100年の心・白球がつなぐ絆 大舞台へともに(下)
阿部鳳稀(3年)・嶋田友(2年)「勇気、感動届ける側に」
5年ぶりの夏の甲子園出場を目指す浦和学院に宮城県石巻市からやって来た高校球児がいる。
内野手の阿部鳳稀(3年)と投手兼外野手の嶋田友(2年)は、2011年3月に起こった東日本大震災で被災。当時、所属していた少年野球チームと同校野球部との交流がきっかけとなり、浦和学院に憧れを抱いた。
「甲子園に出て、活躍している姿を被災地の人にも見てもらいたい。勇気と感動を与えるのが自分の使命です」とけがで今夏は出られない嶋田の分も誓う阿部。かつてそうだったように、今度は自分が希望の星になる。
「かっこいい。なんてすごい、お兄さんたちなんだ」(阿部)
浦和学院が選抜高校野球大会の決勝で済美(愛媛)に17-1で圧勝し、初の全国制覇に輝いた13年4月3日。「鹿妻・子鹿スポ少野球クラブ」の一員として甲子園の一塁側アルプス席最前列で歓喜の中にいた2人は、グラウンドに羨望(せんぼう)のまなざしを向けていた。
その2年前。3月11日に東北を襲った未曾有の地震で石巻市は約4千人(今年5月末現在)の死者・行方不明者が出るなど甚大な被害を受けた。
当時、同市立鹿妻小学校に通っていた2人。3年生だった嶋田の家はほぼ全壊し「生きるために必死だった」。4年生だった阿部の家は山側で津波被害はなかったが家の中はめちゃくちゃに。街はがれきの山で「夢を見ているようだった。野球は大好き。でもやっている場合じゃない」。少年ながらに、そう悟った。
震災交流深め憧れ強く
浦和学院は震災直後から学校を挙げて、石巻市を中心に独自の支援活動を展開してきた。それが縁となり、11年12月に少年野球クラブが同校のグラウンドに招待され、2泊3日で白球を通じた交流会が開催された。
スパイクやグラブの野球道具を贈ってもらったことはあったものの、浦学ナインと念願の初対面。2人は技術的な指導はもちろん、野球に対する姿勢に感銘を受けた。
足並みのそろったランニングに、スポーツマンらしい元気で爽やかなあいさつ。阿部が「自分も早くこうなりたいなと、お兄さんたちに憧れを抱いた」と言えば、嶋田も「僕たちのヒーローでした」。この時、2人の野球少年の心は決まった。
「高校生になったら、浦学に入って、甲子園に行きたい」
その後、浦学野球部が石巻市にごみ拾いのボランティアなどに訪れ、再会。今でも、さいたまと石巻を行き来する交流は続いている。この間、浦学が甲子園に出場すれば応援にも駆け付けた。
阿部は言う。「甲子園が浦学に入りたい気持ちを、さらに強くしてくれました」。憧れはすぐに目標に変わった。身近で見て接してきた優しいお兄さんたちが、高校野球の聖地で輝いている。優勝してみんなで喜んでいる。あの日、アルプス席から見た景色を脳裏に焼き付け、中学3年間は硬式チームで技を磨いた。進学への迷いも、親元を離れる不安もなかった。
震災から7年。あどけなかった2人の少年は憧れのユニホームを着て、目標だった場所で白球を追い掛けている。「甲子園で日本一を取る」。その夢をかなえるため、そして活躍する姿を届けるために。
(埼玉新聞)