第100回全国高校野球選手権記念大会第14日は18日、兵庫県西宮市の甲子園球場で準々決勝が行われ、32年ぶりの8強に進出した浦和学院(南埼玉)は、史上初の2度目の春夏連覇を目指す大阪桐蔭(北大阪)に4本の本塁打を打たれるなど、2-11で敗れ、夏の最高成績に並ぶ4強入りを逃した。県勢の連覇はならなかった。
浦和学院は先発渡邉勇太朗が二回に先制の本塁打を許し、南埼玉大会から通じて初めてのリードを奪われた。三回に1点を追加され、五回は渡邉が再び本塁打を浴びた。裏の攻撃で中前祐也の適時打など2点を返して1点差まで詰め寄ったが、六回に打者一巡の猛攻を受けて6失点し、突き放された。
八回に3番手の河北将太が本塁打を打たれ、九回は再びマウンドに上がった渡辺が自身3本目の本塁打を許した。2試合連続で完封した投手陣が12安打と打ち込まれ、打線も5安打と援護できなかった。
森士監督は「継投は最初から考えていたが、うまくいかずに相手打線に勢いをつけさせてしまった。監督としては、残念」と肩を落とした。主将の蛭間拓哉は「力不足だった。大阪桐蔭の個々の力や気持ちの強さを感じた」と振り返った。
鉄壁投手陣崩れる
南埼玉大会から5失点以上したことのない浦和学院の投手陣がまさかの11失点。六回に6失点のビッグイニングをつくられた森監督は「真っすぐに対して振り負けない、打ち損じない、スタンドまで持っていく力を見せつけられた」と相手をたたえるしかなかった。
先発渡邉の球は問題なく走っていたが、失投を見逃してはくれなかった。二回1死、5番根尾に内角を狙って投じた5球目はシュート回転で真ん中に甘く入ると左翼席へ運ばれた。捕手畑は「甘い球を一発で仕留められた」と悔しがった。
三、五回に1点ずつ奪われたが、五回裏に中前の適時打などで1点差に迫った。2-3から次の1点を先に取って流れを呼び込みたかったが、そう簡単にはいかない。思惑とは反対に追加点を許したのが痛かった。
六回、一発は浴びても崩れることなく粘投していた渡邉が四球と犠打で1死二塁とされ、左の9番打者を迎えたところで左腕永島にスイッチ。左打者が続く上位打線を見越した継投だったが、死球、四球で満塁を招くと左打者の2~4番に3連打され5点を失った。継投が裏目となり、相手を勢いづかせてしまった。
鉄壁を誇ってきた投手力でも春の王者を止められなかった。森監督は「力負け」と言い、主将の蛭間は「力不足」と力の差を感じ、夏の甲子園で勝ち上げる難しさを改めて痛感していた。
直球にキレも“一球”に悔い 2度目の登板 河北
エースナンバーを背負う右腕河北が六回途中から甲子園で2度目の登板。5点を奪われなお続くピンチに、森監督から「行くぞ」と言われ「ここは自分がなんとかする」と意気込み最小失点で切り抜けた。
先発した渡邉にスピードでは劣るが、その分直球のキレを磨き続けてきた。八回に4番藤原に甘く入った変化球をバックスクリーンへ運ばれ、「変化球で勝負してしまったあの一球だけに悔いが残る」と肩を落とした。それでもプロ注目の好打者根尾から2三振を奪うなど意地は見せた。
チームけん引 表裏の努力家 主将蛭間
春の県大会や関東大会で苦しいときに一発を打ってくれた頼もしい主将の蛭間は、0-2の四回無死二塁で145キロの直球を捉えたが、打球はあとひと伸びが足らずに左翼席手前で捕球され「いってくれたと思ったが、足りなかった」と唇をかんだ。
けがをしている間に桑田真澄さんの本を読み、「表の努力と裏の努力を学んだ」。野球部の食堂のスリッパをそろえたり、トイレ掃除を率先してやったりと裏の努力を積み重ねてきた。「神様が見ていてくれたのかもしれない」と春以降、努力が実を結んだ。
腰痛と戦いながらも持ち前の明るさと打力でチームを引っ張ってきた主将は試合終了後、人目をはばからずに号泣した。「森監督に勝利をプレゼントできなくて申し訳なく思っている」と声を詰まらせた。
ナインひと言
背 | 氏名 | 守 | コメント |
1 | 河北将太 | 投 | やり切った感はあるが、細かいところの悔いが残る。 |
