第103回全国高校野球選手権埼玉大会は28日、県営大宮球場で決勝が行われ、Aシード浦和学院がBシード昌平を10-4で退け、3年ぶり14度目の優勝と甲子園出場を決めた。浦和学院は1-0の二回に吉田匠の3点本塁打などで4点を加えて、その後も着実に加点。エース宮城ら4人の継投で4失点に抑えた。優勝した浦和学院は、全国高校野球選手権大会(8月9~25日・甲子園)で県勢として4年ぶり2度目の深紅の大優勝旗を目指す。
格別の景色 選手に敬意
「若草萌える 武蔵野に」―。県営大宮球場に浦和学院の校歌がこだまする。選手たちは、すがすがしい表情で歌う。額の汗は光り輝き、真っ黒なユニホームは、白球を追った勲章としてたくましく見える。高く険しい山を地道に登って、たどり着いた山頂の景色は格別だろう。近いようで遠かった埼玉の頂点。やっと浦和学院がそこに立った。
森監督は、ナインの手で胴上げされ、3度宙を舞った。「選手たちの頑張りをたたえたい。埼玉、浦和学院、ここにあり」と普段、グラウンドで”檄(げき)”を飛ばす指揮官も、この日は選手たちをたたえ、満面の笑顔を見せた。
3年ぶりの頂は長い道のりだった。2月3日、部内で新型コロナウイルスの集団感染が判明し、全体練習ができなかった。練習を再開した時、冬場に鍛え上げた体力は落ちていた。それでもナインたちは勝利への執念を忘れず、ひたむきに努力を重ねた。そして、万全の状態ではない中で臨んだ春季県大会。試合を重ねるごとに浦和学院の選手たちは勝負強さを取り戻し、3年ぶりの栄冠。
その勢いは、夏も発揮された。初戦の聖望学園に勝利すると勢いは加速し、計7試合で61安打58得点。投手陣は10失点と圧倒的な力で埼玉の王者に返り咲いた。
そして、優勝が決まった瞬間、森監督は決意した。「公で言えるタイミングを選手たちがつくってくれた」と優勝インタビューで勇退を公表。「まだ選手には言っていないのですが、この夏をもって監督を退任します。埼玉の高校野球ファンのみなさんに、お礼を申し上げたい。選手も薄々は気付いていたと思うが、彼らのたくましさに敬意を表します」
1991年から同校の監督に就任。30年目の節目にユニホームを脱ぐことになった。「2年前の秋季県大会準決勝で花咲徳栄に負けてから(退任を)考え、残り2年と決めていた」と心の内を明かした。
最後の年で手に入れた甲子園の切符。森監督と浦和学院ナインの夏はまだ終わらない。「森監督を甲子園で胴上げしたい」と主将の吉田瑞。指揮官への感謝を胸に、高校野球の聖地へ出陣する。
快音連発、力強く復活 ウラガク劇場第2章へ
これぞ王者の風格だ。浦和学院は春季県大会を制した勢いそのままに、13安打10得点の貫禄勝ち。昨秋の県大会覇者で初の決勝に進出した昌平に付け入る隙を与えなかった。
九回裏2死無走者。昌平の最後の打者を二ゴロに仕留めると、マウンドにいた吉田匠を中心に大きな輪ができた。優勝後、勇退を公表した森監督は「率直にうれしい。感謝、感謝」と選手たちに称賛を与えた。
百獣の王が目覚めたのは、1-0の二回だ。1死一、三塁で八谷が仕掛けたスクイズは投手の前に転がり、三塁走者が本塁でタッチアウト。好機を生かせずこの回が終わるかと思われた。だが、制球が定まらなかった昌平のエース田村の隙を逃さなかった。
「初球に一番甘い球が来ると思って打つことを決めていた」と吉田匠。甘く入った内角高めのスライダーを右翼方向へ。昌平の右翼手山村が打球を見上げ、スタンドに突き刺さる3点本塁打。「一振りで試合に勢いをつけてくれた」と指揮官もうなった。
“ウラガク劇場”が開演すると、もう止められない。鳴りやまない金属バットの快音は、球場の外から聞こえるセミたちの声をかき消すように安打を量産する。極め付きは、九回の攻撃。先頭の高松が「ストレートを張って狙っていた」と左越えソロを放ち、最後まで攻撃の手を緩めなかった。
