大谷、誠也と同じ舞台に立つ。東都大学野球リーグの4年生の進路が29日、ほぼ出そろった。ドラフト候補だった東洋大・笹川晃平外野手(4年=浦和学院)は、プロ志望届を提出せず社会人の東京ガスに進む。今秋のリーグ戦では打率4割1分7厘、3本塁打で「2冠」を達成。11打点はリーグ2位で、ロッテ井口(青学大)以来の「3冠」にも近づいた。高校日本代表で日本ハム大谷、大学2年秋のU21日本代表では広島鈴木とチームメートだった右の強打者が、2年後のプロ入りを誓った。
誰にもプロ行きを賛成してもらえなかった。打率2割9厘に終わった春のリーグ戦後も、プロ志望は変わらなかった。「背中を押してくれると思った」と周囲に思いを打ち明けた。東洋大・高橋昭雄監督(68)には「社会人でやれ。春の結果が実力だ」と言われ、浦和学院時代の恩師・森士監督(52)にも怒られた。笹川は「周りを納得させる結果も出ていなかった。根拠のない自信だった」。夢は打ち砕かれ、落ち込んだ。
プロにこだわる理由があった。大谷や鈴木の存在だ。「ここで行かなかったら、もっと差が開いてしまう」。大学2年秋に鈴木らプロに交じってU21日本代表に選ばれたとき、大谷から連絡をもらった。その後、同い年の仲間は球界を代表するスターに成長。笹川は左股関節を手術し、結果を残せなかった。「自分は何をしているんだろう、と思った。大谷も誠也も雲の上の存在。こっちから連絡するのも恐れ多い」。焦りから、打者有利なカウントでもバットが出なかった。すべてが消極的になっていた。
社会人行きを決めて臨んだ今秋、吹っ切れたかのように打ちまくった。10月11日の亜大戦でダイビングキャッチを試みた際に肋骨(ろっこつ)を骨折しても、4番として試合に出続けた。「プロに絞っていたら、この結果が出たかわからない。いい決断だったと思う」と切り替えた。ドラフト当日、ライバル校から指名を受けた選手もいた。「少しうらやましかった。でも、自分の勝負は2年後。大谷や誠也と同じ舞台に立つ時、こっちから連絡します」。進んでいく道が、遠回りではなかったことを証明してみせる。
笹川晃平(ささがわ・こうへい)
1994年(平6)4月21日生まれ、茨城・古河市出身。小2から三和スターズ、三和北中で小山ボーイズ所属。浦和学院では1年秋からベンチ入り。甲子園は3度出場。東洋大では1年春からリーグ戦に出場。181センチ、87キロ。右投げ右打ち。50メートル走6秒1。血液型A。
(日刊スポーツ)