浦和学院が強打で県川口を圧倒し、5年ぶり13度目の甲子園出場を決めた。
背番号20の佐野涼弥外野手(3年)は準決勝に続いて「5番・左翼」でスタメン出場。8回にはだめ押しとなる2点適時打を放った。「これまで甲子園のチャンスが4回あって、全部逃していた。最後の5回目でつかめたのは本当にうれしいです」と笑顔が弾けた。
昨夏、花咲徳栄との県大会決勝では、マウンドにいた。それも最速143キロ、抜群のスライダーが武器の注目2年生左腕だった。しかし決勝では連続で押し出し四死球を出すなど、制球が乱れた。上体が突っ込んでいた。森士監督(54)は「決勝の少し前からだったかな。2年生だし、プレッシャーもすごかったんでしょう」と振り返り、悔やむ。佐野のフォーム、球筋にこれまでにない違和感が生まれたという。
佐野は「まさかここまで崩れるとは思わなかった」と当時を回想する。イップスに近い状態に陥ったこともあったという。懸命の努力で修正すると、今度は肩に痛みが出た。なかなか満足にボールが投げられず、今年6月になっても、グラウンドの隅で硬式テニス球を目の前のネットに向かって投げていた。「ボールの重さに頼らずに投げる練習です」。
最後の夏、佐野は背番号20を着けた。大会序盤、試合前ノックでは左翼に入るも、本塁へのスローイングはしなかった。試合中は「しょげてる姿を見せたくない。率先して、チーム最優先で動きます」と、ベンチ裏で投手陣の給水サポートに回った。ベンチでは誰よりも大きな声を出していた。献身的な姿を、森監督は「人生いい時ばかりじゃないから。この苦労はいつか将来、絶対に生きる」としっかり見ていた。
県大会ではマウンドには戻れなかった。それでも長打力を買われてスタメンで決勝を戦い、優勝の瞬間もグラウンドにいられたことを「本当にうれしかった」と佐野は言う。ショートバウンドこそしたが、本塁封殺を狙う中継に入った三塁手への送球は投手らしい低く鋭い軌道で、完全復活への兆しを見せた。
ブルペンにはしばらく入っていない。しかし、全盛期の球筋ははっきり脳裏に残る。「もう1度しっかり調整して、もしチャンスがあれば」と甲子園のマウンドへの希望は捨てていない。「まずは甲子園でも背番号をもらえるよう、明日からも一生懸命練習します」。大会を通じて佐野に悲壮な表情は一切なく、最後まで朗らかで前向きだった。
(日刊スポーツ)