3年ぶりの埼玉の頂点に輝き、涙を流す吉田瑞と吉田匠。藤井は喜びをかみしめる。それぞれの思いを胸に、大きな声で校歌を歌った。
戦いの場を甲子園へ移し、目標は手にしたことがない深紅の大優勝旗と森監督の胴上げだ。主将の吉田瑞は「埼玉149チームの代表として、優勝を目指したい」と力強く宣言した。浦和学院の夏は第2章へと続き、聖地の浜風に乗りながら大きく羽ばたく。
“二刀流”吉田匠 汚名返上 大一番で耀き
打っては右越え3ランを含む3安打、投げては3回無失点で胴上げ投手。“二刀流”の活躍で、3年ぶりの甲子園へ導いたのは吉田匠だ。「本当に本当にうれしい」。優勝が決まった瞬間、マウンドで雄たけびを上げ、うれし涙を流した。
打者としては今大会ここまで主に1番を任され、19打数2安打。打率も1割をわずかに上回る程度で「チームに迷惑ばかりかけてきた」。自分自身に歯がゆさを感じつつ、臨んだ決勝戦。汚名返上の見せ場は二回表。1死一、三塁から前打者の八谷がスクイズを失敗し、重苦しい空気の中で初球を振り抜くと、打球はライトスタンドへ。「あの一振りでチームを勢いづけてくれた。しかし正直(今大会2安打の)彼が打つとは…」と森監督も驚く会心の3ランだ。
快音はこの後も続く。三回には2死一、二塁から中越えの適時三塁打、八回にも二塁打を放ち3安打。単打が出ればサイクル安打を達成していた大暴れにも「全く意識していなかった」とクールに話す。
投げては七回無死一、二塁のピンチで登板。準決勝まで打者55人に対し防御率0・00と圧巻の投球をここでも披露し、九回までリードを守り切った。昌平の最後の打者を二ゴロに抑えると、一塁ベンチからナインが駆け寄り「夢がかなった」。熱い思いが込み上げた。
福島県いわき小名浜一中出身。親元を離れ、遠く離れた浦和学院の門をたたいたのは、厳しい環境で自分を高めたい思いから。心と技を磨き続け、埼玉王者の称号をつかみ取り、「浦学の名に恥じない野球、そして森監督に恩返しする」と視線を上げた。
悔しさ忘れず統率 攻守の「要」吉田瑞主将
主将の吉田瑞が攻守で「要」として戦い抜いた。
攻撃では一回に先制の中犠飛を放ち、二回にも追加点となる中前適時打でチームを勢いづけた。「先制できて自分たちのリズムで試合を進められた。その後も途切れずに追加点を取れたのが良かった」と大一番を振り返った。
守備では捕手として、4投手の特長を引き出す好リード。特に下級生の投手に対しては、決勝の大舞台での緊張をほぐすため、「自分を信じてミットめがけて投げろ」と鼓舞した。投手の状態や相手打者の反応にも目を光らせ、継投のタイミングをすぐさま察知するなど、森監督も全幅の信頼を寄せる存在だ。
主将として、時に厳しい姿でチームを率いてきた。「秋の大会で負けた悔しさを忘れずにここまでやってきた。苦しくて逃げ出したくなることもあったけど、仲間がついてきてくれた」。
目指してきた初の甲子園の舞台に向け、チームの要がより大きな存在となっている。「全国制覇を目指して、監督を甲子園で胴上げできるよう精いっぱい頑張りたい」と力を込めた。
3年間の集大成 ダメ押しの一発 高松
高松が九回表に試合を決定づけるソロ本塁打。森監督から「最後の力を見せろ」とげきを受けて先頭打者で打席に入り、ストレートを強振。打球はレフトスタンドへ突き刺さった。
昌平の先発田村のスライダー対策として、逆方向へ打ち返す練習を繰り返した。大舞台で一発を含む2安打を放ち、「3年間の高校野球の集大成になった」と笑顔。最初の目標である埼玉王者を手にし、「次は全国で優勝。甲子園でも全力で挑む」と大暴れを誓った。
頼れる2年生 テーマを体現 金田
緊張に包まれた決勝の舞台で、静寂を打ち破る快音を響かせたのは、頼れる2年生の2番金田だった。
「塁に出ることが自分の使命だと言い聞かせていた」と一回1死から左前打で出塁。松嶋の安打と吉田瑞の中犠飛で先制のホームを踏み、「初回に1点奪取」というチームのテーマを体現した。
