埼玉代表の浦和学院は19日、3回戦で天理(奈良)と対戦し、2-6で敗れた。今大会で好調だった打線は再三、好機を作ったものの、相手エースの中谷佳太投手(3年)からあと1本をもぎ取れなかった。県代表として初の全国制覇を目標に掲げていた選手たち。最後まで積極的に攻め続け、浦和学院らしい堅実で力強いスタイルを貫いた。
浦和学院は、序盤の4失点で試合の流れを奪われた。初回、天理の先頭打者に続き、4、5番打者にも与四死球。さらに暴投で先制点を許した。
2回表には中前安打を放った山根を連続犠打で生還させて追いついたが、その裏に連続長打を浴びるなどし、突き放された。4回で高田が本塁打を打ち、9回2死から西岡が二塁打の粘りを見せたが、及ばなかった。
◇「初球から」4番の意地 3安打の山根佑太選手(2年)
【写真】2回表浦和学院無死、山根は中前安打を放つ。捕手舩曳(朝日新聞)
2回の攻撃。先頭打者の4番山根佑太選手(2年)は「初球から振っていく」と決めていた。はじき返した低め直球は遊撃手の頭上を越えた。
初回に今大会初先発の山口瑠偉(るい)投手(2年)が制球難で1点を奪われた。「流れを早く変えたかった」。つなぐ4番らしく責任を果たし、2犠打などで同点に追いついた。
埼玉大会を控えた6月末、4番を担ってきた笹川晃平選手(3年)が練習試合で負傷。埼玉大会では6試合で4番を任された。全7試合で打率0・583とチームに貢献した。
しかし、甲子園では精彩を欠き、2回戦までで1安打。一方、笹川選手は2試合で10打数7安打、2本塁打を放ち、完全に調子を取り戻した。それでも、森士監督は「修正してくれると思った」と4番を外さなかった。
「足をひっぱり申し訳ない」。悩む気持ちを封じ込め、とにかく時間があれば1スイングでも多くバットを振った。
この日はすべて中前に返す3安打の猛打賞。全4打席で出塁し、森監督の期待に応えた。
幼稚園児だった山根選手は、3歳上の兄大輝さん(20)のソフトボールの練習に出かけては「いつになったらぼくもバット振れるの」と母親の詠子さん(45)にねだった。浦和学院に入学し、先輩から「勝つこと」「後悔しないこと」を学び、ますます野球漬けになった。
3年生と一緒に日本一になる夢は果たせなかった。翌日からは新チームがスタートする。県内のほかのチームはすでに秋季大会に向けて練習している。秋季関東大会の3連覇に向け、何としても優勝しなくてはならない。
「この悔しさは忘れない」。大舞台を踏んだ4番打者は新チームを引っ張っていくことを誓った。
◇被災者に心重ねて 石巻などでがれき撤去手伝う
浦和学院が大切にしているアルバムがある。ボランティアで訪れた東日本大震災の被災地の写真集だ。19日もアルバムを見て野球をできる喜びをかみしめ、試合にのぞんだ。
選手約50人が宮城県石巻市を訪れたのは昨年12月。学校の課外活動で、がれき撤去を手伝い、少年野球チームとキャッチボールをした。続いて訪れた女川町。仮設住宅が建っていたのは高台の野球場だった。「これでは練習したくても野球ができない」。石橋司選手(3年)は、いつでも野球ができる環境をありがたく思った。
森士監督(48)は選手が見た風景が写っている写真集を買い、持ち帰った。監督の部屋に置くと、選手が次々と見に来るようになった。竹村春樹選手(2年)は練習で辛いことがあっても「被災者と比べものにならない」と野球に打ち込んだ。
ベスト8をかけた19日の3回戦、浦和学院は天理(奈良)に敗れた。5回のピンチ、小島和哉投手(1年)のもとに内野陣が集まって励ますなど、チームワークの良さを見せた。
スタンドには「浦和学院のお兄ちゃんがんばって!!」と書かれた横断幕が飾られた。選手たちが訪れた石巻市の保育所から贈られたものだ。
試合後、明石飛真主将(3年)は「負けはしたが、ボランティア経験で選手が互いを気を遣うようになり、最高のチームワークでした。諦めない姿は石巻の方々にも見せられたと思う」と話した。
◇スクイズ決めて「活」 努力家の明石飛真主将(3年)
「いつも通り、一戦必勝」。そう声を掛け合っていたのに、何かが違う。気持ちで押されている――。明石飛真主将(3年)は立ち上がり、チームの雰囲気に違和感を持っていた。無安打で先制点を献上し、嫌な空気が流れていた2回、1死三塁で打席が回った。
「どんな形でも、絶対に1点を取る」。スクイズを決めて同点に追いつき、チームに活を入れた。4回裏1死では、一塁線上への痛烈な打球に飛びつく好守。相手に傾いていく流れを堅実なプレーで必死に食い止めた。
最大のチャンスで、また打席に立った。6回2死満塁。初球から狙ってフルスイング。しかし、打球はフラフラと上がり、三塁手のグラブに収まった。
「台風の日でもバットを振っていて、近所でも有名人だった。とにかく真面目で、親より立派」と母の幸恵さん(43)。そんな努力家は県大会からなかなか結果を出せず、責任を感じていた。それでも使い続けてくれる森士監督の期待に応えたかったという。
9回に代打を送られ、自らのバットで反撃するチャンスは消えた。試合終了後、目に涙を浮かべて言葉に詰まりながらも、胸を張って周囲への感謝を話す姿は主将にふさわしかった。森監督は「苦しい時でも前向きでたくましい。素晴らしいキャプテンだった」とねぎらった。
◇ブレザー姿で「勝つ気」を送る
真っ赤に染まった三塁側のアルプス席。ユニホーム姿の野球部員よりも前に陣取り、ブレザー姿で応援の音頭を取っていたのは野球部の西尾太志君(3年)。「全国制覇」と刻まれた赤い鉢巻きをつけ、メガホンを揺らして声をあげた。
野球を始めた小学校時代から捕手。選手として甲子園出場を夢見ていたが、「メンバーに入れないなら違う形でチームに貢献しよう」と6月から学生スタッフを務める。ノックを打ったり、ランニングのタイムを計ったりして、練習環境を整えてきた。
今春の選抜大会に続いて甲子園で2度目の応援団長。「スタンド全員の力を結集してグラウンドに『勝つ気』を送る。声をからして熱い声援を送りたい」。チームが劣勢に立っても、気持ちを込めた声援を送り続けていた。
◇吹奏楽部の名コンビ
浦和学院の応援曲は多彩だ。人気の「浦学サンバ」「ゴー!ファイト!チャンス!」など、曲が変わるたびに、スタンドは盛り上がりを増していく。それをまとめるのが、吹奏楽部の小川実里さん(2年)と塩野憧(あこ)さん(1年)だ。
クラリネットの小川さんは、1年生で野球応援の指揮者に立候補して以来の担当。「盛り上げるのが大好き。応援では絶対に負けられない」ときっぱり。塩野さんはオーボエだが、強い日差しに当たると壊れてしまうため、外では演奏できない。そこで約20種類のボードで次の応援曲を知らせる大役を任された。「『得点歌』を何度も掲げたい」とにっこり。
学年は違っても、お互いに信頼し、「大好き」と慕う。最後まで息ぴったりに大応援団をまとめ上げた。
(朝日新聞埼玉版)