12月9日~11日まで石巻市鹿妻・子鹿クラブスポーツ少年野球の子供たちが来校されました。その様子をご覧下さい。尚、石巻に帰った翌日からの練習では子供たちが意識的に動き、さらに、野球に取り組む姿勢に変化が現れているそうです。
◆活動の様子 全18ページです
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23.12.9~11 子鹿クラブ.pdf
笑顔の交流第2弾 浦学生がもらったたくさんのエネルギー
元気いっぱいの鹿妻・子鹿クラブスポ少野球チーム。「本当に野球が好きなんだ!!」「野球ができることを心から喜んでいる。」という気持ちが全身から伝わってくる。そして、なんと言っても全員が素直、「エールを送りたい」「何かしてあげたい」という気持ちにさせてくれる選手とスタッフの皆さんたちだ。
この子たちとの初対面は、きっと大震災から3週間後の4月2日、石巻初訪問した鹿妻小学校ですれ違っていたはずである。まだ、同小学校は自衛隊の炊き出しが行われ、ライフラインは完全にストップしていた。浦学が配布したポンチョは瞬く間に被災者の方々の手に渡った。
そして、5月30日鹿妻小学校に隣接する鹿妻保育所に運動靴を支援するため、チヨダ靴店から運動靴を購入、同時に「少年野球スパイク」の協賛を受け、支援先を石巻にも打診中、朝日新聞全国版に「野球用具を送って下さい。」と鹿妻・子鹿クラブのあどけない少年たちからの訴えが掲載されていた。後から代表の阿部日出喜さんの話では、全国26団体から申し入れの話だけは合ったという。しかし、現実は運動靴のサイズなどを聞いただけで音沙汰が無くなってしまう例も少なくなかったという。そこで、野球部などが集めた野球用具などを届けたところ、石巻・女川の全少年野球チームに配布して下さり、浦学の支援目的を十分に理解して下さった。
その後も科学の祭典などで本校生徒が石巻を訪問した際に、鹿妻・子鹿クラブの練習場所にも立ち寄り激励などの交流を継続し、今回の浦和訪問のきっかけとなった。
来校時の詳細は、朝日新聞・埼玉新聞・毎日新聞に記載されているので、文章の紹介は少なくし、本校生徒との「笑顔の交流」をお伝えする。
前夜0時の到着も苦にせず、早朝散歩して本校舎の食堂に向かう子鹿クラブの子どもたち、メニューはサンドイッチ
いよいよ初対面、野球部は引退した3年生が子供たち一人の世話役としてペアを組んだ。「最初は接し方が不安でした。」と、浦学生。5分足らずでバディーを愛称で呼び合い、2日間という短い時間のスタートをきった。
前日の雪で野球場が午前中は使えず陸上競技場で行われたアップ体操。当然浦学メニューながら子供たちも3年生にまじり一生懸命声をだし、慣れない動きを繰り返した。その表情は真剣そのもの。輪になって声掛けから始まり、ランニング、ストレッチ、ダッシュと1時間の時間をかける体作りにびっくり。
歓迎パーティー
義援金活動同様に、被災地から子供たちを呼び浦学の施設を開放し遊んでもらう企画は、校内でもたくさんの組織の協力があって成り立っている。ただ、グランドを貸すだけなら仙台市内のグランドを有料で借りてあげれば良い。「浦学に来てもらったからには…」、生徒・教職員には一人ひとりたくさんの思いがつまっている。お昼を食べながら行われた歓迎パーティーでは、野球部と対策本部以外でも大勢の浦学ふぁみり~が参加し子鹿クラブの子どもたちと接し、会を盛り上げてくれた。
写真右から、乾杯を担当した生徒指導部の小茂田部長は、「浦学に良く来てくれました。浦学の乾杯はエイエイオーです。」と、子供たちをリラックスさせ、興味を引き付けてくれた。
写真中央の生徒活動部長岡部長は閉会の言葉を担当し、「野球部以外にも、吹奏楽部・ソングリーダー部、明日はサッカー部のみんなが歓迎のセレモニーをしてくれます。全国大会に出場したマーチングの披露や浦学ファイヤーレッズの野球応援を披露します。是非、楽しんで下さい」と、本校生徒をそれぞれ紹介し、本校の結束力を見せてくれた。
