指導者 その胸中
「県内2強」の前評判通り、甲子園に出場を果たした浦和学院と花咲徳栄。大舞台への道のりは厳しく、指揮官の苦悩と努力があった。
学んで変革 28年目の自分 浦和学院・森士監督(54)
自らを問い直すきっかけは花咲徳栄の存在だった。
15~17年、3年連続で徳栄に夏の代表の座を奪われ、夏の全国制覇も先に果たされてしまった。
「埼玉に、うちより強いチームはなかった。昨年は特に衝撃的。自分を変えなきゃいけないと思った」
監督就任28年目、春夏通算21回も甲子園に導いた森士(おさむ)監督(54)が16年から1年間、早稲田大院でスポーツマネジメントを学んだ。
「以前と比べて自分の言葉が選手に届きにくくなっている」。新たな指導法を模索していた。
「だから、あなたは裸の王様と言われるんです」
大学院で自己紹介を終えると、指導教員にそう言われた。悔しいが、授業は展開が速く、帰ってボイスレコーダーを聞き直す毎日。こう思った。「きっと選手も、こんな気持ちなんだ」
商社マンやテレビ局関係者ら、他の参加者との交流も価値観を変えた。議論を交わす中で、自分の主張が世間で通じないことがあると気づいた。これほど「勉強」したのは初めてだった。全国制覇を目指す高校球児の人間形成について、修士論文も書き上げた。
昨秋から作ってきたのは「選手が考える」チームだ。対話や質問を根気よく重ね、選手自らが改善策や練習法を導き出す。答えを与えず、問いを繰り返す大学院での授業が手本になった。選手の気持ちが分かったから、向き合えた。
南埼玉大会で成果は表れた。監督のサインだけに頼らず、選手自らが考え、計30盗塁。打ち返すための思考も定着し、6試合60得点につながった。
5年ぶりの夏の甲子園は、5年前に敗れた仙台育英との再戦で始まる。「新しいやり方で臨む第二の人生。どこまで通用するか楽しみです」。挑戦の夏になる。
森士(もり・おさむ)
1964年、浦和(現・さいたま)市生まれ。上尾を卒業後、東洋大を経て91年に浦和学院監督に就任。2013年春の選抜を制覇。息子で教え子でもある大さんがコーチを務める。
(朝日新聞埼玉版)