期待と重圧を一身に背負い続けた左腕の高校野球物語が最後の1ページを迎えた―。浦和学院のエース小島和哉投手(3年)は15日、県営大宮球場で行われた川口との3回戦に先発したが、5回4失点(自責点0)でライトの守備に回った。チームも1-4で敗れ、夏の全国制覇への道は閉ざされた。それでも悔しさをぐっとこらえ、「今の自分がいるのも、森先生をはじめ、仲間や先輩たちに恵まれたからです。やってきたことに悔いはありません」と、自らの成長を支えてくれた周囲への感謝の言葉で締めくくった。
◇”心”の成長 恩師、仲間に感謝
昨年春、選抜大会で浦和学院を初めての全国制覇に導くと環境が一変した。”センバツ優勝投手”の称号を背負い、常に注目を浴びた。夏の埼玉大会でも完全試合を達成するなど、埼玉県勢初の深紅の大優勝旗獲得へ、大きな期待が懸かった甲子園。ところが初戦の仙台育英戦で10失点し、チームはサヨナラ負け。順風満帆だった高校野球人生で初めて怖さを知った。
「調子いいときも悪いときもあって、悩みに悩んだ1年間でした」。新チームスタートからは本当に苦しかった。
野球人生で初めて主将に就任したが、自分だけで考え込むことが多く、チームをうまくまとめられなかった。それでも部の規則を破りユニホームを着ることができなかった冬の2カ月間で「周りを理解するからこそ、自分のことも理解してもらえる」。仲間がいるから自分がいるんだ―。掛け替えのない経験をした。だからこそ、この日も「自分が助けてあげられれば一番良かったです」と、守備のミスをした仲間を責めることはしなかった。
夏の埼玉大会が2カ月後に迫った今年5月。寮生活を送る小島投手は、春季県大会優勝後に1日だけあった休みに鴻巣市の実家に帰省した。その時、母美和子さん(53)が「精神的にきつかったのはいつ?」と何げなく尋ねると、小島投手は「何言ってるのお母さん。これからだよ」ときっぱり言い放ったという。普段は話せない息子の、最後の夏に懸ける覚悟を目の当たりにした美和子さんは、精神的な成長を感じたという。
敗戦後、二人三脚で歩んできた恩師・森士監督(50)も「小島には『ご苦労さん。よく頑張った』と言ってあげたい。人としても大きく成長した。それを結果に結び付けてあげられなかった責任は感じますけどね」とねぎらった。
技術的にはもちろん、人間的にも二回りも三回りも大きくなった3年間だった。
もう一度、灼熱(しゃくねつ)の甲子園のマウンドに戻り、輝くことはできなかったが「中学の時は無名で、憧れて入ったウラガクで一から十まで教えてくださった森先生をはじめ、この仲間たち、先輩たちに恵まれました。結果は悔しいですが、やってきたことに後悔はありません」。想像を絶する悔しさの中、恩師やチームメートへの感謝の言葉を述べ、気丈に振る舞う辺りは、最後までエースの姿そのものだった。
スタンドで見守った兄雅浩さん(21)は「今は何て声を掛けていいか分からないですけど、やってきたことは間違ってなかったと思うし、この3年間をこれからに生かしてほしいです」と、上尾高野球部で弟と同じように甲子園を目指した元高校球児らしいエールを送った。
いろいろな人に支えられた高校野球は終わってしまったが、小島投手の挑戦はここが終着駅ではない。
今後の野球人生に栄光あれ―。
(埼玉新聞)