2 | 畑敦巳 | 捕 | まだまだ力が足りない。甘い球を一発でやられた。 |
3 | 坪井壮地 | 一 | 大阪桐蔭は投打ともに勝負強かった。 |
4 | 後藤陸人 | 二 | 最後の打者になって申し訳ない。必ずリベンジする。 |
5 | 矢野壱晟 | 三 | 夢の場所でプレーできた。すべての人に感謝したい。 |
6 | 中前祐也 | 遊 | 野球がうまくなりたいという原点に返れた。 |
7 | 佐野涼弥 | 左 | 仲間がいたから乗り越えられた。この仲間でよかった。 |
8 | 蛭間拓哉 | 中 | みんなが頑張ってくれたおかげ。感謝したい。 |
9 | 上野暖人 | 右 | この仲間とこの舞台で野球ができて最高。 |
10 | 美又王寿 | 投 | この経験を伝えていく。必ずここに帰ってくる。 |
11 | 渡邉勇太朗 | 投 | 相手の直球狙いに真っ向勝負したが力負け。悔しい。 |
12 | 福島迅 | 捕 | つらいことをみんなで乗り越え甲子園に来られて良かった。 |
13 | 小町竜梧 | 一 | 後輩は全国で勝つために経験を生かしてほしい。 |
14 | 永島竜弥 | 投 | 甲子園に戻るためチームを引っ張れるようになりたい。 |
15 | 大澤龍生 | 三 | つらいことが多かったが、悔いのない2年半だった。 |
16 | 阿部鳳稀 | 二 | 浦和学院で甲子園に来られてよかった。 |
17 | 下薗咲也 | 投 | いい経験。超えるべき目標ができた。 |
18 | 近野佑樹 | 投 | この仲間たちと甲子園に来られてよかった。 |
「打倒桐蔭」力の限り 応援席、健闘たたえる
5年ぶり13度目の夏は過去最高成績に並ぶ4強まであと一歩届かなかった。第100回全国高校野球選手権記念大会第14日は18日、兵庫県西宮市の甲子園球場で準々決勝を行い、浦和学院(南埼玉)は大阪桐蔭(北大阪)に2-11で敗れた。応援席からは優勝候補筆頭に食らい付いたナインの健闘をたたえる温かい拍手が送られた。
史上初となる2度目の春夏連覇を狙う強豪相手に応援席も総力を結集して臨んだ。地元校との一戦は、応援の数では完全にアウェーだったが、「アルプススタンドが球場全体を支配するつもりで応援する」と赤い鉢巻きを巻いた応援団長の小松勇斗さん(18)はメンバーに入れなかった悔しさを吹っ切って、「打倒、大阪桐蔭」の同じ目標を追い掛けてきた仲間のために声を張り続けた。
力強く太鼓をたたいた石附龍陛さん(17)も同じ思い。「相手は大阪桐蔭。思い切り、気持ちを込めて全力で」と力の限りを尽くした。
3点を追う五回に内野ゴロで1点を返すと、吹奏楽部が演奏するアフリカン・シンフォニーに乗って、ソングリーダー部が華麗なステップを披露した。同部部長の栃村玲央さん(18)は「アフリカン・シンフォニーは昨年導入して私たちがつくった流れに乗って盛り上がる振り付け」と話す。直後に中前祐也遊撃手の右前適時打で1点差に迫った。
昨夏、埼玉大会の決勝で敗れた相手が県勢初の全国制覇を成し遂げるという悔しい思いをした昨年の主将だった赤岩航輔さん(19)は「何とかして勝ってもらいたい。花咲徳栄に続いて、こいつらが優勝してくれれば」と見守った。
しかし、六回に大きく突き放されると、反撃する力は残っていなかった。高校野球界の頂点に立つ大阪桐蔭を倒す夢は後輩たちに託された。
(埼玉新聞)
4番の座譲り気負いなく成果 得点機生んだ上野暖人選手
気負いはなかった。
3点を追う五回無死二塁、7番打者の上野暖人(はると)選手(3年)が、フルカウントから外角の直球を左前に運び、得点の足がかりを作った。チームはこの回2得点。春の王者にあと一歩まで迫った。
南埼玉大会から4番を務めた上野君はこの日朝、森士(おさむ)監督(54)から「7番にする。だから、楽にやってこい」と伝えられた。甲子園では10打数2安打。「調子は上がっているが、いざ試合となると力んでしまう」という上野君への気づかいだった。その気持ちに、結果で応えた。
