昨年8月4日、阪神甲子園球場。全国高校野球選手権の甲子園練習で、元プロ選手の三浦貴さん(35)は浦和学院(埼玉)のコーチとしてノックバットを振った。「感無量だった」。17年ぶりに母校のユニホームに袖を通して甲子園に立てたことが、うれしかった。
1996年、浦和学院のエースとして春夏連続で甲子園のマウンドを踏んだ。東洋大を経てドラフト3位で入団した巨人でも1年目の2001年から中継ぎで活躍した。だが03年、野手に転向。07年に戦力外通告。08年に西武に移籍し、翌年再び戦力外を通告されて引退した。
小学生の子供もいて生活が最優先。内定をくれた会社もあった。しかし、恩師の浦和学院・森士監督にかけられた一言で人生が変わった。「教職取って俺の後を継ぐか?」。指導者への道は漠然と頭にあっただけだが、意を決した。午前6時前から夕方まで運送会社で4トントラックを運転して生活を支え、東洋大の2部に通う生活を2年間続けた。12年3月に教員免許を取得して浦和学院に採用され、翌月から教壇に立った。
当時は2年間の教員経験がないと指導者になれなかった。しかし昨年7月、プロ経験者が学生野球の指導者になるための条件が緩和され、同月下旬に晴れて同校コーチになった。
指導者になって半年。暗中模索の日々だという。生徒に教えたいのは、プロで学んだ二つのこと。高いレベルの技術と考える力の重要性だ。「技術はもとより、豊かな才能を持っていても考える力がなければ開花しない。野球に限った話ではない」。しかしうまく伝えられず、もどかしい。「プレーヤーと指導者との違いに戸惑っている」と苦笑いする。
ただ、三浦コーチの思いを選手は理解している。木村聡一郎主将(2年)は「球を遠くに飛ばす時の体重移動の実演は鳥肌が立った。イメージを言葉にしてくれるから説得力がある。挫折を越えて体得する強さの意味も教わった」。森監督も「頂点とどん底を知り、人間的に深みを増した三浦に、指導者としての可能性を感じる」と期待している。
三浦コーチは「回り道をして教員になって良かった」と実感する。野球から離れた約3年間で社会を知った。時間に追われた教員免許取得の日々と、野球のない教員生活を通して人を野球の技術だけで見なくなった。「非教員のまま指導者になっていたら、立場を守るために勝利至上主義になっていたと思う。人間的な成長なくして、野球の成長はないと確信を持った」。表情は教師そのものだ。
(毎日新聞東京朝刊)