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元プロ野球選手が向かう新たなる夢 三浦貴さん

 東洋大学報に浦学OBで元プロ野球選手の三浦貴さんが掲載されています。

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 いまや常勝を誇る東洋大硬式野球部。卒業生にはプロ野球や社会人野球で活躍する選手も多いが、彼らはみな、後輩たちが優勝に湧き立つ喜びを温かいまなざしで見つめながら、かつて同じグラウンドで汗を流した、原点の日々を想っているに違いない。

 今回登場するのは11年前、同じく神宮球場でリーグ優勝の胴上げに舞った人物。そして、さまざまな経験を経て、いま再び、新たな夢を抱き東洋大のキャンパスで学ぶ学生でもある。

◇プロ野球選手としての貴重な経験「とことん考える力」の大切さを知る

 夕刻の白山キャンパス。約束の時刻に姿を現した青年は「よろしくお願いします」と頭を下げた。がっしりとした体格と快活な挨拶が、スポーツマンらしさをうかがわせる。

 三浦貴さん(33歳)が社会人の科目履修生として再び東洋大に足を運ぶようになって、2年目。身軽なTシャツ姿はひとまわり違う多くの学生たちにも、キャンパスの風景にも何の違和感もなく溶け込んでいる。クラスメイトの中には彼の2年前までの職業を知る人は多くない。在籍していたのは読売ジャイアンツ、そして埼玉西武ライオンズ。そう、彼の前職はプロ野球選手だったのだ。

 東洋大学硬式野球部から2000年のドラフト3位で巨人に入団。1年目から開幕1軍入りし、中継ぎ投手として49試合に登板。03年、野手転向。07年に巨人から戦力外通告を受け、西武ライオンズへ移籍するが、2年後、再び戦力外通告を受け、引退。今は運送会社のドライバーとして働きながら、週4日、6コマの授業を受ける日々だ。

 母校・東洋大学で再び学ぶことを決意したきっかけは「教員免許を取得して、指導者としてのスタートを切ってみないか」という、高校時代の恩師(浦和学院高校野球部、森士監督)のひと言だった。新たな人生の目標が、くっきりと像を結び始めた。「巨人をクビになった頃から、“第二の人生”のイメージが少しずつ明確になってきたんです。プロ野球選手になることは、難関大に入るより難しい。自分は幸運にもそんな貴重な経験をさせてもらった。だったら、その経験から学んだことを後輩たちに伝えることが自分の使命なんじゃないか、って」。

 プロ生活の経験から学んだこと──それは“とことん考える力”の大切さだという。「プロ選手は、一人ひとりが個人事業主です。だから、どうしたら自分がチームにとって価値のある選手になれるかを絶えず考えていなければならない。誰もがうらやむような豊かな才能に恵まれながら、考える力が足りなかったばかりにその才能を開花させることができず、結果としてクビを宣告される選手を、何人も見てきました。だからこそ、後輩や生徒たちには、自分はどうなりたいのか、いまの自分に足りないものは何か、それを補うためには何が必要か、と徹底的に考え抜く力をつけてほしいと思っているんです」。

◇高校野球で全国制覇を──夢を後押ししてくれた母校の縁

 高校野球の指導者になって、埼玉県の高校初の全国制覇を目指すという新たな夢が見つかった。しかし、目前には超えなければならないハードルがあった。「大学の夜間部に通いながら働くためには、夕方早くに仕事を切り上げなければならないし、残業もできない。会社の理解が不可欠です。内定をいただいた企業もあったんですが、なかなか条件面での折り合いがつきませんでした」。

 そんな状況を救ったのが母校の縁だった。運送会社を経営する、硬式野球部の先輩が運転手として採用してくれたのだ。埼玉県から甲子園優勝校を。そんな夢を共有する人のつながりが、三浦さんへの期待となって現れた。

 仕事は、自動車メーカー・ホンダの工場へ部品を運び入れる仕事。倉庫で部品を積み、工場で降ろす。倉庫と工場の往復は1日9回。部品の中にはエンジンなど、数百キロに達するものもある。1日のタイムスケジュールを聞くと、「朝は6時前に出社。午後4時ごろに帰宅して、5時には大学に向かう。6時10分から9時20分まで講義を受けて、家に着くのは10時ごろ。12時にはベッドに入ります」と語る。淡々とした口調に、悲壮感は微塵も感じられない。そこには、夢に向かってまっすぐに突き進む者に特有の、充実した表情があった。

 かつての大学生活は「99%が野球、勉強は1%だった」と冗談交じりに語る三浦さんだが、社会人となってからの「新たな学び」には、当時感じることのできなかった刺激や喜びがあるという。「勉強の目的がはっきりしているからでしょうね。毎日の授業が楽しくてしょうがない。特に専門が“政治経済”なので、実社会での仕事経験も、教師や指導者を目指すうえで絶対にプラスになると思うんです。例えば、東日本大震災の影響で東北を中心とした部品工場が大きな被害を受け、自動車の生産に大きな影響が出ましたが、自分自身も日々仕事をしている中で、そのことを肌で感じました。いろんな人のいろんな仕事がつながって、社会が、経済が動いている。そして自分の仕事もそこにつながっている……こんなこと、プロ野球選手時代には考えたことがありませんでした」。

 学生時代の三浦さんは、投手として通算46試合に登板し13勝19敗、防御率2.47、218奪三振を記録。優勝した2000年秋のリーグ戦では7勝2敗で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインを獲得している。

 東洋大学硬式野球部は、今年の春季リーグ戦で16回目の優勝を決め、さらに全日本選手権は連覇。先輩である三浦さんの目に、後輩たちの活躍はどう映っているのだろうか。「率直な気持ちを言えば、『どうしちゃったの? 東洋大学』って感じですね(笑)。僕らの頃は、『4年に1度は優勝』が目標のチームでしたから。僕らの代の前後から、毎年コンスタントに数人がプロ入りするようになり、全国の強豪校の選手が入部するようになって実力をつけてきたなという感じがします。今はそういう“いい循環”ができているんじゃないですか。そのおかげなのかどうかわからないけど、高橋(昭雄)監督も昔よりずいぶん優しくなったような気がします(笑)」。

 今年6月には母校・浦和学院高校での教育実習を終え、来年3月には教員免許を手にする予定。現役の東洋大生に向け、こうアドバイスを送る。「いまのうちに、自分が将来、何になりたいかを、できるだけ具体的にイメージして欲しい。最近では、せっかく就職しても数年で辞めてしまう学生が少なくないということですが、漠然と考えていたのでは、自分が何をすべきかが見えてこない。僕自身、教員免許を取って高校野球の指導者になると決めたときからは、仕事と勉強の両立も、むしろ喜びになった。学生生活の中で自分の将来についてとことん考え抜いてほしい」。

 プロ野球選手になるという夢を叶え、さまざまな困難を乗り越え、そしていま、また新しい夢に向かって学ぶ彼の言葉には、これからを担う後輩たちへの熱い想いが込められていた。

■三浦貴(みうら たか)プロフィール

 1978年生まれ、埼玉県出身。浦和学院高校卒業後、1997年4月東洋大学経営学部商学科に進学し、硬式野球部に所属。2001年3月卒業。2000年のドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。2008年シーズンから現・埼玉西武ライオンズに移籍。2009年戦力外通告を受け引退。

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