中軸を担うまでに成長できたのは、悔しい記憶があったから。昨夏の埼玉大会決勝で敗れた花咲徳栄が、その夏の甲子園を制覇。学校の食堂のテレビで優勝の瞬間を見ていた。来夏こそは自分たちが全国制覇――。そんな誓いを立てた。
勝つために必要なものは何か。答えのひとつが打撃の強化だった。チームをあげて、多種多様な打撃練習や、打撃に役立つ身体理論を導入した。その結果、甲子園の2試合はいずれも2桁安打を達成した。
上野君は周囲の助言を受け、打撃フォームを調整し続けていた。準々決勝前日に森監督に教わった足の踏み込み方を実践し、この日、結果を出した。
上野君と入れ替わりで4番を担った畑敦巳(あつみ)選手(2年)は1年間、ともに打撃を磨き合ったライバルだ。「新チームでは必ず中心選手になる。また4番を打てるように、卒業するまで技術を伝えたい」
「最高の指導者と仲間に支えられ、最後に打たせてもらった。浦学で間違いはなかった」。時折思いがあふれ、タオルでギュッとまぶたを押さえた。大学でも野球を続けるつもりだ。本気で頂点を目指した夏を越え、成長を求め続ける。
直球磨き「やりきった」 河北将太投手
「永島の分まで抑える。バトンを受け取る準備はしていた」
六回1死一塁、河北将太投手(3年)がマウンドに上がった。この回、渡邉勇太朗投手(3年)から永島竜弥投手(2年)に継投したが、3連打などで突き放された。
もう追加点は与えられないが、打席にはこの日甲子園で2本目の本塁打を放った根尾昂選手。「勝負したい」と得意の直球で攻めた。空振り三振。直球外角のコントロールは、「渡邉にはスピードでは勝てない」と自覚し、冬から磨いてきたものだった。
背番号1を背負い、南埼玉大会から時に先発し継投で勝ち上がってきたが、甲子園では渡邉君が先発し完封も果たした。「悔しい気持ち」は正直あったが、この日、連投する渡邉君の朝から気合が入っている様子も見ていた。
河北君は「投手陣の頑張りを無駄にしたくない」との一心で投げた。八回に変化球を本塁打にされたが、根尾君を再び空振り三振とし、1失点のみだった。
以前、大阪桐蔭との練習試合では1死しか奪えなかった。「直球を磨いた成果は出せた。少し成長した部分を見せられたかな。やりきりました」
「この日忘れず人生を歩んで」 元コーチの安保教諭
午前5時40分に満員通知が出されるほど阪神甲子園球場には大勢の人が集まった。浦和学院の三塁側アルプススタンドには約1300人の生徒や保護者、OBらがかけつけ、最後まで声援を送り続けた。
昨年3月まで24年間、野球部のコーチを務め、現在は生徒指導を担当する同校の安保隆示教諭(48)は「練習の成果を出してほしい」と話した。
コーチ時代、主に野球以外の生活面を指導した。蛭間拓哉主将(3年)について、「野球以外でもリーダーシップがあった」という。渡邉勇太朗投手(3年)は中学時代から見ていて、いい投手になると思っていた。この日先発でマウンドに上がった渡邉君を見て、「堂々と投げている」とうれしそうに話した。
安保教諭は試合後、「この試合のことを忘れず、人生を歩んでほしい」と話した。
相手の執念が上回った 蛭間拓哉主将
昨夏覇者の花咲徳栄に続き、埼玉県勢で連覇するという気持ちでここまできた。大阪桐蔭の春夏連覇にかける一人ひとりの執念がこちらを上回っていた。監督のためにも優勝したかった。後輩たちには必ず来年戻ってきてほしい。
一気に持って行かれた 森士監督
相手の左打者に合わせて(左投手に)継投したが思うようにいかず、流れを一気に持って行かれた。相手は甘い球をスタンドまで持っていく力強さがあった。ただ、5年ぶりに夏の甲子園に連れてきてくれた選手に感謝したい。
氏名 | 学年 | コメント |
渡邉勇太朗 | 3 | 力不足を感じた試合。もうこの仲間と一緒に出来ないことへの思いが強い。 |
畑敦巳 | 2 | 全国制覇の壁は高かった。捕手として新チームを引っ張り、リベンジしたい。 |
小町竜梧 | 3 | 悔しい気持ち。仲間と一緒だから乗り越えられたことばかりで、感謝したい。 |
後藤陸人 | 2 | 少しでも長く先輩と野球をしたかった。レベルアップしてリベンジをしたい。 |
