全国高校野球選手権大会は今夏で100回の節目を迎える。埼玉新聞社は、それを記念し春、夏の甲子園大会で準優勝以上の実績を持ち、「埼玉4強」と評される監督4氏の対談を企画。さいたま市内で座談会を開き、高校野球の魅力や印象に残る試合、指導方針などについて聞いた。白球を通してつながる人との絆や、球児と共に目指す夢、諦めない姿、純粋さ…。4氏の言葉から人間関係が色濃く反映される「国民スポーツ」の深みが浮かび上がる。
対談したのは、春日部共栄の本多利治監督(60)=1993年夏準優勝=と、聖望学園の岡本幹成監督(56)=2008年春準優勝=、浦和学院の森士監督(53)=13年春優勝=、花咲徳栄の岩井隆監督(48)=17年夏優勝。
「人」が得点
明治期に日本に伝わった野球は、全国に普及し1915(大正4)年、夏の高校選手権大会の前身となる全国中等学校優勝大会が誕生。戦時下で開催できない年はあったが高校野球は1978(昭和53)年から現行の都道府県49代表制(記念大会を除く)となり、夏の風物詩と呼ばれる「国民スポーツ」に成長した。
長年愛され続けている高校野球の魅力について、4氏の中で最年長、指導歴38年の本多氏は「人が一塁、二塁、三塁を踏んでホームに返る。人が踏んで1点入るというスポーツは野球だけ」と“人間との関わり”が深い競技の特性を紹介。「そこには仲間を大切にするとか、自分を捨ててでもチームのために頑張ろうとする姿勢がある。諦めない人の姿が100年の歴史を支えている」と強調した。
球児の変化に喜び
高校野球の魅力は「一つの夢をみんなで追う純粋さ」と話す岡本氏は、自分の夢と生徒たちの夢を重ね合わせる。大阪から“異国の地”埼玉に飛び込んで34年がたつが、「今でもずっとやっているのは、全員が一つになって頑張っている子どもたちと共に、夢を追い掛けているというのが一番大きい」と他の3氏にも通じる思いを代弁した。
埼玉4強と称される4氏だが、注目度の高い高校スポーツは「勝てば生徒の頑張り、負ければ監督の責任」と言われるのが常。看板チームを背負う重圧は相当のものだ。対談では4氏とも勝負の世界に長年身を置くつらさを吐露する場面も。
昨夏、花咲徳栄を県勢初の全国制覇に導いた岩井監督だが、「負けて落ち込むことの方が多い。(高校野球は)好きだけど、嫌いなものかもしれない」と複雑な思いを明かす。それでも「やっぱり、子どもたちの変化していく姿が好き。入学時に弱かったり、ちょっと怒り過ぎた子が、それを乗り越えて大人になっていくことは快感」と生徒の成長が何よりの喜びという。
通じ合う心
平成に入ってからの埼玉高校野球史を振り返ると、春日部共栄と聖望学園、浦和学院、花咲徳栄は、夏の埼玉大会で幾多の名勝負を繰り広げてきた。そこには歓喜と落胆、笑顔と悔し涙、そして「甲子園」という一つの夢に向かって、真剣に戦ってきたからこそ生まれる友情がある。
大会中は頂点を競うライバル関係の4監督も勝負が終われば、白球がつなぐ同志であり、親しい先輩後輩の関係だ。対談では4氏の本音が飛び交う野球談議に花が咲いた。
森氏は、苦楽を語る3氏の言葉に「本当に共感する。数年前に、ふと『自分は野球というスポーツも好きだけど、どちらかというと野球を通じての人間関係や付き合いが好きなんだな』と気付いた」と頬を緩めた。
その上で「人と人との関係が深まり、人を好きになっていく。生徒たちは宝であり、財産。高校野球の魅力が、そのまま人生に相通じている」と、4氏に共通する思いを総括する言葉で、笑顔満載の野球談議を締めくくった。
夏の甲子園100回大会記念企画 「埼玉4強」監督座談会
