今春のセンバツで、念願の初優勝を飾った浦和学院高(埼玉)。これまでも甲子園の常連校でありながら、頂点まではあと一歩届かなかった。この春、その壁 を破れた理由はどこにあるのか。森士監督は「これをやったから、というようなものはない」というが、やはりそこには、日ごろから積み重ねられた、何らかの 要素が必ずあるはず。目には見えにくいかもしれないが、そこに隠されたものこそが、きっと「日本一へのメソッド」といえるのだろう。
◇「0.1秒の判断力・決断力」がカギ
今年のチームは、昨年の春、夏の甲子園でそれぞれ2勝ずつした旧チームと比べると、力は劣ると思っていました。優勝した今でも、実力があるチームだとは思っていません。
今大会はどの試合も中盤までは接戦で、どっちに転んでもおかしくなかった。楽に勝てた試合は一つもありませんでしたが、粘って、チャンスを逃さないウチらしい野球ができました。今まで準備してきたことがいい結果につながったと思っています。
「これをやったから優勝できた」という秘訣のようなものはありませんが、勝つために私が大事にしているのは、1球への判断力と決断力です。
野球は1球1球の積み重ねです。攻撃でも守備でも、ボールが来る前の準備をして、実行し、確認する。1球1球に「予習」と「復習」があります。普段の練習からその1球ごとの判断力や決断力を意識して取り組んでいます。
例えば、ただ漠然と打ち込んだり投げ込んだりするのではなく、「試合のこの状況でのこの1球」を思い描いてやる。そのための一つの工夫として、全国の好投 手が特集された雑誌のコピーを食堂の入り口に掲示して、「甲子園ではこの投手を打つんだ」と常にイメージできるようにしています。
また、「0.1秒」という時間にもこだわっています。「人生は一生のドラマだ」と言われますが、野球はそれが2時間に凝縮されたものだと私は考えています。その2時間のドラマの中で、たった0.1秒が勝負を分けることがあります。
野球の塁間27.43メートルを約4秒で走るとしたら、走者は0.1秒間でおよそ70センチ進むことになります。アウトかセーフかを決めるのは、0.1 秒=70センチの幅です。この0.1秒に集中し、瞬間的に正しい判断や決断ができるかどうかが勝敗のカギを握っているのです。
0.1秒 の判断力・決断力を磨くのに、特別な方法はありません。日ごろの練習や生活から0.1秒を意識して集中することに尽きます。練習中、集中していない選手が いたら、練習を止めて確認します。返事一つをとっても0.1秒に収める。「ハーイ」ではなく、「ハイッ」。こうしたことの繰り返しです。
選手には、常に「0.2秒で切り替えろ」と言っています。試合でミスをしたとして、その失敗を引きずっていたら集中力が欠如し、判断力や決断力が鈍ります。0.1秒で失敗したことを消去して、0.1秒で次の状況でやるべきことをイメージするのです。
この0.1秒というのは、人間がまばたきをする時間です。勝負のときは、まばたきしている余裕すらない。集中のスイッチを入れっぱなしにはできないのでリ ラックスすることも必要ですが、大切なのは気を抜いてしまわないことです。選手たちは、日ごろの0.1秒を意識した生活や練習で、試合中に集中とリラック スを切り替えることや、大会期間中に試合では集中し、次の試合まではリラックスするといったことを覚えたのでしょう。それが今大会の成果につながったと感 じています。
◇チームに求めた「自己責任」
毎年秋に新チームを作る際には、夏の大会が終わって引退した3年生が大きな役割を果たしてくれています。
彼らが一緒に練習したり、紅 白戦の対戦相手としてプレーしたりしながら、同じポジションの後輩たちのコーチ役になってくれるのです。一例を挙げると、昨秋はフリー打撃では佐藤拓也 (現立教大)がピッチャーを、笹川晃平(現東洋大)がキャッチャーを務めてくれて、1球ごとに「今のはこうだぞ」と細かく指導してくれました。
単に技術的なことだけではなく、「0.1秒の決断力・判断力」といった勝つために必要なことも普段の態度で示し、チームに浸透させてくれます。
昨年は8月19日まで甲子園で戦っていたために、新チームの立ち上げは時間との戦いになってしまいましたが、彼らのおかげで昨秋の関東大会では3連覇を達成することができました。
そんなチームのターニングポイントとなったのが、明治神宮大会準々決勝の春江工高(福井)戦です。一時は5点リードするも、6対8で逆転負け。相手投手は 途中から配球を変えてきたのに、選手たちは気づくことができなかった。ミスが出た後も焦ってばかり。「修正もカバーもできなければこうなる」という見本の ような試合でした。
