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彩たまつれづれ 元マネジャーの春と夏

 「(阪神)甲子園球場は子供の頃からあこがれの場所でした」。県高野連事務局員の星真理子さん(43)は中学2年だった1992年3月、第64回選抜高校野球大会に初出場した浦和学院のユニホームを目にし、進学を志した。好きだった美術系のコースが同校にあったことも魅力だった。

 93年に入学後、すぐに面接と作文によるセレクションを受け、野球部マネジャーになった。部は全国的に注目されつつあり、マネジャーは他に4人いた。スコアの付け方、球場アナウンス、部の運営など仕事は山積みだったが、充実した時間を過ごした。

 夢の甲子園のアルプススタンドに立ったのは94年夏。県営大宮球場より大きく見えた。部は2回戦でサヨナラ負けを喫したが、大声援とともに白球を追う仲間たちの姿に心が動かされた。「ずっと、この空間にいたいと思いました」

 当時の部は、後にプロを5人輩出するなど「史上最高」と目されたチームだった。ところが、最終学年の95年、甲子園切符は春夏ともにすり抜けていった。夏の埼玉大会準々決勝では県立鷲宮高校にサヨナラ負け。相手の打球が外野を抜けていった瞬間はスローモーション映像のように記憶している。

 マネジャー生活で得た数々の感動と、半面の悔しさと割り切れなさが人生の新たな扉を開いた。しんきゅう師の専門学校に進み、スポーツトレーナーを目指した。神宮球場のアルバイト、社会人野球チームのマネジャーをやり、2012年から県高野連で大会運営を担う。「東京都の高野連には50年以上事務局を支えている女性がいます。私など、まだまだ」と控えめだが、県内の高校野球関係者で星さんの名前と貢献度の大きさを知らない人はいない。

 母校は28日、7年ぶり11回目となるセンバツ出場が決まった。13年春以来2度目の全国制覇を目標に掲げるが、星さんは「誰でも行ける場所ではないのだから、『全力を出せ』ではなく、『思い切り楽しんで』と言いたいです」と語る。

 30年近く、県営大宮球場で球児の汗と涙を見つめてきた人のエールはすがすがしく響く。新型コロナウイルスの影響が続く現在だからこそ、私も勝敗以上に世の中の暗い雲を吹き飛ばすようなプレーを期待したい。他のスポーツや芸術もそうであるが、高校野球には見る人と社会を励ます特別な力が備わっているのだ。

(毎日新聞埼玉版)

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