習性とは恐ろしいもので、高校野球を見ていながら、気が付くと捕手目線で打者を観察している。もちろん投手の球筋を感じ、内野手の打球への1歩目の反応も見てはいるが、まず初手に思い浮かべるのはどうしても打者のことだ。

 打席での構えから、どんな反応をするか想像していると、私の予想を超える打者が現れてくる。1人を挙げるなら、浦和学院の金田優太内野手(3年)だ。

 19日の大分舞鶴戦、24日の和歌山東戦とよく振れていた。2試合で8打数5安打3打点。1本塁打。28日、準々決勝の九州国際大付戦は先発香西との対戦。左の好投手に対し4打数3安打1打点。

 私は左打者を観察する時、右投手と対戦するなら(1)内角真っすぐへの対応、(2)低め変化球への対応、(3)外角へ落ちる球への対応をチェックポイントにしている。左投手と対戦する時は(1)内角真っすぐへの対応、(2)外角へ逃げていく変化球への対応に着眼する。

 30日の準決勝では近江の右腕山田と対戦した。山田は大会トップの球威を誇る右腕という位置付けだ。5打数3安打。この試合では勝負球としての内角真っすぐはなかった。第1打席は1-0から真ん中高めの真っすぐを右二塁打、第2打席は2-2から縦のスライダーを前で拾って右二塁打。第3打席は2-2から外寄りのフォークを左前打。

 追い込まれてからのバットコントロールがいい。特に左前打などは、普通はバットに当たらないコースへのフォークに体勢を崩されながらセンターから左方向へ運んでいる。左打者の長打力としては大阪桐蔭丸山も光るが、下半身での粘りとバットの操作性の高さがかみ合う金田は光る。

 外の変化球に体が泳ぎ、ここで普通はバットが空を切って勝負ありなのだが、金田は違う。重心を右膝に乗せつつ右膝を曲げることで粘れる。左手を離しバットを右手だけで操りながら、ポイントを前にして変化球を拾う。プロで言うなら小笠原道大をほうふつとさせる。下半身で粘れるバッティングだ。

 なるほどと思って見ているうちに、無意識に攻め方を考えていた。山田の球威ならば内角に真っすぐを投げておいて、外へのフォークというコンビネーションで、どこまで粘れるか見たいなと。それでもついてきたならば、外の落ちるボールから入って、最後は内角に真っすぐでズバッと攻めたらどうするか、と1人で勝手に考えていた。

 ちなみに、そこまで攻めても打たれれば、あとはミスショット待ちしかない。センバツを見ながら、そんな空想をさせてくれるバッターに出会えるとは思わなかった。見事なバットコントロールだ。しぶとさには、確かな技術と思いのままに下半身を使える運動能力がある。いいバッターを見ることができた。(日刊スポーツ評論家)

(日刊スポーツコラム「野球の国から」)

浦和学院・金田、小2の誕生日に覚悟を決めた野球の道

延長11回、近江・大橋(2)にサヨナラ3ランを浴びた浦和学院・金田

 敗戦が決まる放物線をぼう然と見つめた。「3番・遊撃」で先発した浦和学院・金田優太内野手(3年)は、五回2死満塁から登板して好投を続けたが、延長十一回1死一、二塁でサヨナラ3ランを被弾。5回2/3を5安打4失点に「実力が足りなくて完全に力負けです」。二刀流でけん引したが粘りきれなかった。

 幼少期からサッカーをしていたが「上(のレベル)には行けない」と小学2年の誕生日にバットとグラブをねだり、野球を始めた。父・一則さん(51)は「宿題をやれといっても机に座ってグラブを磨いていた」。中学3年までは平日に週4、5回バッティングセンターに通いつめるほど、のめり込んだ。

 野球を始めた当初は内野手だったが、中学から投手も兼任。高校では野手1本で勝負したいと入学したが、2年時に森士前監督から勧められ「出られるところで活躍したい」と二刀流に挑戦した。

 今大会は17打数11安打、打率・647、1本塁打、4打点。投手としてもピンチで登板して抑えるなど、抜群のセンスを見せつけた。「夏、リベンジしたい」。この借りは必ず返す。

金田優太(かねだ・ゆうた)

 埼玉県川口市出身。2005年2月12日生まれ、17歳。181センチ、80キロ。右投げ左打ち。投手兼内野手。芝富士小3年から芝富士ゴールデンイーグルスで野球を始め、芝西中では軟式野球部でプレー。浦和学院では2年春から一塁手としてベンチ入りし、同夏から遊撃と投手の二刀流。50メートル走6秒2、遠投105メートル。高校通算8本塁打。最速143キロ。

(デイリースポーツ)