【写真】川口に3回戦で敗れ、肩を落とし引き揚げる小島(中央)ら浦和学院ナイン=2014年7月15日、県営大宮球場
初の全国制覇を達成した第85回大会以来、2年ぶり10度目の選抜大会出場を決めた浦和学院。昨夏の埼玉大会3回戦敗退の悔しさにまみれた船出から昨秋の県、関東大会を制し、各地域の王者が集う明治神宮大会でも準優勝を飾った。試合を重ねるごとに成長を遂げたチームの軌跡を追う。
◇どん底からの挑戦 |
23日、2年ぶりの選抜大会出場を告げる連絡があった。関東大会優勝の実績から、出場は確実だったが、それでもやはりうれしさがにじみ出る。
澄み切った真冬の青空に負けない、浦和学院ナインの晴れやかな笑顔がグラウンドに広がった。選手たちが天高く投じた帽子には、日本一奪還への思いが込められていた。主将の津田は「甲子園で大暴れして、必ず全国制覇したい」と力強く宣言した。
半年前は、この日の笑顔を想像できなかった。まさにチームはどん底にたたき落とされていた。
◇まさかの敗戦 |
昨夏の埼玉大会、3連覇を目指した浦和学院は3回戦でノーシードの川口に1-4で敗れた。選抜大会優勝投手の小島を擁しながら、早すぎる敗戦だった。
一回に野選や判断ミスで2点を失うと、四回にも犠打処理の乱れから2点を失った。相手に渡した流れを一度も変えることなく、無抵抗のまま大会から去った。3回戦敗退は1997年以来、17年ぶりの屈辱だった。
王者らしからぬ、あっけない敗戦に、森監督は「監督がいれば、小島がいれば、浦和学院にいれば甲子園に行ける。自分たちも何とかなるだろう、という甘さがあった。チームにひずみが生まれていた」と敗因を振り返る。
◇涙の「負けラン」 |
学校に帰り、森監督と3年生のミーティングが行われた。当時主将の土屋が切り出した。「森先生の言ってきたことを聞かず、すみません」。チームの和を重んじる監督の教えを生かしきれなかったことをわびた。
例年ならば、ねぎらいの言葉をかける指揮官も、「今、お疲れと言ってほしくないだろ。わだかまりや後悔が残っていることは否めない。補習だな。走るぞ」と、下級生の待つグラウンドにチーム全員を集めた。
野球部には「負けラン」と呼ばれる練習がある。外野の右翼側から左翼側へ約90メートルをダッシュする。中間地点までジョギングで戻り、残りの距離は歩きながら思いの丈をぶつけ合う。負けの10本、3点差×2本の6本で計16本の「負けラン」が行われた。
悔し涙、自責の念。この時ばかりは選手たちの口数も少なかった。半ば放心状態で気持ちを紛らわすように体を動かし続けた。川口戦に出場した現主将の津田は「あの日は何が起こっているのか、分からなかった。頭が真っ白になっていた」とショックの大きさを口にする。
受け止めきれない現実。それでも立ち止まってはいられない。もう秋に向けた、選抜大会に向けた戦いが始まっている。屈辱の敗戦を喫した7月15日、新チームは走りだした。
(埼玉新聞)