浦和学院(南埼玉)が13年夏の1回戦で敗れた仙台育英(宮城)にリベンジを果たし、6年ぶりの夏の甲子園白星を挙げた。
1回2死二、三塁から昨秋までエースだった5番佐野涼弥外野手(3年)が右中間へ先制の2点適時打。3回には2番矢野壱晟内野手(3年)の適時三塁打などで2点を加え主導権を握った。
8回にはU18日本代表候補の主砲・蛭間拓哉外野手(3年)が左中間にソロ本塁打を放つなど2点を加え6-0。9回にも3点を奪った。
守ってはプロ注目の190センチ右腕、渡辺勇太朗投手(3年)が好投。最速149キロの直球とスライダーなどで仙台育英打線を6回3安打無失点。7回からは継投。永島竜弥投手(2年)美又王寿投手(1年)河北将太投手(3年)とリレーし4投手で完封した。
浦和学院は仙台育英と前回13年夏の1回戦で対戦。乱打戦の末、10-11でサヨナラ負けを喫していた。
仙台育英は06年大会から続いていた初戦の連勝が8でストップした。
(日刊スポーツ)
4投手で完封リレー「5年前は小島1人に悲しい思いをさせた」
第100回全国高校野球選手権大会第8日は12日、甲子園球場で2回戦4試合が行われ、第2試合は出場全56校で最後の登場となった浦和学院(南埼玉)と仙台育英(宮城)が対戦。浦和学院が9-0で勝利し、6年ぶりの夏1勝をあげた。
13年夏の1回戦、10-11でサヨナラ負けを喫した仙台育英を相手に完勝でリベンジを果たした。先発の1メートル90の長身右腕・渡辺が6回3安打無失点の好投。7回からは左腕・永島、1年生投手の美又、背番号1を背負う河北と細かくつないで無失点リレーを完成させた。
5年前はエース小島が1人で182球を投げた。森士監督は「予選から投手リレーで勝ち上がってきたので、今日もそれでいこうと決めていました。5年前は小島1人に悲しい思いをさせてしまった。真価が問われると思ったので継投で臨みました」と圧巻の投球を続ける渡辺をわずか90球で降板させた。
チームに勝利を呼び込んだ渡辺は「ストレートがいつもより良かった」と自己最速タイとなる149キロの直球で打者を圧倒した。あと1キロと迫る大台については「狙ってではなくて、勝つ投球をしている中で出せればいいかなと思います」と意欲を見せた。
(スポニチ)
佐野が2安打4打点「目の前の一戦一戦を戦っていきたい」
浦和学院の佐野が2安打4打点と活躍した。一回から先制の2点二塁打を放ち「第1打席で1本出たのでその後は楽にいけた」と満足そうに話した。九回には三塁打で2点を加えた。
本来は投手だが、今春に左肩を痛めて野手登録となった。けがが回復すれば今後、投手に戻る意向。今は夏の甲子園大会に集中し「目の前の一戦一戦を戦っていきたい。チームに貢献したい」と意気込んだ。
(サンスポ)
「5年前悲しい思い」 因縁対決4人継投で制す
浦和学院にとって、6年ぶりとなる夏の甲子園での白星。森士(もりおさむ)監督はお立ち台で、「本当に選手たちが、よくこの一戦でつないでくれた」と言って目に涙を浮かべた。
この日の相手は、5年前の第95回大会の初戦で敗れた仙台育英。2年生エースでその春の選抜大会を制した左腕小島和哉(早大)が左足をつりながら182球を投げ、途中降板。接戦の末、10―11でサヨナラ負けを喫していた。この敗戦を機に、1人の投手に頼らないチームを作ってきた。
「確かに(相手の)ユニホームを見れば、よみがえってくるものはありますけど、自分たちのパフォーマンスをしっかりさせてやることだけを考えていた」と森監督。今夏は4投手でつなぎ、9―0で勝った。継投を選んだ理由について、「5年前に1人、悲しい思いをさせてしまったので」と語った。
感極まったことを問われ、「(相手が)仙台育英の試合というのもそうだが、うちの選手がたくましくなった。彼らに僕自身が感動してしまって、ちょっとグッときてしまいましたね」。そう言って、また目を潤ませた。
○蛭間(浦) 八回に本塁打。「中盤から追加点が取れていなかったので、1本出すぞという気持ちだった。いい打球だったと思う」
(朝日新聞)
浦和学院、仙台育英に5年前の雪辱果たす
七回の攻撃、浦和学院の森監督が動く。好投していた先発右腕・渡辺に代打を告げた。
渡辺は自己最速タイの149キロの直球とスライダーで被安打3と危なげなく、球数も90球。しかも4-0とリードしていた。続投もできたはずだが、森監督は「切れが悪くなり、ヒットも浴び始めていた」と明かす。迷わず交代を決めたのは救援陣への絶対的な信頼があるからだ。
