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夢は咲く:恩師の遺志継ぐ森士監督 悲願の全国制覇狙う

◇強豪の基礎築いた3代目・野本監督

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浦和学院野球部の食堂に飾られた甲子園出場記念のパネル

 

 第85回記念選抜高校野球大会に出場する浦和学院。甲子園常連校となった同校の礎を築いたのが、3代目監督の野本喜一郎さん(享年64)だ。森士監督 (48)は県立上尾高野球部時代、当時監督だった野本さんの下で野球学を学んだ。森監督は、亡き恩師の思いを受け継ぎ、悲願の全国制覇を目指す。

 「自分は恩師が作ってくれたチャンスにうまく乗っただけ」。甲子園出場記念パネルがずらりと並ぶ野球部食堂で、森監督はこうつぶやく。

 野本さんは1958年から22年間、上尾高監督を務め、チームを春夏合わせて計6回甲子園に導いた。「寡黙で選手に対してほとんど何も言わなかった。自分で考えさせる環境を作るのがうまい人だった」。森監督はそう振り返る。

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「野本監督が亡くなった時は、突然大海に放り出されたようだった」と振り返る森監督

 「3年で甲子園に行くチームを作る」。84年に浦学の監督に就任した野本さんはその言葉通り、86年夏に初の甲子園出場を果たす。しかし、同年春以降、がんで闘病生活を続けていた野本さんは、選手たちの入場行進を病室のテレビで見守った直後、この世を去った。

 東洋大に在学中だった森監督は卒業後、野本さんの下でコーチに就任することが決まっていた。「指導者としていろいろ教わりたいと楽しみにしていた。ショックだった」

  その5年後、27歳の若さで監督に就任。高校時代、一度もベンチ入りすることはなかったが、野本さんは森監督の野球に打ち込む姿を高く評価していた。かつ て部長を務めた県高野連の高間薫専務理事は、野本さんに話を聞いた上尾のOBの一人が、こう言ったのを覚えている。「俺が30年教えた中で、言われなくて も一番練習していた。そういうやつがチームを強くする」

 今年で就任22年。これまで春夏合わせて18回の出場を果たした。その監督人生 の中で、野本さんの妻俊子さんに言われた言葉が今も忘れられない。「『野本野球』はあなたの中に生きているから。あなたが思い描いてやろうとしていること がすべて『野本野球』になるから、自分を信じてやりなさい」

 森監督は毎年夏、選手たちを連れて野本さんの墓を訪ねる。「浦学が強くなっ たのは、野本さんが来られてからだよ」。そう選手たちに語りかける。山口瑠偉投手(2年)は「森先生は、野本監督が築き上げた伝統を受け継ごうと頑張って いる。自分たちもそれを受け継いでしっかり頑張りたいと思う」と話す。

(毎日新聞埼玉版)

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