◇鍛えた心技体 挑む集大成
春季県大会。成果を一つの形にした。
6試合中、登板したのは5試合。そのうち先発は完封した準決勝の市川越戦だけだったが、ここぞの場面でマウンドを引き継ぐと、計31回3分の2を自責点わずか1で、防御率も0・28。チームを頂点へと押し上げた。
関東大会では初戦の山梨学院大付戦の九回裏、先頭打者の初球にサヨナラ本塁打を浴びたが、「一球の怖さというより、一球の大切さ、重みを学びました。前向きな方です」。もう迷いはない。
「“特別”ということを自覚しながら歩み始めている」(森監督)。現在は、主将ではなく“監督代行”という森監督から与えられた役職で、チームを進むべき方向に導く羅針盤となっている。1、2年生、同級生だけでなく、時には主将の土屋にもげきを飛ばす姿がグラウンドにはあった。
練習中は、実際にお手本を見せて後輩に教えたり、掃除や整備の時間では、自身はあまりその輪には加わらず、常に周りを見て人が足らない場所に人を送るなど、段取りを敷いて連係を取る。
「必死で考えることが多くなって、人生で一番、頭を使ってるかも知れません。日々勝負なので」。全てのことが、一瞬、一瞬の判断で流れが変わり、勝敗を分ける試合につながると信じている。目の鋭さが増し、より精悍(せいかん)になった顔が、その心情を物語っているに違いない。
「自分の中では、九回裏を投げ終えて延長戦に入ってます」―。
6月のある日、小島はこう切り出した。
昨夏の甲子園の仙台育英戦。九回裏、小島がマウンドを降りた直後に、チームはサヨナラ負けした。その瞬間を、背番号1は直接見てはいない。左肩のアイシングと左足の治療をしながら、ベンチ裏のテレビモニター越しで見ていた。
あまりに一瞬の出来事で、肩と足のケアが間に合わず、最後の整列にも、アルプスへのあいさつにも、行くことができなかった。「まだゲームセットしてないんです」。小島の中ではあの試合は終わっていない。
あれから1年。「夏の屈辱は甲子園でしか晴らせないですし、成長した姿もあの場所でしか見せられないと思ってます。(県大会初戦から甲子園決勝まで)最大13試合。9回だとしたら117イニング。一球一球に気持ちを入れて全部投げるつもりです」
夏の太陽が照りつける灼熱のマウンドで、今度こそ輝くために。選抜大会優勝投手という過去の自分を超えてみせる。鍛え抜かれた心技体を携え、小島和哉、最後の夏がプレーボール―。
(埼玉新聞)