父に伝えたい「感謝」 野球一家次の夢へ 森光司選手

 家族で目指した春夏連続甲子園への挑戦が終わりを告げた。夏の高校野球埼玉大会準決勝で、浦和学院は花咲徳栄に2-6で敗戦。森士監督(47)と、次男で捕手の光司選手(3年)にとって親子で挑んだ最後の夏だった。「もう一度息子と甲子園に行ければ」「一人の選手として見てもらって感謝している」。悔しさと感謝を残し、家族は野球生活に一つの区切りをつけた。

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 3年ぶりの決勝進出が懸かった一戦。光司選手は正捕手として先発出場した。ベンチにいると監督と目で合図をしながら投手陣をリード。一回1死一、三塁のピンチでは盗塁を試みた走者を見事な送球で二塁で刺し、無失点で切り抜けた。「よくやった」。ベンチに戻ると、森監督に褒められた。「絶対に走ってくると思っていた。してやったり」と本人も納得のプレー。

 光司選手には苦い思い出があった。親子出場を果たした今春の選抜大会。バッテリーの連係が乱れ、自身も捕逸をするなど敗因の一つとなった。「捕手として成長しよう。春の借りを返す」と猛練習。この日は盗塁を二つ阻止し、機動力が武器の花咲徳栄を盗塁ゼロに抑えた。

 自他ともに認める「やんちゃ」な光司選手。父に反抗したことは何度もあった。優勝した昨秋の関東大会では先発マスクを外れた。副主将としてチームをまとめなければいけない立場ながら、監督に役割不足を注意された。「自分はちゃんとやっているのに」。家に帰って父と言い争った。

 それを助けたのは母であり、監督の妻である志奈子さん(50)と、兄の大さん(20)だった。大さんは2008年の夏、浦和学院の投手として、父と甲子園出場を果たした。「息子に厳しいのは当たり前。自分も経験してきたから乗り越えられる」。志奈子さんは「好きで入ったのだから続けなさい」と優しく背中を押した。

 1991年に27歳で就任した森監督の下、兄弟は幼いころから浦和学院を近くで見てきた。いつしか2人の夢は自然と「“ウラガク”に入って甲子園に出ること」になっていた。厳しさを覚悟して父が待つ強豪の門をたたいた。

 兄弟、親子で甲子園出場の夢は今春に実現。大さんは「こうして兄弟で親子で野球をやることが幸せだった」。光司選手は「家に帰れば普通のおやじ。学校に行けば森先生。監督としておやじとしてここまで一緒に野球ができて悔いはない」と涙を拭いた。早大に進学した兄の背を追い、大学でも野球を続けるつもりだ。

 森監督は試合後、「監督として一つの時代が終わった」と認めた。息子たちについては「高校野球は終わったが、次の人生に生かし、おのおのの世界で頑張ってほしい」と期待。そして、「残った選手は実の息子と一緒。私には使命がある」と続けた。使命―。それは言わずもがな、浦和学院を全国制覇に導くこと。

 志奈子さんは「これからも応援します」と泣き顔から笑顔へ。光司選手は「これからも後輩の面倒を見るためにグラウンドに行きたい」と卒業までチームに関わり続けることを誓う。父親がグラウンドで戦い続ける限り、それをサポートする家族の挑戦も終わらない。森一家にとって高校野球は永遠のテーマだ。

(埼玉新聞)



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