「練習してきた逆方向への強い打撃ができたので、緊張も自然となくなった」と四回からマウンドに立つと、六回途中まで2失点に抑え、勝利への継投に一役買った。
甲子園に向けて「出て終わりではなく、しっかりチームに貢献できるように準備したい」と意気込んだ。
期待に応えて 先発で2安打 三奈木
準決勝では先発から外れた三奈木だが、決勝戦は7番ライトで先発。「森監督から常に全力ということを教わった」と話し、2安打の活躍を披露した。
「ずっと調子が悪かった」と今大会を振り返りながら、「前向きに練習に取り組んできた」。その成果が決勝戦で実った形だ。「小さいときから目指していた」という甲子園で、「投打で活躍できるように頑張りたい」と意気込んだ。
なおさらうれしい 浦和学院OBの埼玉西武・渡邉勇太朗の話
予選の間ずっと気になって結果をチェックしていました。自分たちの代以来の甲子園出場で、なおさらうれしい気持ちがあります。浦学を強くしてくれた森監督のためにも、甲子園で頑張って下さい。
夢舞台に一歩届かず 昌平
昌平は初の甲子園を目指したが、浦和学院の壁は高く、夢の舞台にはあと一歩届かなかった。黒坂監督は「最後は力尽きてしまったが、選手たちはたくましくなり、誇りに思う」と胸を張った。
先発したのはエースの田村。背番号1は準決勝では150球を投げて完投したが、決勝は一回に先制点を献上し、二回には浦和学院の吉田匠に右越え3ランを浴びるなど、3回6失点。右腕は「甘いボールは確実にヒットにされ、さすがの打線だった」と完敗を認めた。
自慢の打線は5安打で4得点に抑えられ、浦和学院の投手陣を打ち崩せなかった。プロ注目の主砲・吉野は無安打に終わり、「自分のパフォーマンスで昌平を甲子園に行かせたかったが、達成できなかった」と試合後には悔し涙を流した。
昨秋は初優勝を飾り、春は4強、夏は準優勝。歴史を塗り替えた足跡は色あせない。この日も終始リードされる展開で戦う姿勢を見せ続けた。主将の岸は「自分たちで盛り上げ、食らい付いていけた。いい雰囲気で戦えた」と前を向いた。
現在の3年生はなかなか主将も決まらなかったが、試合を重ねるごとにチームは成長。吉野を中心とする長打力が注目される中で、小技や盗塁、投手陣の粘り強さも輝いた。指揮官も「岸を中心に結束力を高め、まとまりのあるチームになった」と目を細めた。
これまでチームを引っ張ってきた岸は「甲子園にこだわってきたが、浦和学院には勝負強さがあり、自分たちはまだ足りなかった」。甲子園への夢は後輩に託し、球場を後にした。
今大会を振り返って 投打に別格の浦和学院
2年ぶりの甲子園切符を争った12日間の戦いは、6連覇を狙うAシード花咲徳栄が5回戦で姿を消したものの、終わってみればAシード浦和学院が貫禄を見せて頂点に立った。
3年ぶり14度目の栄冠を手にした浦和学院は、7試合で61安打58得点、投手陣は10失点と投打で力強かった。聖望学園、春日部共栄の強豪を退けての優勝は、別格の強さを感じさせた。
初の決勝に進出した昌平は、つなぐ意識の高い攻撃力が躍進の原動力となった。昨秋優勝、今春4強、そして今夏準優勝と着実に結果を残し、甲子園出場にも届き得る地力を証明した。
春日部共栄は2大会連続4強に進んだ安定感が際立っていた。エース左腕高橋を中心に石崎、増田、山口叶と好打者がそろういいチームだった。川口は、公立勢で唯一ベスト4に入った。山村学園との準々決勝では、延長十一回に一挙5点を奪う攻撃は見事だった。
8強では、松山の左腕佐藤が印象深い。試合を重ねるごとに安定感が増し、5回戦で上尾のエース新井との投げ合いは心を熱くさせられた。星野は、校内でコロナ感染者が確認されて出場を辞退した春季県大会の悔しさをバネに、夏は創部初のベスト8と新たな歴史を築き、主将の星は選手宣誓も務めた。
