【写真】浦和学院・斎藤良介外野手=甲子園球場(産経新聞埼玉版)
「チームのために絶対に出塁しなければ」。九回1死、必死の思いで低めのスライダーをたたくと、白球は中前に達した。この試合、自身の初安打。しかし後続が倒れ、チームはサヨナラ負けした。「チャンスをものにできなかった」。悔しさを静かに飲み込んだ。
母、恵子さん(49)の勧めで野球を始めたのは小学1年の冬。「少しでも高いレベルでプレーがしたい。自分の力がどこまで通用するか試してみたかった」。進学先には名門、浦和学院を選んだ。
「メリハリのあるしっかりした考え方を持った生徒だった」。この日、入間市から応援に駆けつけた中学時代の担任、小沢明浩さん(53)は人柄をこう評する。負けはしたが、3年間、寮生活をともにした兄弟のようなチームメートとともに甲子園をわかせた。
この夏、一番の思い出は県大会準決勝の聖望学園戦だ。九回2死から適時打。値千金の一打で1-0の勝利を導いた。「信頼して使ってくれた監督。兄弟のような仲間には感謝してもしきれません」。最大の目標だった春夏連覇は果たせなかったが、熱い思いは胸に刻まれた。
(産経新聞埼玉版)