【写真】長井滉次(3年)=延岡市の聖心ウルスラ第二グラウンド(朝日新聞宮崎版)
◇聖心ウルスラ・長井滉次選手(3年)
テレビの向こうで躍動する、かつての仲間たち――4月3日、聖心ウルスラの左腕・長井滉次(3年)は、かつて通った浦和学院(埼玉)が選抜高校野球で初優勝したことを伝えるニュースを、延岡市の自宅で見ていた。「あいつら、成長したんだな……」。うれしかったが、少し複雑な思いもあった。
茨城県古河市に住んでいた長井は、浦和学院の野球部で1年生の1年間を過ごした。その後家庭の事情で、母親の実家があり、自分の生まれた場所でもある延岡に引っ越し、聖心ウルスラに転校した。「もっと浦学でやりたかったという気持ちもあった」。長井は振り返る。
引っ越し直前の昨年3月、春の甲子園出場を決めていた浦和学院での最後の練習試合で、長井に思わぬ花道が用意された。1試合で切り上げようとした相手監督に、森士監督が言った。「3イニングだけでもいいので、(もう1試合)やってもらえないか」。長井を登板させるためだった。1回と少しを投げ、無失点に抑えた。「お前も仲間だ。向こうでも頑張れ」。いつもは厳しい森の目にも、長井の目にも涙があった。
仲間からは「一番きつい思いをしながら頑張ったお前なら、何でも乗り切れるぞ」と声をかけられた。母親が先に延岡に戻っていたため、引っ越しまでの半年間、朝と昼の弁当を自分で作り、5時過ぎの始発で朝練に通っていた。そんな長井の頑張りを、仲間は温かく見ていたのだ。
「浦学から来たっちゃろ?」。ウルスラでの最初の日、2年生の始業式で、二塁手の黒木一誠(3年)に声をかけられた。打撃投手をやるだけでも、長井は注目の的だった。それでも自然体でいられた。「仲間が明るく接してくれて、温かく迎えてくれたから。こっちに来て良かったなと思った」
転校生は規定で1年間公式戦に出場することができない。しかし長井はこれを準備期間ととらえ、自分が登板したらどう投げるかイメージしながら、ベンチから試合を見た。浦学では1年生が出場しないのが当たり前だったから、出られないのは慣れていたし、悔しさはなかった。
それでも、焦りがないわけではなかった。投げ込みを増やしすぎ、肩を痛めた。試合出場が解禁された4月の公式戦では1回を投げ無失点に抑えたが、症状はさらに悪化。心配した小田原斉監督が「無理をするな」と声をかけた。2カ月間ほとんど投球ができず、6月に入って次第に調子を上げてきたが、最後のメンバーに入れるかはわからない。
「ベンチに入れなくても、応援やサポートを全力でしたい」。そう言いながらも、掲げてきた夢を諦めるつもりはない。「自分が甲子園のマウンドに立って、浦学相手に投げたい。その意味でも、チームの優勝に役立てるように、全力でやりたい」。かつての仲間と再会するため、この夏の宮崎大会で今の仲間と全力を尽くすつもりだ。(敬称略)
(朝日新聞宮崎版)
▽参考
旅立つ君へ熱いエール 浦学・長井滉次投手、宮崎の高校へ転入
(2012年3月26日埼玉新聞)
長井くん期待しています。心より応援させていただきます。