【写真】優勝し、グラウンドに整列して校歌を歌う選手たち(朝日新聞埼玉版)
第85回記念選抜高校野球大会で初の全国制覇を成し遂げた浦和学院。森士(おさむ)監督は大会前、「小島(和哉投手)頼み」と話していた。ところが頂点まで5試合で計47得点を挙げ、強豪相手に爆発的な打力で圧倒。選手一人ひとりが「支え合い」の精神を大切にし、ここ一番で集中力を発揮した。
昨夏の甲子園で16強入り。その分、新チームの始動は遅れた。秋の県大会の準々決勝、上尾戦では9回まで4点のリードを許して絶体絶命に追い込まれ、決勝では花咲徳栄に大敗。関東大会で3連覇を達成したが、チームは強い危機感を抱いて冬場の練習に励んだ。
森監督が選手たちに訴えたのは「自己責任と仲間意識」だ。当初は高田涼太選手(3年)が主将を務めたが、秋の大会後、山根佑太選手(同)に交代した。その訳は「1人で引っ張るのではなく、複数にリーダーの自覚を持たせたかった」。今大会前には、登録選手の一部を部員の投票で選ばせ、選手にチームを背負う自覚を促した。
主将を交代すると、高田選手は周囲により気を配るようになった。チーム一丸となって攻める打撃に徹し、バントもこなした。「本塁打を意識したことはない」と振り返った。
しかし、山形中央(山形)戦では点差を詰められた後、2年生エース小島投手に「俺が取り返す」と宣言。約束の本塁打を放った。終わってみれば大会史上最多に並ぶ1大会3本塁打。「小島を支えたい、という思いだけはあった」
決勝の済美(愛媛)戦でも浦和学院らしさを象徴する場面があった。同点に追いついた5回、スクイズのサインミスで三塁走者が刺された。好機はついえたように見えたが、2死後、竹村春樹選手(3年)が内野ゴロで全力疾走。失策を誘い、試合を決定づける5連続長短打を呼び込んだ。
「凡打だけど、諦めた瞬間アウトになる。何としてもつなごうとした」と竹村選手が言えば、決勝打の山根主将は「ここで打たないわけにはいかなかった」。選手全員が、勝負どころで見事な集中力を発揮した。森監督も「嫌な流れのときに、仲間を助ける意識が強かった」と目を細めた。
「先輩たちが打ってくれたからここまで来られた」と小島投手。仲間に支えられている安心感が、42回3失点の快投につながった。
猛打の一方、走塁やサインのミスも目立った。森監督は「手がかかり、見ていて飽きない。この大会で成長し始めてくれた」といたずらっぽく笑った。
夏の甲子園に向け、全国のチームが打倒浦学を目標にする。県内でも選抜大会に出場した花咲徳栄、昨夏の埼玉大会準優勝の聖望学園など強敵がそろう。マークは一層厳しくなるが、山根主将は「夏も日本一」ときっぱり誓った。
(朝日新聞埼玉版)