2番手でマウンドに上がった2年生左腕・永島は「先発は80球くらいの交代がほとんどで、継投に驚きはなかった」と準備はできていた。カットボールを低めに集め、2回をパーフェクトに抑えた。九回は美又、河北の両右腕をつないで、零封リレーを完成させた。
森監督には苦い経験がある。前回出場した2013年の第95回大会は、センバツで優勝し春夏連覇を目指したが、初戦で仙台育英に10-11でサヨナラ負けした。当時はエース頼みで、小島(おじま=現早大)の脚がけいれんしても続投させざるを得なかった。「あの試合を機に複数の投手で勝つチーム作りをしてきた」と森監督。今年は南埼玉大会全6試合を継投で勝ち上がり、分厚い投手層を築いた。
試合後、森監督は「真価が出た」と投手陣をたたえた。さらに「選手たちがよく勝ちにつなげてくれた」。仙台育英に5年前の雪辱を果たし、涙があふれた。
浦和学院・主将の蛭間、呼吸法生き得点
主将の一打が打線を再び活気づけた。八回無死、浦和学院の3番・蛭間が外角直球を流し打ち、左中間スタンドへ運んだ。5イニングぶりの得点をもたらすと、チームは八、九回で計5点。蛭間は南埼玉大会決勝から取り入れた呼吸法が生きた。投手が足を上げた時に鼻で息を吸い、口からゆっくり吐きながら振ると、力みが取れるという。「一本欲しいところでリラックスしてしっかり打てた」と納得の表情を浮かべた。
浦和学院の佐野「投げるために打つ」
ともにマウンドを争った仲間を助けたい一心だった。一回2死二、三塁。6球目、真ん中高めに浮いた直球を豪快に振り抜くと、打球は右中間を破る先制の2点適時二塁打に。「渡辺を楽にすることができてよかった」と目尻を下げた。
元は最速143キロを誇る左腕投手。1年の春季大会からベンチ入りして将来を嘱望されたが、花咲徳栄に敗れて涙をのんだ昨夏の埼玉大会決勝以降はフォームを崩し、春先からは肩を痛めてマウンドから遠ざかった。
非凡な打撃を買われて南埼玉大会は「背番号20」でベンチ入り。初の甲子園には外野手として乗り込んできた。「今は試合に出られることがうれしい」と声を弾ませるが、投手を諦めたわけではない。まだ全力では投げられないものの、2日に1度は投球練習に精を出している。その姿に森士監督も「投げるチャンスはあると思う」と可能性を示唆する。
「チームが勝つのが一番だけど、このまま野手で終わるのは悔いが残る。投げる機会を作るためにも、しっかり打たないと」。夢のマウンドに立つために、今は全力でバットを振る。
(毎日新聞)
攻守で「リベンジ」 蛭間拓哉主将
「なんとか1本出す」。
八回、先頭打者としてそう誓った蛭間拓哉主将(3年)。直球に狙いを絞り、甘く来た球を見逃さなかった。すかさず打ち返し、「打った感触が良くて『いってくれー』と思った」。祈った通り、打球は左中間方向にぐんぐんと伸び、そのままスタンドへ。自身の通算28本目の本塁打になった。一、三回で計4得点するも、その後は封じられていたチームの勢いを再び解き放つ一打に「うれしかった」と無邪気に笑った。
中堅手として、守備でも魅了。六回2死一塁、相手打者が放った打球をスライディングキャッチし、反撃の隙も与えなかった。好投を続ける渡辺勇太朗投手(3年)の背中を見ながら、「フォローしたい一心」だった。
5年前に初戦で敗れた仙台育英との対戦が決まってから、蛭間君は「先輩たちに代わってリベンジする」と言い続け、そして成し遂げた。次の二松学舎大付は、夏前の練習試合でサヨナラ負けをした。蛭間君は「今日と同じように序盤を大切に戦う」と気持ちを切り替えていた。
(朝日新聞)
大谷研究、しなる長い腕 浦和学院の渡邉、圧倒的な存在感
きっかけはふとしたことだった。昨年秋に米大リーグ、エンゼルスの大谷の投球フォームをまねながらキャッチボールをした時だ。「すごく投げやすい」。190センチ、90キロ。誰もがうらやむ上背と、長い腕を持つ浦和学院の渡辺の理想のフォームは決まった。
そこからは、暇さえあれば、映像でスーパースターの投球フォームを見た。足の上げ方、踏み込む時の体重移動。投手コーチと一緒に研究する中で、「お前も将来こういう投手になるんだぞ」と言われた。
迎えた甲子園初戦。強豪の仙台育英に対してあふれる才能は解き放たれた。大谷のようなゆったりとしたフォームからぐっと投げ下ろす。最速は149キロ。打者の手元で鋭く曲がるスライダーは絶品だった。「狙った投球ができた」
6回7奪三振、無失点。中盤、ボールが抜けたのは反省だが、圧倒的な存在感は観客をうならせた。受けた捕手の畑は「県大会とはスピードが全く違った」。大舞台が潜在能力を引き出したか。創志学園の西、金足農の吉田に続き、また一人楽しみな右腕が現れた。
(時事通信)