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元巨人・三浦貴さん、45歳で死去 引退後は浦和学院で指導も昨年大腸がん発覚

【写真】母校の浦和学院高でコーチを務めた三浦貴さん(中央)=2022年2月19日、さいたま市緑区の同校グラウンド

 浦和学院高出身でプロ野球の巨人、埼玉西武でプレーし、2013年から同校野球部のコーチを務めていた三浦貴(みうら・たか)さんが24日午前3時10分、直腸がんのため、さいたま市内の実家で死去した。45歳。葬儀・告別式は未定。

 旧与野市(現さいたま市)出身。1996年、浦和学院高のエースとして春夏連続で甲子園に出場した。東洋大を経て2000年ドラフト3位で巨人に入団。プロ1年目は49試合に登板し、3勝を挙げた。08年から2年間、埼玉西武でプレーした。13年から母校のコーチに就任すると、自ら買って出てノックを打つなど選手と同じ目線に立ち、言葉でも理論的に分かりやすく野球技術を教えていた。

 昨年1月下旬、ステージ4の直腸がんが判明。当時、三浦さんは「心配させたくない」と病状を知るのは森大監督や森士前監督ら限られた人だけで、選手たちには伝えなかった。2度の手術を経て通院生活を送りながら、グラウンドに訪れては普段通りに指導した。「気が紛れる。やっぱり野球っていいな」と活力がみなぎっていた。

 昨年末には酒を口にできるまで回復し、今春からは週に2日程度コーチとしてグラウンドに姿を現していた。周囲の関係者は「弱いところを見せず、ここまで回復するのはすごい。本当に野球が好きなんだな」と語っていた。

 20年から県高野連の役員として大会運営に携わり、今夏も埼玉大会の運営に尽力していた。「今年はどこが優勝するかな。あの選手いいよな」。1年半に及んだ闘病生活中も高校野球を愛し続けていた。

(埼玉新聞)

元巨人・三浦貴さん、45歳で死去 投手から野手転向、引退後は浦和学院で指導も昨年大腸がん発覚

投打で活躍した三浦貴さん

 巨人、西武で投手や野手として活躍した三浦貴(みうら・たか)さんが亡くなったことが24日、分かった。45歳だった。関係者によるとこの日未明、容態が急変したという。

 早すぎる教え子の訃報(ふほう)に、浦和学院時代に指導した森士(おさむ)前監督(59)=NPO法人「ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」理事長=も「あまりにも急でとても驚いています」と言葉を詰まらせた。同氏によると、三浦さんは現役引退後の12年4月から母校の教員として勤務し、13年7月末から野球部のコーチとして指導に当たっていた。だが、22年3月に大腸がんが見つかり、同校を休職。放射線治療と手術によって一時は全てのがん細胞の除去に成功し、今年3月に復職したが、6月末から再び体調を崩していたという。

 三浦さんは東洋大から00年ドラフト3位で巨人に投手として入団。1年目から開幕1軍入りを果たし、中継ぎとして49試合に登板する活躍を見せた。だが、初先発マウンドに立った02年4月30日の広島戦(東京D)、初回に緒方の頭部へ死球を与えて危険球退場となると、そこから本来の投球が鳴りを潜め、この年は3試合の登板にとどまった。

 03年の春季キャンプ。高い身体能力と非凡な打撃センスを評価した原監督の勧めもあって、野手転向を決断。同年9月15日の中日戦(ナゴヤD)で転向初打席に立ち、初本塁打を放った。07年限りで巨人を退団し、08年からは西武でプレーして09年限りで現役引退を決断した。

 その後、森氏の勧めもあって、高校野球の指導者を目指すことを決意。運送業の傍ら、母校・東洋大に2年間通って教員免許を取得した。今年6月末に再び体調を崩す直前まで野球部の指導に訪れていた。情熱にあふれた男が、あまりにも早い旅立ちとなってしまった。

(スポーツ報知)