矢野壱晟 | 3 | ずっと目標だった大阪桐蔭を相手に、全員で最後まで全力で食らいつけた。 |
中前祐也 | 2 | 負けたのは自分の力不足。3年生のためにも、来年こそは優勝を果たしたい。 |
佐野涼弥 | 3 | 高校生活が人生で1番濃い時間。辛い経験もあったが、たくましくなれた。 |
上野暖人 | 3 | 出し切って負け、悔いはない。この舞台で終えられた経験を今後に生かす。 |
永島竜弥 | 2 | 試合を壊して申し訳ない。この舞台に帰るため、新チームを引っ張りたい。 |
河北将太 | 3 | 素晴らしい球場でプレーでき、貴重な経験ができた。今後の人生で生かしたい。 |
(朝日新聞埼玉版)
最後の夏、勇姿を母に 河北将太投手
6点差に広がった六回表1死一塁。満を持して背番号1がマウンドに立った。エースナンバーを背負いながら、南埼玉大会終盤で調子を上げてきた先発・渡辺にその座を奪われ、甲子園では初戦の九回しか投げていない。「悔しさを試合にぶつける。チームのために抑える」。決意を持って打者に挑んだ。
球速は決して速くない。優れた変化球を持っているわけでもない。その分、昨冬から投げ込み、直球のコントロールと切れを磨いた。「コーナーを突いて抑えるのが自分の投球」。自信を持って言えるようになった。
中継ぎに入った直後こそ内野安打を打たれたものの、その後は直球やスライダー、カットボールと多彩な球を駆使。ソロ本塁打を浴びたが八回までに大阪桐蔭打線を2安打に抑えた。「苦しい状況でも抑えれば(打線が)つないでくれる」。そう信じた。
海外勤務で忙しい父親に代わり、母晴代さん(48)が野球人生を支えてくれた。最後の夏にマウンドでの雄姿を見せられた。「甲子園で優勝した姿を見せたかった。親孝行できなかったが、ありがとうと伝えたい」
「浦マ」軽快に響く
「浦サン」「浦マ」―。浦和学院のアルプススタンドではユニークな名前の楽曲が次々と披露され、応援を大いに盛り上げた。浦サンは「浦学サンバ」、浦マは「浦学マーチ」の略称で、それぞれ3~5種類のメロディーを用意。イニングごとにメドレー形式で使い分け、軽快な音楽を球場に響かせた。応援リーダーの大内里菜さん(2年)は「私たちにできるのは、音楽で選手を後押しすること。少しでも思いが届くように演奏したい」と最後まで精いっぱい音を合わせた。
(毎日新聞埼玉版)
石巻に恩返しできた 浦和学院・阿部選手
18日の夏の甲子園準々決勝で、浦和学院(南埼玉)の阿部鳳稀(ふうき)選手(3年)は一塁コーチスボックスで腕を振り、指示を送った。宮城県石巻市出身。同校による東日本大震災の被災地支援が縁で進学を決めた。支えてくれたチームのメンバーとなり、「野球部と地元に恩返しができた」。前を向いて大舞台を去った。
2011年3月。被災時は小学4年だった。下校中に大きな揺れに見舞われた。家族は無事だったが、自宅は床下浸水。同級生の女児とその母が津波にのまれたと後で知った。
市内の親戚宅に約1カ月間、身を寄せた。所属していた野球チームが練習で使っていた市立鹿妻(かづま)小の校庭は水没し、練習用具の入った倉庫も流された。「もう野球はできないのかな」
震災から2カ月後、野球道具がチームに届いた。浦和学院が始めた、復興支援の一環だった。阿部少年は真新しいスパイクを履き、白球を握ってキャッチボールをした。この年の冬には埼玉のグラウンドに招かれ指導を受けた。お兄さんたちは大きくて格好良かった。石巻に戻り、手紙を書いた。「大好きな野球を続け、必ず野球部に入ります」。13年4月のセンバツ大会決勝で優勝した同校の試合もスタンドで見た。進学の決意は固まった。
昨年12月、今も続く同校の復興支援で石巻に戻り、少年らに野球を教え、仮設住宅を訪ねた。「悲しみから抜け出せない」。そう訴える被災者もいた。
今回、初めて甲子園の土を踏んだ。大阪桐蔭(北大阪)に敗れたが、グラウンドから見る景色は気持ちがよかった。自分と同じように、被災地で野球を教わった少年が続いてほしいと思う。「石巻出身の自分が出ることで、いまだにつらい思いをしている人を少しでも元気付けることができたら」。そう話す顔は、大人びていた。
