【写真】3回表浦和学院無死二塁、死球で出塁した竹村選手(左)と一塁コーチの贄選手=甲子園球場で(東京新聞埼玉版)
試合終了後、スタンドの応援団へのあいさつを終えて泣き崩れそうになったところを、けがで先発メンバーから外れていた贄隼斗(にえはやと)二塁手(三年)が支えてくれた。「おまえが戻ってくるまで勝ち続けるって言ったのに、ごめんな…」と声を掛け、「よくやったよ。ありがとう」と返ってきた感謝の言葉に、おえつが止まらなくなった。
昨秋から盤石の二遊間を組み、1、2番コンビとしても数々の好機を生みだしてきた「相棒」だ。同じ寮生として入学後すぐに意気投合した。朝四時半から黙々と捕球練習に取り組み、正規の練習後も夕食をいち早く終えてグラウンドに戻る姿を見て、「チーム一の努力家だ」と尊敬してきた。
先月中旬、二塁手の贄選手が埼玉大会4回戦の試合中に左手を骨折した。試合後に病院から帰り、瞳を赤くする贄選手の背中をたたき「絶対に甲子園に連れて行くから」と誓った。
贄選手のギプスは九日に外れた。竹村選手は相棒の先発復帰を信じて「もう一度、あいつと二遊間を組みたい」と、この日も走攻守にわたって持ち味を発揮した。
初戦敗退で約束を果たせなかったことに、竹村選手は試合後「くそう…」と言葉を絞り出すのがやっとで、うつむいたままだった。贄選手は「竹村は最高のプレーをしてくれた。ここまで連れてきてくれただけでも感謝しかない」と、力を出し尽くした相棒を気遣った。
(東京新聞埼玉版)