◇独立Lの経験伝授
八潮南高(埼玉県)の野球部コーチ甲斐(かい)裕一は、浦和学院の捕手だった2000年夏の甲子園に出場。バッテリーを組んだ坂元弥太郎(ヤクルト、西武など)は、1回戦で19奪三振の大会タイ記録(当時)を樹立した。
「構えたところにボールが来る。打たれたら僕のせいだと責任を感じながらリードした」
国士舘大に進学すると教員免許取得を優先し、準硬式に転向。だがプロ野球への夢は捨てがたく、大学院では社会人のクラブチーム・西多摩倶楽部でプレーした。
大学院修了後の07年秋、プロの入団テストに不合格となると、独立リーグのBCリーグ・石川のトライアウトで入団が決まった。「野球を職にすればその経験は将来、指導者となっても役立つと思った」
石川で出会ったのが、プロでは打撃コーチとして数多くの打者を育てた監督の金森栄治。その教えは「脇を締めろ。(スイングは)下半身から回せ」とシンプルだった。
半信半疑で練習を続けた1年後、「金森さんのいろんな教えがパッとつながった」と感じた。打球の質が明らかに変わり、2年目の打率は.291と急上昇した。
チームはバスで6時間以上の移動が当たり前。生活のため、オフにはスポンサーのもとで荷物の積み出しといったアルバイトに早朝から精を出し、夜は寝る間も惜しんで練習に打ち込んだ。
厳しい環境だったが、地域密着を目指す独立リーグは野球教室や中学の授業(総合的学習の時間)への参加で子供と触れあう機会も多く、「やりがいはあった」。
10年オフに石川を戦力外となると、大学院で取った保健体育の専修免許を生かして埼玉県の臨時的任用教員(常勤講師)に就き、2年で2つの中学に勤務。今春から現在の八潮南高へ転任した。
中学2年間の勤務実績が認められ、4月下旬に高校野球部のコーチとして指導が許可された。打撃指導では、独立リーグでの経験を生かし「根本的なことから分かりやすく」を心がけている。
今秋、強豪ひしめく埼玉県大会で打ち勝ちベスト8に進出。「彼の経験に裏打ちされたアドバイスは子供たちへの浸透力が違う」と監督の斎藤繁も感心する。
指導者としての目標はずばり甲子園。「出ると出ないとでは大違い。僕も実感しましたから」。いつか母校(浦和学院)を倒して大舞台へと夢見る。(文中敬称略)
(産経新聞)