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今、浦学にできること 生活用水などの物資を提供

 4月1日から4月3日にかけて、浦和学院高等学校では東北地方に災害物資の支援を行いました。現地では、多数の避難所を直接訪問し、お見舞いと物資の提供を行いました。被災地の写真と含めてご覧下さい。また、現地の模様を4月5日火曜日 18時30分頃から5分間、NHK FM82.5のなかでも、電話でのライブでお伝えされる予定です。

 クリックしてご覧下さい。全11ページです。
 ⇒23.4.3 今、浦学にできること.pdf

<対応への協力>
・専修大学学長室様、石巻専修大学事務課様
・石巻専修大学校友会会長 伊藤様

<物資支援の寄贈>
・お煎餅70箱 喜多山製菓株式会社様(片岡同窓会会長)
・ペットボトル多数 代山・寺山・中野田自治会の皆様、県立南稜高校野球部様
・飲料水等 社会福祉法人 元気村様

<物資支援購入への早期対応>
・飲料水40ケース 西武商事株式会社様
・燃料 鈴木清作商店様

・本校野球部が物資支援の準備協力をしてくれました。

被災地からいただいた元気と勇気 宮城県石巻港からのリポート

 「涙の数だけ強くなれる…」というZARDの大好きな歌である。被災者の方々は、満面の笑顔で接してくれた。本当にそうなのだろうか…。私の方が涙が止まらない。正直、戸惑ったが、「常に前向きに、一人ひとりができることを推進する」が本校の校長方針である。学校という枠を超え、社会的使命を背負い、教育現場として生徒たちに何かを伝えられれば…。そして、何か行動に起こせれば…。そんな思いで、被災地への支援を実施した。

①実際の家を失った被災者の伊藤氏(石巻専修大学校友会会長)が、避難所訪問に同行して下った。本当に困っている部分に手を差し延べることができる方で、自分のことより常に人のことを心配されていた。

②避難所によって、規模待遇が異なっていたが、「浦和学院って、あの野球が強いところ。頑張って下さい」と励まされた。浦学の「甲子園応援ポンチョ」を着て嬉しそうに話しかけてくれた。

③避難所として管理されている石巻専修大学職員の方々が、校舎と布団を用意して下さった。氷点下の中であったため、とても嬉しかったが、被災者の方々の気持ちを共有するためバスの中で生活した。

④東北高校野球部員が2時間もかかる石巻市内でボランティアをしていた。崩れ落ちそうな校舎の中で、避難所の確保をしていた。浦学のバスを見て、元気よく挨拶してくれた。敬意をはらうため、ポンチョとお煎餅を差し入れた。総監督以下、全員並んで御礼をしてくれた。「夏に甲子園で会いましょう。」と声をかけることができた。浦学の職員・卒業生で良かったと実感できた。

⑤南方ナーシングホームでは、我々を労ってお昼を用意して下さった。ウインナーを焼いて下さり、とても美味しいお米とカップ麺の味は、一生忘れられない。

⑥真壁施設長は、「石巻の方が大変だから、そちらに物資は多く降ろしてあげて下さい。」と素晴らしい心の持ち主だった。

⑦施設の前で道を聞いた方が、ガソリンも売っていない地域でありながら「遠いところからわざわざ」と30キロも離れた栗原市の高速道路まで先導してくれた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 最後に、原発問題や余震が続く中、被災地への同行に自ら賛同してくれた同僚と部下の高野氏・安斉氏には、心から感謝したい。君たちのおかげで目的が達成できたと思っている。本当にありがとう。

(企画部長兼事務部長 車谷裕通)

大震災、浦学ふぁみり~独自の支援

・宮城県石巻市/石巻専修大学、市内避難所7ヶ所を訪問
・登米市/南方ナーシングホーム「翔裕園」を訪問

浦学パワーふぁみり~の和

enjo_001.jpg 3月26日のさいたま市内避難所支援に引き続き、浦和学院高校では、東北の被災地への支援を実行した。「今、浦学にできること」。それはタイムリーでしかない。

 本校では、現地関係者からの情報をもとに「生活用水」を主とした救援物資を決めた。「食糧や飲料水は行き届いているが、トイレを流す水がない。手を洗う水は泥水。」こんな声に逸早く反応した。

enjo_002.jpg 「ペットボトルを回収して水道水を送ろう」こんな発想が浮かんだものの、学校は休校中。ホームページでの協力要請と甲子園から帰ったばかりの野球部員が地元自治会を一軒一軒歩き、ペットボトルの提供をお願いした。その輪は、地域だけではなく卒業生や一般の方々にまで広がった。鉛筆、携帯カイロ、トイレットペーパー、お菓子等々、皆さんの思いが寄せられた。

 予想以上の大反響。宅急便でもたくさんの容器が集まってくる。野球部の生徒たちは、1000本を超えたペットボトルを丁寧に洗浄までしてくれた。

 そして、本校にはグランド整備用の散水車がある。「飲料は難しいが、生活用水なら」と散水車に4千リットルの水道水も用意された。そのほかの救援物資も学校が購入し、必要な物を準備した。

