◇「必ず、甲子園のマウンドへ戻り、借りを返したい」
正真正銘、埼玉を代表するエースだ。1年夏から甲子園のマウンド(3回戦、対天理)を踏み、2年春のセンバツでは同校春夏通算20度目の出場で、初の全国優勝を達成した。埼玉勢としても1968年の大宮工以来。2年生エースの勢いは、夏になっても止まらない。埼玉平成との県大会準々決勝では埼玉大会史上3人目の完全試合を達成。6試合50回を失点3の“貫録”で、4季連続の甲子園へ導いた。自身にとっても1年夏から3季連続の大舞台も、ついに屈辱を味わう。仙台育英(宮城)との1回戦は第4試合にもかかわらず、気温35度。序盤から波に乗れず、11失点で初戦敗退している。
新チームでは主将に就任。だが、県大会は3回戦敗退(対本庄第一)と、4季連続の夢は途絶えた。屈辱を胸に冬場は体力強化に励み、今春は県大会のタイトルを奪還。最速は昨夏と変わらない143キロも、ボールのキレが増した。変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップに加え、浦和学院で2学年先輩・佐藤拓也(現立大2年)直伝のカットボールを習得し、投球の幅が広がっている。
「必ず、甲子園のマウンドへ戻り、借りを返したい。(昨年の)3年生に助けられた甲子園ではなく、今年は自分がチームの土台となって、勝利へ導けるような存在になりたい」
茨城、名古屋、広島、栃木と転勤族だった小島家が埼玉に落ち着いたのは、和哉少年が小学1年のとき。そこで、地元テレビ局が放映していた「URAGAKU」の強さに心酔。3歳上の兄・雅浩さんは上尾で三塁手としてプレーし、古豪へ心が傾いた時期もあったが初志貫徹、浦和学院へ進学した。学業成績が優秀で評定平均オール5に近い秀才。仮に勉学に専念していれば、名門大学の現役合格も確実と言われる頭脳を持つ。
3月21日。センバツ開会式で紫紺の大旗を返還したのを最後に、小島は主将の肩書を外れた。大役が解かれたとはいえ、リーダーの自覚は変わらない。昨夏の甲子園はスタミナ切れで、春夏連覇を逃した。同じ過ちはしない。勝負の夏へ向け、気が遠くなるほどの走り込みを継続した。目標は言うまでもなく「全国制覇」と言い切る。同級生ライバルは済美・安楽智大と前橋育英・高橋光成の両剛腕だ。「タイプは違いますが、勝負事では負けたくない」。埼玉V3まで7試合、背番号1は余力を残したまま、4度目の甲子園へ行く。
◇おじま・かずや
1996年7月7日生まれ。埼玉県出身。174センチ、72キロ。左投左打。小学2年時からりんどうスポーツ少年団で野球を始め、赤見台中では行田シニアに在籍し全国大会出場。浦和学院では1年夏からベンチ入りし、秋からエース。同秋に史上初めて3年連続で関東大会を制し、翌春のセンバツ初優勝。自身3季連続で甲子園出場した同夏は1回戦敗退。同秋は県3回戦敗退。今春は県大会優勝、関東大会初戦(2回戦)敗退。最速143キロ。カーブ、スライダー、チェンジアップ、カットボール。
(週刊ベースボール増刊 埼玉県予選展望号 2014年7/15号)