花咲徳栄を5回戦で撃破した山村学園は準々決勝で涙をのんだが、スタメンに2年生が多く、新チームに期待したい。花咲徳栄はこの夏の悔しさを糧に必ず巻き返してくるだろう。
コロナ感染拡大防止のため、手拍子と太鼓のみの応援だったが、各チームそれぞれが工夫を凝らし、一味違ったスタンドの姿にも心を打たれた。
簡素化も全校参加 ブラスバンドも可 甲子園の開会式
日本高野連は28日、8月9日から兵庫県西宮市で開催される第103回全国高校野球選手権大会の運営委員会を開き、開会式は全代表校が参加して通常に近い形で行う方針を固めた。新型コロナウイルス感染対策のため、入場行進は簡素化し、選手が球場内を1周せずに外野に集合した後に本塁方向へ進む形式などを検討している。
今春の第93回選抜大会では大会第1日に出場する6校のみが行進した。
また、応援に関するガイドラインが決まり、一、三塁側とも学校関係者は内野席に入場する。楽器を使う生徒を50人以内に制限するブラスバンドはアルプス席に入場し、対面を避けて横並びで演奏するなどの感染対策を講じた上で応援が可能となった。
大声は出さず、拍手での応援を基本とする。メガホンの持ち込みは可能となるが、使用はたたくのみで、太鼓の持ち込みも1個までとする。
ナインのひと言
1 | 宮城誇南 | 投 | 今日は終始3年生に助けられた。甲子園で暴れられるように準備したい。 |
2 | 吉田瑞樹 | 捕 | たくさんの方の支えに感謝したい。県代表として恥のない試合をしたい。 |
3 | 金田優太 | 遊 | 厳しい戦いだったが、最後にチーム全員で甲子園に行けてうれしい。 |
4 | 八谷晟歩 | 三 | 絶対に甲子園に行きたかった。本戦でもチームに貢献したい。 |
5 | 高松陸 | 一 | 甲子園に行くと決めて浦和学院に入った。全国優勝を目指したい。 |
6 | 吉田匠吾 | 二 | 冷静にプレーできたことでホームランを打てた。甲子園でも活躍したい。 |
7 | 松嶋晃希 | 左 | 苦しい練習の成果が出た。この仲間たちで戦ってこられて良かったと思う。 |
8 | 藤井一輝 | 中 | チーム全員で勝つことができた。甲子園でも一戦必勝の精神で戦う。 |
9 | 三奈木亜星 | 右 | 甲子園で優勝できるようにみんなで一致団結して頑張りたい。 |
10 | 芳野大輝 | 投 | ここまでチーム全員でこられたことがうれしい。本戦も全力で戦い抜く。 |
11 | 浅田康成 | 投 | うれしい気持ちでいっぱい。甲子園という大舞台で活躍したい。 |
12 | 高山維月 | 捕 | 初の甲子園、素直にうれしい。全力で先輩や監督のためにプレーしたい。 |
13 | 倉岡弘道 | 二 | 今までの努力が報われたと思う。気を抜かず試合に挑みたい。 |
14 | 尾崎亘 | 三 | 苦しい練習も無駄ではなかった。チームのためにできることをやるだけ。 |
15 | 大内碧真 | 二 | 少しでも3年生の力になれた。一戦必勝で甲子園に臨みたい。 |
16 | 観音啓太 | 遊 | 苦しい練習も乗り越えてきた。甲子園でも一戦必勝で戦いたい。 |
17 | 松田大成 | 一 | チームは全国制覇が目標。一丸となって向上できればと思う。 |
18 | 石田創大郎 | 中 | うれしいの一言に尽きる。県の代表の名に恥じぬ戦いをしたい。 |
19 | 安達斗空 | 右 | つらい練習もしてきて良かった。悔いが残らないように全力で臨みたい。 |
20 | 藤野航 | 捕 | 率直にうれしい。今までやってきたことが報われた気持ち。 |
(埼玉新聞)
浦和学院・吉田匠吾選手「何かが打たせてくれた」
