先月31日、浦和学院のセンバツ出場が決まり、グラウンドで選手は喜びを爆発させた。帽子を投げ、胴上げされた今成亮太主将(2年)が1回、2回と青空に舞う。その輪を後ろから控えめに、笑顔で見つめる3人の姿があった。
マネジャーの赫(てらし)杏子さん(2年)、浅香智美さん(2年)、斎藤伶香さん(1年)である。
「チームがナンバーワンをめざすのならマネジャーもナンバーワンでなければならない」。部全体を統括する高間薫部長はマネジャーについてそう評する。
電話番、ヘルメットやボールなど約30種の備品の管理、客へのお茶出し……。練習中は数時間立ちっぱなしで動き回る。休日の練習試合には必ず参加し、スコ アをつける。それを基に選手ごとに詳細なデータをはじき出すのだ。そんな多忙な女子マネジャーにも毎年約20人の応募あり、実際になれるのは各学年2人だ けという“狭き門”だ。
3人の共通点は、兄が浦学野球部OBである。
「メンバーになれなくても人間的に強くなれる。絶対やってて意味がある」
赫さんは、三つ上の浦学OBの兄の言葉で入部を決めたという。赫さん自身も小学校では少年野球団に所属した。兄の自主練習にも付き合った。甲子園への思いが募った。「女子(野球)の甲子園はない。でも、ただの応援ではなく甲子園に行きたい」
浅香さんも忘れらない光景がある。四つ違いの兄が引退した01年の夏の県大会準々決勝の春日部共栄戦である。2点リードを九回に逆転され敗れた。兄はベンチ入りできずスタンドから見つめた。自宅に戻った兄は真っ赤な目をして母に感謝し、頭を下げた。
「浦学で私も甲子園に行きたい」と浅香さんは思うようになった。
斎藤さんは練習を見て、かけ声の大きさ、迫力に圧倒された。何より、選手の真剣さが印象的でマネジャーになった。普段は黙々と作業をし、試合では部員と一緒に声をからす。
浅香さんはマネジャーについて「普通の高校生では味わえないことを経験させてもらってる」と笑顔で話す。「社会に出て役に立つし、浦学でやってこれたと自 信がつく」というのは赫さんの感想だ。マネジャーには「社会人に要求されるようなことをやる」(高間部長)という厳しさがあるが、3人は「浦学野球部に悪 い印象を与えないよう、服装や言葉遣いには私生活も含めて気をつけています」とみずからを律し、イメージにも気を配る。
練習時間の問い合わせ、メディアの取材申し込み……。浦学のグラウンドにはひっきりなしに電話がかかる。選手と同じ濃紺のジャンパーを身につけ、落ち着いたマネジャーの声が選手たちの耳にも届く。
--はい、浦和学院高校野球部グラウンドです
--少々お待ち下さい
「浦学の野球が一番好き」という彼女たちにも春風がやがて吹く。
(毎日新聞埼玉版)