写真左は、野球推進部高間部長(埼玉県高等学校野球連盟理事長)は歓迎の言葉を担当し、「みんなのことを心待ちにしていました。思う存分に野球を楽しんでいって下さい」と話し、前夜も午前0時の到着まで学校に待機し、歓迎を先導してくれた。
今回の企画には、野球部74名、吹奏楽部70名、ソングリーダー部30名、サッカー部59名、野球部父母会の皆さんの協力があり運営ができました。食堂でのスタイルだけではなく、吹奏楽部が体全体で表現してくれる演奏と演技、ソングリーダー部が自然に作ってくれた花道、サッカー部が制服で最後まで見送ってくれた真摯な姿勢は「浦学にしかできない活動」を印象づけ、石巻の子どもたちから「こんな学校に入りたいなぁ」「どうしたら、浦学に入れますか」と、こちらが期待していないような言葉を自然と表現してくれました。
元気にあいさつしてくれた野球部 明石主将(写真右)
鹿妻・渡波地区は津波の被害が拡大。今回来校した22名の選手の自宅も半分以上が津波で流されてしまった。プレゼントの内容は、事前に希望をお聞きし、学校に使える通学バックとリュックとなった。ソングリーダー部からは、リュックサックを。吹奏楽部からは、エナメルバックを。野球部からは、同伴したスタッフや保護者に小さなエナメルバックをプレゼントした。すべて、「KAZUMA」の文字が入っている。
協力:(株)ベースマン大宮店 松本氏(OB)
吹奏楽部・ソングリーダー部が歓迎セレモニー
午後から野球場出陣
初日午後からは、野球場で練習。既に一・二年生の「地獄ノック」が始まっておりその迫力に圧倒されていた。タイヤをつけて20分、外して20分、そして○○(内緒)分行われるノックだが、一緒に見学していた3年生からは「まだまだ甘い。」と、下級生に檄が飛んだ。
対策本部の車谷もノックに参加。「浦学で一緒に野球をしよう!!」の約束を果たすことができた。まだ街頭も点いていない鹿妻地区はとにかく暗い。この子達が笑顔で野球を続けてくれることを願うばかりだ。野球部3年生の言動はとても立派だった。相手のことを思い、考え、彼らの素晴らしい一面にも接した。
練習後は温泉へ 夕食は学食でバイキング
被災地の方々と接する際、校長より「すべて相手の立場に立った配慮を、何事も自ら感じ、考え、行動しなさい。」という方針が明確に出されている。野球のみならず、仮設住宅で住まれている方が多いと聞き、学校から10分の温泉「小春日和」にて日頃の疲れを癒してもらった。子どもたちは、浦和に温泉があることにびっくり。清潔で広い温泉に大満足のようだった。また、食堂業者さんもバイキングでもてなしてくれた。
温泉協力:見沼天然温泉 小春日和(時間調整、料金などの割引き)
食事協力:富士食品商事(株)(盛り沢山の食事とお菓子などの提供)
子鹿クラブ卒団式
浦学の食堂で子鹿クラブの卒団式が行われた。大震災の影響で試合数は激減。活動すらままならなかった。しかし、最後の大会で39チームが出場し準優勝という輝かしい結果も残せたとのこと。津田監督さんから卒団6年生に記念メダルと記念品などが手渡され、固い握手がおこなわれた。下級生から6年生あてに読まれた作文はどれも涙腺の緩むものばかり。その中の一つをビデオで紹介したい。(ビデオを見る)学校主催の余興として行われたビンゴゲームでは、用意した野球キーホルダーに興味津々。意外と真剣勝負に…。
2日目は一・二年生と練習
今日も時間をかけたアップ体操から始まり懸垂、キャッチボール、ノック、バッティングが行われた。
子どもたちは、「投げる・打つ・捕る・走る」だけではなく、「声の出し方」「甲子園という目標のための練習方法」など大切なことを感じてくれたようだ。その表れが最後のグラウンド整備だった。浦学生が始めた瞬間、ベンチで片づけをしていた子供たちがグラウンドに走り出した。浦学生たちはトンボを預け、子供たちにグラウンド整備の方法を伝授した。そして何よりも、石巻に帰った月曜日の練習でエラーした選手が校歌を歌っていたらしい。これは、浦学のノックで得た教訓だ。役に立てて嬉しい。
野球部3年生が自分の宝物を子供たちに
Tシャツやタオルなど、3年生は、子供たちにプレゼントを用意していた。子鹿クラブ阿部代表も感極まり、ご自身の帽子を小林元主将に。
いよいよ最後のお別れ!!
