54)は9回裏、ベンチからグラウンドへ向かう階段に塩をまいた。8回に5点、9回に4点。終盤の大量リードにも「先攻だから、点取らなきゃダメなんだよ!」と打撃陣を鼓舞し続けた。優勝の瞬間、ようやく重圧から解放されたかのように、両手を突き上げた。
全ては、昨年の8月23日から始まった。埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が、甲子園決勝まで勝ち進んだ。合宿所の食堂で、部員全員でテレビ観戦した。「誰も話さず、声を出してはいけないような雰囲気でした」と矢野壱晟三塁手(3年)は振り返る。優勝の瞬間も、実況アナウンサーの声だけが食堂に響いた。
森監督も別室でテレビを見ていた。花咲徳栄の強さは十分知っていた。しかし。
「埼玉初の全国制覇を目指す…そんなこれまでの監督人生からすると、先にやりとげられてしまった。屈辱というか、ふがいないというか。とにかく、衝撃的でした。立ち上がれないんじゃないかというくらいでした」
力を振り絞り、強いまなざしの教え子たちに言葉を発した。「徳栄に先を越されたのが、一番悔しい。来年、絶対に甲子園で徳栄を倒して優勝するぞ!」。選手たちのほえるような「はい!」を信じ、猛練習を重ねてきた。
苦手な左腕対策を徹底し、一定の技術はついた。あとは気持ちだけ。今夏の初戦当日は早朝5時すぎからバットを振った。朝食前に、腹の底から声を出し「敵は我にあり!」と4度唱和。わがまま集団と呼ばれたチームも、ようやく1つになった。蛭間は「そういう意味でもホッとした感じです」と笑顔を見せた。
試合後は、部員と父母によるビクトリーロードを歩み、近くの大宮・氷川神社へ。県優勝のお礼参りと、甲子園優勝の必勝祈願をした。「もう2度と甲子園へ行けないかと思っていた。また新たなスタートです」と森監督。屈辱から始まったチームは、笑顔にあふれていた。
(日刊スポーツ)
試合結果
決勝 7月23日(県営大宮) | ||||||||||||
TEAM | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | H | E |
浦和学院 | 2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 17 | 19 | 1 |
川口 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | 8 | 1 |
【浦】 | 渡邉、永島、美又、河北-畑 |
【川】 | 岩城、伊藤大、宮田、伊藤翼、武井、井樽-高橋、土屋 |
本 | 蛭間(浦) |
二 | 上野、矢野、坪井、畑(浦) |
浦和学院打撃成績 | ||||
位置 | 選手名 | 打数 | 安打 | 打点 |
⑥ | 中前 | 6 | 2 | 2 |
⑤ | 矢野 | 5 | 5 | 2 |
⑧ | 蛭間 | 6 | 3 | 3 |
⑨ | 上野 | 5 | 4 | 1 |
⑦ | 佐野 | 4 | 1 | 3 |
④ | 後藤 | 3 | 1 | 1 |
③ | 小町 | 3 | 0 | 0 |
H3 | 坪井 | 2 | 1 | 1 |
② | 畑 | 5 | 1 | 3 |
① | 渡邉 | 2 | 0 | 0 |
1 | 永島 | 0 | 0 | 0 |
1 | 美又 | 0 | 0 | 0 |
H1 | 河北 | 1 | 1 | 1 |
計 | 42 | 19 | 17 | |
川口打撃成績 | ||||
位置 | 選手名 | 打数 | 安打 | 打点 |
⑥ | 相馬 | 4 | 0 | 0 |
⑧ | 池田 | 3 | 2 | 0 |
⑦ | 安西 | 5 | 2 | 0 |
⑨ | 豊田 | 3 | 0 | 0 |
③ | 佐藤 | 3 | 1 | 1 |
② | 高橋 | 3 | 1 | 1 |
2 | 土屋 | 0 | 0 | 0 |
⑤ | 北原 | 3 | 1 | 0 |
H | 松下 | 0 | 0 | 0 |
R5 | 石橋 | 0 | 0 | 0 |
④ | 大島 | 4 | 1 | 0 |
① | 岩城 | 0 | 0 | 0 |
1 | 伊藤大 | 2 | 0 | 0 |
1 | 宮田 | 0 | 0 | 0 |
H | 佐々木 | 1 | 0 | 1 |
1 | 伊藤翼 | 0 | 0 | 0 |
1 | 武井 | 0 | 0 | 0 |
1 | 井樽 | 1 | 0 | 0 |
計 | 32 | 8 | 3 |
投手成績 | |||||||
TEAM | 選手名 | 回 | 被安打 | 奪三振 | 四死球 | 失点 | 自責点 |
浦和学院 | 渡邉 | 7 0/3 | 8 | 5 | 2 | 5 | 1 |
永島 | 2/3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
美又 | 1/3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
河北 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | |
川口 | 岩城 | 1 2/3 | 6 | 0 | 4 | 7 | 7 |
伊藤大 | 3 2/3 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | |
宮田 | 1 2/3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
伊藤翼 | 0/3 | 3 | 0 | 1 | 3 | 3 | |
武井 | 2/3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | |
井樽 | 1 1/3 | 6 | 0 | 2 | 4 | 4 |
TEAM | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 併殺 | 残塁 |
浦和学院 | 2 | 10 | 5 | 5 | 1 | 1 | 13 |
川口 | 7 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 7 |
浦和学院が19安打、17得点で川口に圧勝した。5年前にチームがマークした16得点の決勝得点記録を塗り替えた。
2-2の二回、蛭間が右越え3ランを放つなど、打者一巡の長短5安打の猛攻で一挙5得点。試合の流れを決めた。川口の先発岩城の甘く入った球を見逃さず、鋭く振り抜いた。その後も攻撃の手綱は緩めず、終盤にも計9得点。
先発渡邉は八回途中8安打5失点。制球が安定せず、イニングによって調子の波があった。ただ、最高球速146キロをマークするなど、ポテンシャルの高さは示した。
川口は先発岩城が二回途中7失点で降板。強打を警戒し四球を出して苦しくなったところを痛打された。打線は一回に佐藤の左前適時打で一時は同点に追い付くなど粘りを見せた。特に上位打線は渡邉の速球に振り負けなかった。