あの敗戦で、ここまでの結果は引退した3年生のおかげで、チームの地力ではないと分かりました。そして、このまま各自が誰かに依存して、自分の責任をまっとうしないと取り返しがつかないことになると感じました。
野球は、個人プレーの集結です。打席でも守備でも、来たボールに対しては個人が責任を求められます。
この「自己責任」をチームに求めるために、私は明治神宮大会が終わった11月中旬から約2カ月の間、あえて練習に口出しせず、すべてをコーチ陣と選手たち に任せました。最初、選手たちは「鬼がいなくなった、練習をサボれる」とホッとしていましたね(笑)。しかし、練習を手伝ってくれた3年生がいなくなった 12月下旬以降は、「任されたからには、自分で責任を取らなければいけない」と「自己責任」の意味に気づきはじめたようです。
ただ、 「自分は自分、あとは他人事」と思っているようではダメですから、自己責任に加えて、仲間意識も求めました。それを植え付けるために、センバツの第1次メ ンバー登録の際には、監督に就任して初めて選手同士の投票によってメンバーを決めました。みんなが監督になったつもりで投票すれば、選ばれた責任も選んだ 責任も芽生えます。実際、選ばれた責任を果たしていない選手は、選手同士の話し合いで練習から外されていました。そうすると、代わりに入った選手が頑張り ます。外された選手は負けないようにもっと頑張る。こうして競争意識とともに、仲間意識も強くなっていきました。
今大会では、ミスが出 た後に誰かがそれを帳消しにするシーンが目立ちました。決勝の済美高(愛媛)戦では、5回裏に小島和哉の適時打で同点とした後、なお無死一、三塁の場面で 三塁走者が走塁ミス。同点止まりかと思いましたが、相手のミス、死球のあとに5連続長短打で一挙6得点。「自己責任」と「仲間意識」が表れた一幕だったと うれしく思っています。
ちなみに、春江工戦の新聞記事は今でも食堂など選手の目につくところに貼ってあり、教訓を忘れないようにしています。
◇積み重ねてきた5つのこと
この冬の間、練習では以下の5つのことに取り組んできました。
▽打者はバットを振る
素振りのほか、竹バットでのマシン打撃や連続ティー、片手ティーなどさまざまな形のティー打撃を含めて1日2000本を目標に振り込みました。
▽投手は腕を振る
12月上旬から1カ月間、新3年生は200球、新2年生は150球の投げ込みを2勤1休のペースで続けました。
▽守備での足さばき
フットワークを使って捕球・送球するために、「乱れ打ち」というメニューを取り入れています。これは、4~5カ所からノックされる球を、タイヤを引っ張り ながら受けるものです。どこからボールが飛んでくるかわからないので集中力を保ちつつ、一歩目のスタートに負荷をかけた状態で数を多く捕ることができま す。
▽送りバント
4人一組になって、4カ所でおこなう「プレッシャーバント」で は、各自が一、三塁側にそれぞれ10球ずつバントをします。そのうち2球まではミスしてもOK。ただし、3球ミスしたら、ミスした選手だけでなく一緒に 行っている他の15人も腹筋などのペナルティーを受けなければなりません。そうしたプレッシャーのなかで、バントが確実にできるようにします。
▽夏まで戦える基礎体力
メニューは田中昌彦トレーナーに任せています。そのなかでも、田中トレーナーが考案した「クリーチャートレーニング」という、さまざまな動物の動きを取り入れて通常の生活では鍛えようのない筋肉を動かすトレーニングが、浦和学院の体の土台を作っていると言えます。
今大会での攻撃(チーム打率.351、47得点)や守備(失点3、失策1)は、こうした冬の地道な反復練習を積み重ねた結果です。
甲子園で優勝して、今まで以上に野球が好きになりました。私も選手も、日ごろの厳しい練習のうえにある「野球の楽しみ方」を覚えたのではないでしょうか。 ただし、春は過去のこと。全国優勝も、夏の戦いにおいて「貯金」にはなりません。登山にたとえるなら、今は頂上を征服して、山を下りているところです。無 事に下山してから、もう一度冬にやったような地道な練習でしっかり準備を整えて、再び「夏」という山に挑むつもりです。
■森士(もり・お さむ)/1964年6月23日生まれ。埼玉県出身。上尾高-東洋大。現役時代は投手としてプレー。大学卒業後に浦和学院高に赴任して野球部のコーチに。 91年秋に監督に就任して、今春を含めて甲子園に計18回出場。今春、ついに念願の日本一を達成した。社会科教諭。
センバツ球児のフォーム連続写真2013
(ベースボール・マガジン社)