元巨人、西武の三浦貴氏、がんのため死去 45歳 引退後は教員免許を取得し母校浦和学院でコーチ

甲子園球場練習でノックをする元巨人の浦和学院・三浦貴コーチ(2013年8月4日)

 巨人、西武で投手や野手としてプレーした三浦貴さんが24日、がんのため亡くなった。45歳だった。高校野球・浦和学院(埼玉)のコーチを務めていた。

 22年から闘病しており、手術を経て現場に復帰。今大会中も浦和学院の試合を観戦に訪れるまで回復していたが容体が悪化し、帰らぬ人になった。

 三浦さんは、埼玉県出身。浦和学院でエースとして活躍し、高3の96年には春夏連続で甲子園に出場。センバツでは2試合に登板し完投した。東都大学野球の東洋大に進学し、1年春から登板。4年時には主将も務めた。通算46試合に登板し13勝19敗。防御率2・47。00年秋にはMVPと最優秀投手、ベストナインを獲得した。

 00年ドラフト3位で巨人に入団。1年目から中継ぎとして活躍した。03年からは野手に転向。08年から西武でプレーし、09年限りで現役引退。投手としてはNPB通算52試合、3勝2敗、防御率3・56。打撃成績は134試合で21安打、1本塁打、打率1割9分3厘。

 浦和学院の恩師である森士前監督(59)のすすめで、運送会社で働きながら東洋大の夜間に通い、教員免許を取得。12年から母校の教員をしながら野球部も指導。投手も野手も経験した元プロコーチとして、選手たちに熱く指導していた。

 浦和学院は、埼玉大会で8強入り。25日に準々決勝の埼玉栄戦を控えている。順調に勝ち進めば、26日に準決勝。28日に決勝が行われる予定。

(日刊スポーツ)

元巨人、西武の三浦貴さん死去 大腸がんのため45歳の若さで…引退後は母校・浦和学院で指導

 巨人、西武でプレーし、引退後は浦和学院(埼玉)で指導者を務めていた三浦貴(みうら・たか)さんが24日、亡くなったことが分かった。45歳だった。

 三浦さんは、昨年3月に大腸がんが見つかり、治療に専念。順調に回復し今年の春先に現場に復帰したが、6月から再び体調を崩していたという。浦和学院時代の監督だった森士(おさむ)氏は「教え子たちと亡くなる前日に会いに行った。意識はもうろうとしていたが、しっかりと話すことができた。強靱な体力で現場に一度は復帰したが、若かった分、進行が早くなってしまったのかもしれない」と早すぎる別れに、驚きを隠せなかった。

 埼玉県出身の三浦さんは96年、浦和学院3年時に春夏連続で甲子園大会に出場。選抜大会では1回戦の東海大仰星(現東海大大阪仰星)戦で10安打を浴びながらも、粘り強い投球で完封勝利を挙げた。東洋大に進み、1年春からリーグ戦に登板。4年時には主将を務め、00年秋季リーグでは7勝2敗で最高殊勲選手、ベストナインなど各賞を受賞。同年ドラフト3位で巨人に指名され、入団した。

 プロでは1年目からリリーフとして1軍で活躍。ルーキーイヤーは49試合の登板で3勝2敗、防御率3・41と安定感ある結果を残した。しかし翌02年、与えた死球をきっかけに不調に陥り、2年目は3試合の登板に終わった。03年からは原監督のすすめもあり、野手に転向。同年9月15日の中日戦(ナゴヤD)で転向後初打席でプロ初本塁打を放った。08年から西武に移籍し、09年限りで現役を引退。投手としては52試合に登板し、3勝2敗、防御率3・56。打撃成績は134試合で打率・193、1本塁打、5打点だった。

 引退後は恩師・森士前監督の言葉、存在に影響を受け、教員免許を取得。学生野球資格を回復した13年7月からコーチとして後輩たちの指導にあたっていた。自身が恩師から受けたのと同様に、言葉や存在で球児たちに多大な影響を与えてきただけに、惜しまれる早すぎる旅立ちとなった。

(スポニチ)

謹んでご冥福をお祈りいたします

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