先月の沖縄合宿で、バックネット裏で、紅白戦を見ていた森士監督から叱責(しっせき)が飛んだ。「失敗には原因がある。その原因を課題に変えていかなきゃいけないんだ。それが人間性」
選手は試合を中断し、森監督の周りに駆け寄ると帽子を取って耳を傾ける。
浦学野球をひもとくキーワードは「人間性」である。
練習中に手を抜く、声を出さない、あいさつができない……。いくら技術があっても、メンバーからはずすことはよくある。74人の部員の代表として試合に出 場することは、部員全員が信頼できる「人間性」がなければならない。「どんな技術を持っていても、それを引き出すのは人間性」
森監督は父克(かつみ)さんに大きな影響を受けた。森監督の野球人生は小学生の時、父の指導する野球チームで始まっている。徹底して教え込まれたのは手を抜かず真剣にやる--ということだ。「厳しい人でね。野球に対する姿勢はうるさく言われたよ」
高校に進学するとき、教員をめざすか野球を続け甲子園をめざすか迷った。
父には「勉強もしやすいから」と大学付属高への進学を勧められた。だが、森監督は県立上尾高を選ぶ。
当時は上尾高の「全盛期」だった。野本喜一郎監督のもと79年夏、80年春と連続して甲子園に出場した。
「きっと反対される」。父に同高進学を伝えると、予想外の言葉が返ってきた。「自分で選んだんだから、途中で辞めるって絶対に言うなよ」
だが、高校、大学とけがに泣き一度もレギュラーになれなかった。「自分の選択を大人として認められたプライドがあった。辞めたいなんて言えない」
野球と向き合う姿勢を子にたたき込んだ父は16年前に亡くなった。子がめざす「心の足並みのそろった全員野球」は「メンバー外で、常に下から見上げていた自分が高校野球にできる恩返し」でもある。
森監督は毎年、新入部員と約束を交わす。
「最後の一分一秒までメンバー入りをあきらめずに頑張ること」
浦学の練習量と厳しさは全国でも有数とされる。毎日素振り1000本、10キロのランニング、年間約150回の練習試合……。そして、甲子園のベンチに入れる選手はたったの18人だ。
例年100人を超える部員間で厳しいメンバー入りの競争があるが、森監督は力を込めて言う。
「メンバーになれなくても、努力することによって得るものは大きい。挑戦し自分の限界を超えるというのが浦学の野球の原点であり魂だ。これを伝え、選手に『浦学に入って良かった』と思ってほしい」
沖縄合宿の紅白戦で、ボールを追い、声を張り上げる選手たちを見て、森監督がつぶやいた。
「選手の力は無限大」
センバツまで45日。「全員野球」という春風を甲子園で吹かせるため、浦学の挑戦が続く。
(毎日新聞埼玉版)