埼玉新聞社は、今夏で全国高校野球選手権大会が100回の節目を迎えることを記念し、春、夏の甲子園大会で準優勝以上の実績を持つ春日部共栄・本多利治氏、聖望学園・岡本幹成氏、浦和学院・森士氏、花咲徳栄・岩井隆氏の「埼玉4強」監督を招いた座談会をさいたま市内で開催、高校野球の魅力などについて聞いた。座談会には本社から関根正昌常務取締役と吉田俊一編集局長が出席。沢田稔行編集局次長が司会を務めた。
―これまでの指導歴で最も印象に残っている試合は。
森 監督に就任した91年秋から本多先生との戦いが続きました。チームとしても監督としても共栄さんに育ててもらった印象が強い。一番思い出すのは、埼玉高校野球史に注目の決勝として挙げていただいている00年の決勝。共栄のエース中里君と、うちの坂元弥太郎の投げ合いで延長十回の末サヨナラ勝ちした。2年連続決勝で負けていて、その悔しさを結集して何とかしがみつきました。あの時、弥太郎は自分でサヨナラのホームを踏んでるのに勝った意識がなかった。そのぐらい、みんな目の前に無我夢中だった。
―選手に掛けた言葉で印象に残る言葉はありますか。
森 共栄のエース中里君と対戦した00年の決勝で、十回表のピンチに共栄4番のセンターに抜けそうな当たりが、(浦学のエース)弥太郎のグラブに収まって、ピンチを抑えた。その時、キャッチボールをしていた中里君が「がくっ」とした。選手に「今、中里ががくっとした。この回いけるぞ」と言ったら、その裏、サヨナラ勝ちにつながりました。野球は攻守が切り替わる中で「間」がある。その時間、瞬間の心理というが、すごくまた楽しめる。野球の醍醐味ですね。
あと(全国優勝した)13年の春の選抜甲子園で、初戦の土佐(高知)戦に勝った翌朝の散歩中に選手に「この大会勝てるぞ」と言った言葉が印象に残っています。あの時、自分の中で風が吹いている感じがしたんです。それってすごく大事なことで、選手たちがその気になっていきました。
―なぜ高校野球がこれほど愛されているのでしょうか。
森 スポーツ庁の中で、「見る、する、携わる」というスポーツの楽しみ方が奨励されている。高校野球はもともと、そういうものが原点にあった。野球経験者はもちろん、ご年配の方々も何か自分とダブるものがある。自分がプレーしていなくても、見て楽しめる。青少年においては自分の将来のビジョンというか憧れを描けますよね。
マスメディアの応援も大きい。その分、高校野球というのはそれにふさわしいマナー、姿でなくてはならない。いろんな面でマスメディアに見ていただいているので、それが普及している一番の理由だと思います。
―選手たちに接する際に最も大切にしていることは。
森 選手のいい部分を引き出すために「見る」という僕の原点は変わりません。恩師の野本監督の「教育の原点は選手と1分1秒一緒にいてあげることだ」との言葉が心に残っています。あとは練習を全員でつくり上げていくことに重きを置いています。
僕自身が高校、大学と背番号をつけた経験がないので野球は9対9のスポーツですが、それだけでないプラスアルファの部分が大きなウエートを占めると思います。それは日々の練習や生活から生まれる。目標は甲子園出場、全国制覇ですが、目的は勝負の世界に身を置いた中で自らを高める人間形成。社会性のある人材を育てていきたい。
※森監督の部分のみ抜粋
森士(もり・おさむ)
浦和学院高校野球部監督。浦和市(現さいたま市)出身。53歳。上尾高~東洋大出。現役時代は右下手投げ投手。1991年8月、27歳でコーチから監督に就任し、これまで数々のプロ野球選手を輩出してきた。チームを埼玉屈指の強豪に育て上げ、2013年春の選抜高校野球大会では同校を初の全国優勝に導く。春夏合わせて20度の甲子園出場で通算26勝。17年3月には早大大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士取得。
(埼玉新聞)