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【写真】喜ばれた枕500個、少しでも安眠できれば…/燃料がなければ、避難所に配達もできない。

石巻市に向け出発

enjo_009.jpg 4月1日、23時高校職員2名、専門学校2名の計4名でマイクロバス・散水車・ワゴンの3台を連ねて出発した。目的地まで400キロ。

 那須を過ぎ、福島県に入るあたりから高速道路も段差が目立ちはじめ、思うように走行できない。水は思ったより重い。宮城県に入っても建物の損壊は認められないものの、道路事情は悪化するばかり。5時間を想定していたが、8時間の強行軍となった。

 仙台南部道路から仙台東部道路に入った瞬間、右側の景色が一変。仙台空港に近いこともあり、想像を絶する光景にハンドルに涙がこぼれおちてくる。高速道路もさらに50キロ規制だ。

石巻専修大学を拠点に支援開始

 数多くの被災地の中から、本校が石巻市を選んだ理由は、①浦和学院専門学校看護学科新入生が被災した。②本校卒業生が学ぶ、学校法人専修大学様の併設校である。③卒業生が学ぶ他の東北地区の大学は、被害が少なかった。④職員の知人がボランティアをしており、不足品の情報がリアルタイムに寄せられた。

 このような状況から、石巻専修大学様の駐車場等を拠点に物資支援、生活用水の支援を展開した。

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【写真】上下水道が寸断されている石巻専修大学内に設置された避難所に給水する「浦和学院所有の散水車」。この散水車は、本校のグラウンドの散水に使用されているもので2台所有している。

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【写真】散水車を1カ月間お貸しすることが決定。事務課佐藤課長様(左)へ鍵を渡す運行係高野主任(右)

そして、石巻市内の避難所へ

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【写真】最初に亡くなられた方々の供養と思い埼玉から供花を…。

 ボランティアセンターが活動しているが、石巻専修大学様に物資が行き届いていない避難所を探していたところ、市内で学習塾を経営されている伊藤氏(石巻専修大学校友会会長・専修大学校友会副会長)を紹介いただいた。伊藤氏は自宅が全壊された被災者でありながら、市内7ヶ所の避難所の道案内をして下さり、各本部との交渉役を務めて下さった。そのおかげで、必要な物を必要なだけたくさんの避難所に配ることができた。

1 法山寺幼稚園(お寺) 50名程度
2 石巻市立鹿妻小学校 300名程度
3 石巻市立鹿妻保育園 小学校と連動
4 石巻市立渡野波中学校 50名程度
5 石巻市立石浦中学校 お風呂の提供のみ
6 石巻市立湊中学校 50名程度
7 石巻市立湊小学校 300名程度


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【写真】鹿妻保育園の保母さん(上)。ペットボトルの「浦学命の水」を支援し、保育室の清掃が開始できることになった。

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【写真】もっとも被害の大きかった中学校。この建物の4階が避難所に。ライフラインなど何もない。

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【写真】1階のホームルーム教室。4階(写真右)は津波は免れたため、避難所に。ここでは枕が喜ばれた。

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【写真】プールにまで車が流された小学校

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【写真】ある中学校では、甲子園に出場した東北高校野球部の皆さんが教室掃除をしていた(毎日2時間かけて石巻まで来られていた)。

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【写真】甲子園を目指す同じ仲間として、被災者である東北高校の選手たちにもポンチョとお煎餅を差し入れした(総監督より御礼を受けている写真)。「また、夏の甲子園で東北高校と浦学が会えるように頑張りましょう」と激励した。

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【写真】ある小学校では3歳の女児と出会った。なんとなく持参していた本と、自治会員から預かった鉛筆が喜ばれた。

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【写真】満ちにこんなに大きい船が…。伊藤氏の案内がなければ、こんな細部にまで入れなかった。

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【写真】この小学校は、流された車のガソリンが炎上しすべて燃やされてしまった。

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【写真】浦和学院専門学校に入学が決まっている女子学生。自宅は流されてしまったが、ご家族無事で一安心。東北入試から顔見知りの事務主任安斉氏(右)は「とにかくほっとしました」と物資をたくさん差し入れした。

さらに北へ50キロ登米市内の福祉施設へ

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【写真】内陸にあるため津波の影響はなかったが、揺れが強くすべてのライフラインが寸断。つい最近復旧した。入所者は水で溶かす流動食で1週間凌いでいたとのこと。本校とは、蓮田市に同施設があり、生徒がボランティア等でお世話になっている関係で支援を決めた。この町は、すべてのガソリンスタンドは営業していない。南三陸町への玄関口ともなっていた。

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【写真】この支援中、私たち4名もマイクロバスの中で寝泊まり、自炊をして生活しました。しかし、温かいスープが食せることの幸せを大いに感じました。

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【写真】校長の医学博士小沢より、次にできることとして、「携帯心電図」によるテストも指示された。石巻で3名、登米で3名のデータ(1人30秒)をさいたま市にある本校の健康科学センターに転送し、災害地での心臓疾患早期発見を実施した。実際に1名の異常が認められ、施設を通じ本人へ瞬時に伝達された。画期的な試みである。

(浦和学院高校公式ホームページより)

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