四回表、自らの暴投で1死二、三塁の大ピンチを招いた2年生エースの小島に三塁から声をかけた。「後ろにいるからな。打たせて取れ」。硬さがとれた左腕。ボールにはキレが戻った。高めのボールで空振りを取ると三走が飛び出し、これを冷静に追い込みながら、三塁手前まできた二走を挟殺した。
「下級生が必死に頑張っていたので何とか助けたかった」。打席でも存在感を示した。五回から登板した土佐・高橋の横手投げに苦しむナインを横目に「とにかくチャンスを」と、五回以降だけで3四死球。フォア・ザ・チームに徹した。
「負けず嫌いなのは裏方のみんなの気持ちが分かるからなんです」と、母、しのぶさん(47)。その言葉通り、順風満帆の野球生活ではなかった。地元の公立中学の野球部出身。「強いチームで野球がしたい」と浦和学院に進んだが、8強入りした昨春の選抜はベンチ外。荷物運びや道具磨きの裏方だった。
しかし、いつでも試合に出るという意識は絶やさなかった。「一番努力していた。いつでもプレーに魂がこもっている」と、評するのはOBの西尾太志さん(18)。昨年夏、三塁手に抜(ばっ)擢(てき)され、甲子園の土を踏むことができた。
心の支えは「自分で決めたんだから責任を持て」という父、昭人さん(48)の言葉。「今度はチームのために一本打ちたい」。裏方出身の4番の春はまだ始まったばかりだ。
(産経新聞埼玉版)