東京六大学リーグ史上32人目となる100安打がかかる立大の佐藤拓也外野手(4年・浦和学院)が、こだわりの赤バットで好スタートを切った。チームの開幕の法大戦で4安打を放って、大台まであと9本のカウントダウン。「優勝を目指してやって、終わったときに100安打になればいい」といい、1999年秋以来34シーズンぶりの優勝とバットマンの勲章を手にして、大学ラストシーズンを飾る。
この秋はチームも佐藤拓も好スタートした。法大との2回戦は5点差を逆転して連勝。4点を追う8回1死一、二塁で、佐藤拓が右翼線にタイムリー二塁打。口火を切って、佐藤竜の逆転満塁本塁打につなげた。開幕カードは9打数4安打3打点。100安打へあと9本にした。
バットにはこだわりがある。高校ジャパンのときに、いくつかの木製バットが用意され、手にしてしっくりしたのが元巨人の二岡モデル。この春はそれを改良した。「冬に亀井さん(巨人)モデルのバットを使ったことがあって、いい感じだななと思った。ただ、グリップが合わなかったので、打つところは亀井さんでグリップは二岡さん。ちょっと太いので0・5ミリぐらい細くしてもらってます」。自分のラッキーカラーでもある赤に着色している。
2年のときから大学ジャパンに選ばれ、ことしの7月の日米野球では連覇に貢献。トップバッターとしてフル出場、15打数5安打、打率3割3分3厘で、打率2割5分5厘にとどまった春の不調を吹き飛ばした。「春は結果をほしがった部分がある。気持ちの部分でチームのためにという思いでやった方が結果が出る。それを感じたのは日米野球。個人の結果を求めずに、純粋に勝つために戦って結果も出ました」
浦和学院ではエースとして2年の春、3年の春夏の甲子園に出場。2012年センバツの三重戦、夏の高崎商戦で完封勝ち。出場7試合すべてでヒットを放ち、同期で東洋大主将の笹川も「プライベートでは気さくでおちゃめなところもあるが、バッティングはすごい」と一目置く。立大では野手に専念した。「プロに行って活躍するために、ピッチャーよりも野手の方が可能性があると思った。投手でも通用していたかもしれないが、高校日本代表で、大谷(現日本ハム)とか藤浪(現阪神)と一緒にやってレベルの違いを感じたし、投手としては厳しいと感じました」と笑う。
野手に専念したときから100安打は視野にあったが、いまは優勝が大事と強調する。「狙ったら打てないと思う。最後は、4年間お世話になった立教に恩返しをする思いで1試合1試合やっていく。優勝を目指してやって、終わったときに100安打は達成していればいい」
1つ上に、立大の歴代最多を塗り替える通算112安打の大城滉二(現オリックス)という手本がいた。「滉二さんを見ていて思ったのは、対応力があって、修正能力が高い。1打席目に全然合ってなくても、次の打席で同じような球をヒットにする。いいバッターは1試合の中で修正する。すごく参考にしていました」。ときにスランプに陥るが楽天的だ。「打てないことが続くとへこむんですが、10、11打席とヒットが出ないと逆にふっきれます」
漠然とプロを目指していたが、はっきりと決めたのは大学ジャパンに選ばれたころだ。「2年のときに、中村さん(早大-ヤクルト)たちがすごくよくしてくれた。その方たちがプロに行って活躍しているのを見て、本気で目指そうと思いました」。今秋リーグ戦開幕の日に、沢田圭佑投手、田村伊知郎投手、田中和基外野手とともに、プロ志望届を提出した。「志望届を書いたときは、いよいよ迫ってきたという思いで緊張感が高まったというか、行きたい気持ちもまた強くなりました」
野球センスの良さはプロも評価。中日の石井スカウトは「走攻守ともに合格点。ランナーを置いたときの勝負強さはみるべきものがある」とほめた。春は、明大に王手をかけられてから、王手をかけ返したが、あと1勝が届かなかった。東大を除けば、優勝から一番遠ざかっているのが立大。1999年秋以来の優勝を飾って、六大学バットマンの勲章も手にしたい。
(東京中日スポーツ)