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ベビーフェースのドラフト候補 立大・佐藤が狙う米5タテ…12日から日米大学野球

 侍ジャパンの大学日本代表が、第40回日米大学野球選手権大会(12日開幕・ハードオフ新潟ほか=報知新聞社後援)で激闘を繰り広げる。メンバーの立大・佐藤拓也外野手(4年)は、これまで高校、大学時代に3度の日本代表入りと経験豊富で、シュアな打撃のキーマンだ。爽やかなベビーフェースも人気の今秋ドラフト候補は、米国への熱いライバル心を燃やしている。

笑顔でバットを構える立大・佐藤拓也

笑顔でバットを構える立大・佐藤拓也

 野球日本代表の「侍ジャパン」は、プロによるトップチームから社会人や大学、12歳以下の小学生によるU―12まで各世代で編成されている。7月の日米大学野球選手権には、大学トップレベルの24人が選び抜かれ、“日の丸”を背負って戦う。佐藤は野手で唯一、ジャパンの経験を持ち、横井人輝代表監督(54)=東海大=から期待を寄せられている。

 「横井監督には、野手の中心になって引っ張ってくれ、と言われています。プレーでもそれ以外でも、まとめ役でいいチームを作っていけたらいいと思う。大学2年、3年と選んでいただき、集大成というか、大学野球最後の日本代表は、経験を生かして戦いたい」

 身長173センチと小柄な体格で、あどけない横顔は普通の大学生に見える。だが、全国屈指の強豪・浦和学院高で3度の甲子園出場。1年春から内野手でいきなりベンチ入りして、秋にはエースとして「背番号1」を与えられた。厳しい練習に耐えて、野球エリートの道を歩んできた。

 「『甲子園に出たい』という明確な目標があったので、厳しかったですけど頑張れた。自分たちの時は、朝5時には練習を始めて、夜も全体練習は9時とか遅くまでやっていた。練習量も多いですけど、常にグラウンドを動き回って、時間に無駄がない。一日一日があっという間に過ぎて、自信や忍耐力はつきました」

 2年春センバツで初めて甲子園の土を踏み、3年は春夏連続で聖地に駒を進めた。3度の挑戦も全国制覇はかなわなかったが、2012年に最後の夏を終えた後、韓国で行われた18U世界野球選手権の代表メンバーに選ばれた。初めてジャパンのユニホームに袖を通した国際舞台で、米国への強烈なライバル心が芽生えた。

 「自分が登板したのは(5、6位決定戦の)韓国戦で、そこは楽しんで投げていたんですけど、ベンチから見ていたアメリカ戦は、すごく鮮明に覚えています。ああいうことがあったので」

 決勝進出をかけた予選第2ラウンドの米国戦、1点リードの7回に「ああいうこと」は起きた。無死二、三塁からの一ゴロで、本塁でブロックする捕手・森友哉(現西武)が三塁走者のタックルで吹き飛ばされた。判定はタッチアウトも、森は軽い脳震とうを起こした。その後も同様のラフプレーが起き、この回に一挙4失点で後味の悪い逆転負けを喫した。

 「そういうのは日本の高校野球じゃありえないし、野球とベースボールの違いみたいなものを感じた。(出場選手の)技術は負けていなかったと思いますが、タックルされて流れが変わって、そういうアメリカの野球に対応できなかった。ちょっとみんな混乱した感じがあって、そこから崩れて負けちゃったので」

 日本は6位に終わり、米国は優勝を飾った。リベンジの決意を胸に刻んだ一方で、代表チームならではの楽しい思い出も多かった。大谷翔平(現日本ハム)や藤浪晋太郎(現阪神)ら“世代最強”たちとの日々は、佐藤の野球人生のターニングポイントとなった。

 「今も2人はプロで活躍していますけど、レベルの高さを間近に見て、正直、翔平や藤浪にはかなわないなと思った。だから大学に行ったら、野手に専念しようと気持ちが切り替わったんです。それに今までライバルとして戦ってきた相手が仲間になって、すごい新鮮でした。戦っている時にできない会話もできて、球場を出れば普通の高校生と友達みたいな感じでした」