最後の打者を打ちとった瞬間、ベンチから走ってくる仲間の姿を見て涙が止まらなかった。「監督には『勝った方が泣くな』と言われていたんですが、思わず感極まってしまって」。浦和学院の吉田匠吾選手(3年)は試合後、照れくさそうに話した。投打に活躍し優勝の立役者となった。
今大会、準決勝までの6試合でわずか2安打。この日も1打席目は初球を打ち内野ゴロ。だが、感触は悪くなかった。「初球を打つことで相手に攻めの姿勢を見せたかった」
二回の2打席目も初球を打つと決めていた。高めに抜けたスライダーを思いっきり振り切ると、大きな弧を描き右翼席へ。笑顔でダイヤモンドを1周した。
「なんで打てたんだろう……。何かが打たせてくれました。やるべきことを120%やりつづけていたからかな」。万全の準備の結果が、大舞台で表れた。3打席目も適時三塁打、5打席目も二塁打を放った。
準決勝まで4試合でマウンドにも立った。この日も七回裏無死一、二塁のピンチで登板し、試合終了まで投げて被安打1。「やってきたことを信じて試合で発揮するだけ。投手か打者、どっちが好きとか、別にないです」。与えられた役割を全うするだけだ。
冬には部内で新型コロナのクラスターも発生し、部活動が約6週間完全ストップ。一時は「絶望的」だったというチームが、甲子園行きを決めた。「本当にうれしい。毎日つきっきりで指導してくれている森監督に恩返ししたい」と意気込んだ。
「代理監督」先制の一打 浦和学院・吉田瑞樹選手
浦和学院の吉田瑞樹選手(3年)は一回、2球目のスライダーを中犠飛とし先制点をたたき出した。二回と八回にも適時打を放った。「4番を打たせてもらってるので、いつでもチャンスで回ってくるイメージを持っています」
捕手としても4人の投手をリードした。そのうち3人が2年生。「自分の球を信じてミットをめがけて投げろ」と声をかけた。投手を勇気づけることを心がけているという。監督からも継投の判断をほぼ任されており、「代理監督」と呼ばれるほど信頼も厚い。
自分にとっても森監督にとっても最後の夏。目指すのは、もちろん頂点だ。
(朝日新聞埼玉版)
グラウンドの”監督”浦和学院・吉田の決意「甲子園で森監督胴上げ」
浦和学院が3年ぶり14度目の甲子園出場を決めた。試合後の優勝インタビューで、森士監督(57)が今夏限りでの退任を電撃発表。グラウンドでの“監督”と呼ばれる吉田瑞樹主将(3年)を中心に、全国の頂点を目指す。
人さし指を突き上げた浦和学院ナインが、マウンドに集まった。もみくちゃになった吉田瑞は、涙が止まらなかった。「去年、負けた思いがこみ上げてきました」。新チームで臨んだ昨秋県大会で3回戦負け。その責任をずっと背負ってきた。
今大会は全7試合で「4番捕手」。攻守で甲子園への戦いを支えてきた。この日は初回1死一、三塁から先制の中犠飛。打線に勢いをつけ、伝統の「つなぐ野球」を体現した。リードでも4投手をしっかり導き、流れを渡さなかった。
今年のチームの特徴の継投を支え、森監督からは「監督」と呼ばれる。ベンチの指揮官とは、アイコンタクトで意図が伝わる信頼関係がある。「球が来ていません」「まだいけます」。継投のタイミングも一任されている。かつての弱気な性格を変えようと主将に任命した森監督は「立場が人をつくる。冷静に分析できるし、堂々としてきた」と目を細める。
災いが転じて、絆が深まった。今年1月、寮で新型コロナのクラスターが発生。部員やコーチ陣も次々と感染する中で、奔走したのが森監督だった。ドアノブ消毒などの感染対策だけでなく、寮の掃除もトイレまですべて請け負った。今まで見たことのない姿。約6週間、練習ができない厳しい環境下で焦りも感じる中、ナインの胸には監督の思いに応えたいと思いも強くなった。
試合後の閉会式。吉田瑞はマイクの前に立ち、スタンドに向かって堂々と宣言した。「甲子園で森監督を胴上げできるように、精いっぱい戦うので、応援よろしくお願いします」。浦学ナインの思いは、1つだ。
電撃退任報告の浦和学院・森監督後任候補に長男で部長の大氏