最後の最後まで野球部の協力体制は素晴らしかった。顧問の安保先生発案で、「絆」のキーホルダーを用意、バットとキャッチャー道具はスポーツ店が協賛してくれた。協力:オガワスポーツ
そして、ミサンガは、子鹿クラブさんが本校生徒のために100個を用意。本校からも浦学カラーのミサンガを選手分22個を野球部マネージャーが制作し、交換した。「自分たちの知っているお兄ちゃんが甲子園で活躍して欲しい」という願いが込められている。また、子供たちは自分たちが作成してきた名前入りのネックストラップをバディーのお兄ちゃんたちの首にかけてくれた。見送りに来てくれたサッカー部選手たちにも子どもたちからミサンガが手渡された。
隠されたビッグなプレゼント!!
さいたま市の少年野球教室を訪れていた横浜ベイスターズ木塚敦志投手コーチ(本校16期生)と大嶺勇太投手(沖縄県八重山商工出身)が浦学野球部OB田村雅樹氏(15期卒業生)の配慮により駆けつけてくれた。二人からは、熱いメッセージと全員の子どもたちと握手、記念撮影を行い最後の最後までサプライズが絶えなかった。阿部代表と津田監督も二人からサインをもらい、「今後の活動の励みにしたい」と語った。
<追記>
子鹿クラブよりお礼のお手紙が届きました
↓原文はこちら
子鹿クラブ 芳賀様からのお手紙1.pdf
浦和学院の皆様へ
先日は子供達のため遠方にもかかわらずご招待して頂きありがとうございました。
小6、3の息子達が子鹿クラブでお世話になっています。兄は最後の年、副キャプテンとしてのシーズンが始まろうとしていた時、大震災が起こりました。避難し家族は無事でしたが2日目水も引き始め、多数の犠牲者とガレキ、ここがどこなのかわからなくなる程の町の惨状とやっとたどり着いた我が家を目の前に呆然と立ちつくしました。子供達の大事な物、小さい頃からの思い出、家のほとんどが津波がのみこんでしまいました。自宅の事が心配で気がかりな息子達を連れて行けたのはそれから3週間たった頃、それでもまだ安置できず道路脇に横たわる犠牲者に手をあわせ、変わり果てた自宅を目の前にした息子達は気丈にも泣きはせず、ただ唇をかみしめ、必死で耐えようとする姿、今も忘れることができません。
全てにおいてこれからどうなるのか心配でしたが、全国各地からたくさんの支援と励ましを受け、助けられ、生きていく希望がもてました。それが私達にとりどれ程の支えと力になったかはとても言葉ではあらわせません。そして最大の力を与えてくれたのは、数日は食べる事もままならず一ヶ月続いたライフラインがない中でも、常に笑顔で泣き言ひとつ言わず頑張ってくれた息子達です。
そんな子供達に今回、大好きな野球を通じて素晴らしい出会いの場を作ってくれた浦和学院の皆様、本当にありがとうございました。野球部の選手にとっては春のセンバツに向け練習しているにもかかわらず、温かくむかい入れ、子供達と同じ目線で優しくしていただけた事は、きっと子供達にとって一生の宝物として心に残ると思います。1、2年生の選手の方は甲子園、3年生の皆さんは進学、社会人へと進むこれからのご活躍を石巻の地からずっと応援しています。
小6の兄の進学する渡波中は被災のため、となり町の小学校に仮設校舎が建てられました。大好きな野球の活動もままならない事でしょう。しかし、あの日見せてもらったお兄さん達の努力している姿を忘れずに、目標に向かい、キラキラ輝いてほしいと思います。私も帰りにハイタッチをしてくれた皆さんの頑張りと努力の証と勲章でもあるまめだらけの手の感触を決して忘れません。本当にありがとうございました。またお会いできたらうれしいです。
母 芳賀広子
子 海斗、悠太
※子供達は書くことがたくさんある様で、あとからお兄さん達へ送りたいそうです。
(浦和学院高校公式ホームページより)
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。