(毎日新聞)
夢舞台で恩返し 被災地に元気を 石巻から進学の一塁コーチャー阿部鳳稀
「夢見ていた球場に立ち、歓声を感じられて幸せだった」。一塁コーチャーの阿部鳳稀(ふうき)選手(3年)は試合後、晴れやかな表情を見せた。
小学4年の時、宮城県石巻市で東日本大震災に遭い、自宅周辺はがれきの山となった。浦和学院の野球部は震災直後から、同市などで泥のかき出しなど支援を続けてきた。阿部選手が所属していた少年野球チームは、浦学のグラウンドに招かれた。
野球を教えてくれた部員たちが、2013年に春の選抜大会で優勝した。その姿に感動し、浦学への進学を決意。入学後は憧れだったユニホームを着て、被災地で野球を教えてきた。
夢の舞台で8強まで進み「被災地から見てくれている子に元気を与えられたかな」。これからも野球を続け、地元に帰った時は、子どもたちに野球の楽しさを伝えていくつもりだ。
(東京新聞埼玉版)
渡邉「直球の力負けは実力不足」 プロでの活躍誓う
自慢の直球をことごとくはじき返された。今秋ドラフト候補の190センチ右腕、浦和学院・渡辺勇太朗は、根尾、藤原に一発を浴びるなど6回途中4失点。9回に再び登板し、石川瑞貴にも左翼席へ運ばれた。「直球の力負けは実力不足。悔しいの一言に尽きます」。109球で5安打完封した二松学舎大付戦から中1日。本来の安定感はなかった。
一度は野球を諦めかけた。1年の冬に体調不良も重なり、心が折れた。野球部の寮を抜け出し、学校からも遠ざかった。野球をやめて父の造園業を継ぐと言い張った。森士監督(54)は諭した。「本当に野球をやめていいのか。働くというのはどういうことなのか。よく体験しなさい」。家業の手伝いをさせて、自分を見つめ直させた。
1か月ほどの“荒療治”を終えると目に輝きが戻っていた。「目的意識を持ってやるようになった」と指揮官。練習に取り組む姿勢など、全てが前向きに。昨秋の肩、今春の肘の故障にも腐ることはなかった。「プロでやりたい。155キロを投げたい」。渡辺の野球人生は続く。
(スポーツ報知)
渡邉が3被弾「この悔しさを糧に」 試合後にプロ志望を表明
プロ注目の190センチ右腕・浦和学院(南埼玉)の渡辺勇太朗投手(3年)は王者に真っ向勝負を挑み、3本塁打を浴びて屈した。
自慢の直球を投げ込んだが、大阪桐蔭・根尾、藤原に被弾。五回途中で一度降板した後、再びマウンドに立った九回にも一発を食らった。「この悔しさを糧に練習していきたい」と試合後にプロ志望を表明。視線を前に向けた。
(デイリースポーツ)
蛭間「根尾、藤原に負けないよう努力」
急に涙があふれた。「勝って森先生を男にしたかった。本当に悔しい」。昨夏、花咲徳栄の埼玉勢初優勝を寮の食堂で全員で見た。「先を越されて衝撃的につらかったが、自分らにもできると思った」と話す森監督の下、浦和学院(南埼玉)の蛭間は主将として先頭に立ってきた。
「この試合のテーマは一球入魂、全球入魂」。試合前に気合を入れると、初回から青地の飛球にダイビングキャッチを見せた。小6で西武Jrに選ばれ、NPBジュニアトーナメントに出場。中日Jrに根尾、オリックスJrに藤原がいた。「注目されていた」という2人が進んだ大阪桐蔭を倒して日本一になることが、唯一無二の目標だった。
1年の冬。練習のつらさなどで渡辺が寮を出て野球から離れかけた時、「今はつらくても、戻れば必ずいいことがあるから」と励ました。蛭間自身も順風満帆ではない。腰痛がひどく、大阪桐蔭との練習試合もあった3月は「野球ができる状態ではなかった」という。
1年から4番を張った好選手。「プロに行きたい気持ちはあるけど、技術面はまだまだ。根尾、藤原に負けないように努力していく」ときっぱり言った。
蛭間拓哉(ひるま・たくや)
2000年(平12)9月8日生まれ、群馬県出身の17歳。小3から相生小野球クラブで野球を始める。前橋桜ボーイズを経て、浦和学院に進学。1年春からベンチ入り。1メートル74、81キロ。左投げ左打ち。