浦和学院・森士監督(57)が、今夏限りでの退任を電撃報告した。優勝インタビューの最後に「この夏をもって監督を退任しようと思っています。埼玉の高校野球ファンの皆さんに、お礼を申し上げたい」と話した。本来は学校に戻ってからのミーティングで発表する予定だったが、自ら公表した。
監督生活30年目。2年前から、区切りを決めていた。19年秋季県大会の準決勝で花咲徳栄に敗れ、学校側と話し合った。「(チームを)私物化するのは良くないと思っていた。これで終わりではなく、浦和学院は永久に不滅です」。86年に64歳で亡くなった恩師である野本喜一郎前監督からの魂を引き継ぐのが役目。「(ここから)1日でも長く、監督生活をエンジョイしたいです」と笑顔だった。今後はNPO法人「ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」の理事長として、地域の子どもたちの学習や運動のサポート活動にも注力する予定。後任には、長男で同部の部長を務める大氏(30)が候補として挙がっている。
森士(もり・おさむ)
1964年(昭39)6月23日、さいたま市生まれ。上尾、東洋大では投手。87年に浦和学院に赴任。投手コーチを経て、91年8月に27歳で監督に就任。13年にはセンバツ初優勝。16年から早大大学院に入学し、修士を取得。今夏で、春夏通算22度の甲子園出場となる。今年4月から副校長に就任。家族は夫人と2男。
(日刊スポーツ)
浦和学院・森士監督 優勝インタビューで電撃退任発表 57歳高校球界屈指の名将”有終”聖地へ
埼玉大会は浦和学院が昌平を10-4で下し、3年ぶり14度目の甲子園出場。森士(おさむ)監督(57)は試合後に今夏限りでの退任を電撃発表した。
歓喜に沸くナインに衝撃が走った。甲子園出場決定から約5分後の勝利インタビューで「選手を称えたい。おめでとう」と笑顔で語った森監督が表情を一変させ「まだ選手に言ってないけど、この夏をもって監督を退任しようと考えています」と電撃告白。続けて「30年間見守り、応援していただいた埼玉県の皆さんにお礼を言いたい」と頭を下げた。
91年の監督就任から30年。上尾時代の恩師で元浦和学院監督の名将・野本喜一郎氏の野球を受け継ぎ、多くの選手を育てた。13年センバツでは初の日本一も達成。30年の節目を退任理由の一つに挙げた指揮官は後任を現野球部長の長男・大氏(だい=30)と明かし「野本監督が炎をともし、チームが継承してくれた。浦学は永遠。今後は側面からバックアップしたい」と約束した。
手塩にかけた選手らが「浦学野球」で最後の花道となる舞台を勝ち取った。4投手が4失点に抑え、打線は2回に1番・吉田匠吾(3年)の右越え3ランなど13安打で10得点。チーム全体で昌平を圧倒した。投げても7回途中から無失点で締めた吉田匠は「最後の代になる自分たちに付きっ切りで指導してくれた監督に恩返ししたい」と決意。指揮官から継投のタイミングも託されるなど信頼されている捕手の吉田瑞樹主将(3年)も「雰囲気で(退任を)察知していた。監督を甲子園で胴上げできるよう頑張りたい」と呼応する。
高校球界屈指の名将が迎える最後の夏。「甲子園で胴上げ」がナインの合言葉となった。
≪後任長男が浦学野球継承≫後任監督の森大野球部長は「エッ、言っちゃったんですか?」と驚きを隠せない。本来なら試合後、学校へ戻ってから選手たちへ説明し、発表する予定だったという。「僕が今30歳で、生まれたときから父は監督。(偉大な父の後任で)伝統の重みを感じるけど、浦学の野球を一番近くで見てきた」と大部長。08年夏には同校の選手として親子鷹で甲子園出場も果たしており、監督と部長で臨む最後の夏へ向け「花道を飾ってあげたい」と力を込めた。
(スポニチ)
浦和学院、昌平破り3年ぶり14度目V 森監督は今夏で退任表明