 立大で外野手に転向すると1年春からベンチ入りして、同秋と2年春にベストナインを受賞する活躍。通算87安打は東京六大学リーグの現役最多と素質が開花した。

 「1年の春は大学のレベルに対応できなくて、スイングスピードとパワーをつけないといけないと思い、とにかくバットを振り込んだ。1年秋が終わってからはフォームを変えた。青木宣親さんの動画とかをよく見て、タイプも似ているというか、ああなりたいと思っていた。しっかり軸足に(体重を)乗せる意識を第一に取り組んだ」

昨年のユニバーシアードでも侍ジャパンで活躍した(写真は同大会への壮行試合)

昨年のユニバーシアードでも侍ジャパンで活躍した(写真は同大会への壮行試合)

 2年時は第27回ハーレム国際野球大会(準優勝)、3年時は第28回ユニバーシアード競技大会(決勝が雨天中止で日本と台湾が優勝)で代表入り。特にハーレム国際大会の決勝戦は、“メジャーの卵”がそろうアメリカを相手に、3―6で敗れて、再び壁の高さを痛感させられた。

 「1番バッターの(ダンズビー・)スワンソンは、ドラフト1位でメジャーに行った選手(Dバックスから15年ドラフト1位指名。現ブレーブス)。あと4番や5番の選手は、ごつい(体格の)選手だから足は絶対遅いだろうと思っていたら、メチャ速くて盗塁も普通に決めていた。もっとスピード感もパワーもないといけないし、自分のプレーのスケールが小さい。まだまだやることがいっぱいあると感じました」

 熱い闘志を胸に秘めつつ、服装や好みのタイプなどを語る姿は、人懐っこい大学生そのものだ。

 「表参道のジムに通っていて、その帰りに渋谷とか原宿で服は買ったりします。(主将の)沢田(圭佑)も結構おしゃれに詳しくて、一緒に行ったり聞いて買ったりです。最近は有村架純さんが好きですね。かわいいッスよね? あまりアイドルみたいな性格の子は苦手で、さばさばした感じの人がいいです。今までの彼女も? そうッスね(笑い)」

 スマホのゲームなどはせず、カラオケでも「聞く側」が多い。仲間との食事が何よりの息抜きで、チャーミングポイントは“ギャップ”と笑う。

 「最近、顔と体が合ってないって言われるんですよ。童顔なのに体はゴリゴリだよねって。筋肉はある方だと思います。焼き肉が好きで、メッチャ食べるからビックリされますし、食べ放題の時間内にタンやハラミをひたすら食べてます。みんなから意外に見られます」

 日本の過去の対戦成績は86勝120敗2分け。佐藤自身は大学での米国戦は2大会計4試合で15打数2安打に終わっている。チーム一丸で打倒・米国への思いは強い。これまで野球でプレッシャーを感じたことは、ほとんどないという強心臓。涼しい顔で大仕事をやってのけそうな予感がする。

 「アメリカには今まで負けていることが多いので、今回は5試合全部勝ちたい。積極的にヒットを打っていきたいと思うので、そこを注目して見てもらえたら」

 プロ入りを夢見る若武者は、絶好のアピールの舞台とも考えている。これまでも野球人生の岐路となってきたジャパンで、おのれの可能性を切り開いていく。

佐藤拓也(さとう・たくや)

 1994年8月12日、茨城・鹿嶋市生まれ。21歳。鹿島小1年から鹿島リトルで野球を始め、同4年から本格的に投手に。鹿島中時代は軟式でプレーし、浦和学院高では1年春から内野手としてベンチ入り。同秋から投手として背番号1で、明治神宮大会4強入り。3年春センバツで8強入りなど3度の甲子園出場。173センチ、75キロ。右投左打。家族は両親と姉。

(スポーツ報知)

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