(スポニチ)
試合結果
準々決勝 8月18日(甲子園) | ||||||||||||
TEAM | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | H | E |
大阪桐蔭 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 1 | 1 | 11 | 12 | 0 |
浦和学院 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 1 |
【浦】 | 渡邉、永島、河北、渡邉-畑 |
【大】 | 根尾、柿木-小泉 |
本 | 根尾、藤原2、石川(大) |
二 | 中前(浦)小泉、中川(大) |
浦和学院打撃成績 | ||||
位置 | 選手名 | 打数 | 安打 | 打点 |
⑥ | 中前 | 4 | 2 | 1 |
⑤ | 矢野 | 4 | 1 | 0 |
⑧ | 蛭間 | 3 | 0 | 0 |
② | 畑 | 4 | 1 | 0 |
⑦ | 佐野 | 2 | 0 | 0 |
1 | 永島 | 0 | 0 | 0 |
17 | 河北 | 2 | 0 | 0 |
④ | 後藤 | 3 | 0 | 0 |
⑨ | 上野 | 3 | 1 | 0 |
③ | 小町 | 3 | 0 | 1 |
①71 | 渡邉 | 3 | 0 | 0 |
計 | 31 | 5 | 2 | |
大阪桐蔭打撃成績 | ||||
位置 | 選手名 | 打数 | 安打 | 打点 |
⑦ | 宮崎 | 4 | 0 | 0 |
⑨ | 青地 | 5 | 1 | 2 |
⑥5 | 中川 | 5 | 2 | 1 |
⑧ | 藤原 | 5 | 4 | 5 |
①6 | 根尾 | 4 | 1 | 1 |
⑤3 | 石川 | 5 | 2 | 2 |
④ | 山田 | 2 | 0 | 0 |
4 | 宮本 | 1 | 0 | 0 |
4 | 俵藤 | 0 | 0 | 0 |
② | 小泉 | 4 | 1 | 0 |
③ | 井阪 | 2 | 1 | 0 |
H | 飯田 | 0 | 0 | 0 |
R | 奥田 | 0 | 0 | 0 |
1 | 柿木 | 2 | 0 | 0 |
計 | 39 | 12 | 11 |
投手成績 | |||||||
TEAM | 選手名 | 回 | 被安打 | 奪三振 | 四死球 | 失点 | 自責点 |
浦和学院 | 渡邉 | 5 1/3 | 6 | 4 | 3 | 4 | 4 |
永島 | 0/3 | 3 | 0 | 2 | 5 | 4 | |
河北 | 2 2/3 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1 | |
渡邉 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | |
大阪桐蔭 | 根尾 | 5 | 4 | 6 | 2 | 2 | 2 |
柿木 | 4 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 |
TEAM | 三振 | 四死球 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | 併殺 | 残塁 |
浦和学院 | 12 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 |
大阪桐蔭 | 8 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 |
浦和学院は投手陣が4本塁打など12安打11失点。打線も5安打に封じられた。先発渡邉は二、五回にソロを浴びるなど六回途中4失点で降板。2番手永島が相手打線の勢いを止められず。3番手の河北は八回にソロを許し、九回から再登板した渡邉はソロで追加点を許した。3点を追う五回に中前の右前適時打など2点を返したが、同点のホームが遠かった。