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急逝した浦和学院・三浦貴さんのグラブ受け継ぎプレー 月山隼平は来年もともに聖地へ

【写真】三浦コーチのグラブを持つ浦和学院の月山

2回裏仙台育英1死、橋本の打球を軽快にさばく二塁手月山

 浦和学院の二塁を守る月山隼平内野手(2年)の左手には、使い込まれた薄い茶色のグラブがあった。「すごく使いやすいんです」。7月に45歳で亡くなった三浦貴コーチが使っていたものだ。訃報を聞いた後、監督室に飾られていたグラブを見つけた。「使ってもいいですか?」。森大監督(30)から譲り受けた。

 入部した時、守備が苦手だった。レベルの高いチームメートについていけず、悩んでいた時につきっきりで教えてくれたのが、三浦コーチだった。全体練習後にグラブや1歩目の出し方など、基本からたたき込んでくれた。2年で二塁手のレギュラーとなり「今、守備が得意なのは貴さんのおかげです。球際には、自信があります」と胸を張る。

 グラブを譲り受けたと聞いた母・真実さんは「三浦コーチの思いも受け継いで、頑張ってねと伝えました。(県大会で)ゲッツーを取った時は、三浦先生がついていてくれるんだと思って。本人はうれしい反面、重みやプレッシャーもあったと思います」と察する。

 月山の好きな言葉は「一瞬に生きる」。三浦コーチが掲げていた言葉だ。これからも胸に刻んで、このグラブとともに聖地を目指す。

(日刊スポーツ)

月山選手が使用した三浦さんのグラブ

恩師のグラブと挑んだ甲子園 浦学・月山隼平選手

 第105回全国高校野球選手権記念大会で、埼玉代表の浦和学院は6日、仙台育英(宮城代表)に9-19で敗れた。序盤に大量リードを奪われたものの、持ち味の集中打で追い上げる粘りを見せた。

「一瞬に生きる」7月死去・三浦コーチの言葉胸に

 浦和学院の多くの選手たちが、モットーにしている言葉がある。

 「一瞬に生きる」

 先を見すぎて、目の前の一瞬をがんばれなかったら結果は出ない。常に今を全力で生きろ―。

 この言葉を選手たちに伝えたのは、浦和学院の卒業生で、プロ野球の西武や巨人で活躍した三浦貴さんだ。浦和学院のコーチとして多くの選手に慕われていたが、埼玉大会決勝の4日前の7月24日、がんで亡くなった。45歳だった。

 二塁手の月山隼平(2年)は、埼玉大会の決勝から三浦さんのグラブを着けて試合に臨んだ。

 月山は捕手として浦和学院の門をたたいた。入学後に突然、思い通りにボールが投げられなくなる「イップス」になり、森大監督の助言で、1年生の秋に内野手に転向した。

 慣れないポジションで自信がなかった。冬の間、三浦さんがつきっきりでノックをしたり、手でボールを転がしたりしてくれた。「一番大事なのは基礎」と教わり、地道な練習を繰り返した。

 今年の春、県大会で二塁手としてスタメン入り。今夏も背番号を勝ち取った。「打撃より守備の方が自信がある」と話すまでに成長した。

 月山が最後に三浦さんに会ったのは、大会序盤の試合後だった。「守備は良くなっている。自信を持ってやれ」と声をかけられた。

 埼玉大会の決勝前日、月山は監督室を訪れた。三浦さんのグラブが保管されていた。コーチから「着けてみるか」と声をかけられた。「三浦先生と一緒にやりたい」。そんな思いでグラブを着けて、グラウンドに立った。

 三浦さんのグラブを使った決勝では、難しい打球が吸い付くように収まることがあった。「三浦先生のグラブだから捕れたのかもしれない」

 そして迎えた甲子園の舞台。仙台育英戦でも三浦コーチのグラブを着けて思い切ったプレーを見せた。昨夏の優勝校との熱戦を終えた今、来年再び甲子園に戻ってくると誓う。

(朝日新聞埼玉版)

浦和学院ナイン、急逝した元巨人・三浦貴コーチとともに戦った…月山選手は形見のグラブでプレー

三浦さんのグラブで甲子園に臨んだ月山選手

 甲子園球場で行われている第105回全国高校野球選手権記念大会で、昨夏の覇者・仙台育英(宮城)と6日に対戦した浦和学院ナインは、7月に急逝した三浦貴コーチへの思いを胸に試合に臨んだ。中でもセカンドで先発出場した月山隼平選手(2年)は、三浦さんが残したグラブを使った。試合には敗れたが、最後まであきらめないプレーを天国に届けた。

 仙台育英の二回裏の攻撃、月山選手は守備範囲に転がってきた打球を丁寧に捕球し、一塁へ送球。打者走者をアウトにした。「手になじんで吸い込まれるように捕球できる」。この時点で4点を先取されたが、試合を諦めてはいなかった。

 三浦さんは、浦和学院のエースとして1996年、春夏連続で甲子園に出場した。東洋大を経て2000年にドラフト3位で巨人に入団。野手に転向し、09年限りで現役を退いた。13年からコーチを務めていた。

 経験を交えての指導には定評があり、選手らにも親しまれた。この大会で主将を務めた江口英寿さんは「野球部以外の生徒も含めて好かれていた。後輩として接してくれた」と話す。

 訃報は7月25日、埼玉大会の準々決勝後に伝わった。7月上旬に会ったばかりで、みんな実感が湧いていなかったという。

 準決勝以降、ナインは守備位置に就くと、「三浦先生」とグラウンドに指で書いたり、ピンチの場面では天を仰いだりしてパワーをもらっていた。仙台育英戦でもそうだった。

 月山選手は捕手として入学したが、内野手に転向。1年生の冬の間、三浦さんから、ゴロの捕球など基本からみっちりと教わり、守備に自信がついたという。

 埼玉大会の決勝前日、監督室に置いてあった三浦さんのグラブを見つけ、「一緒に聖地でも戦いたい」と思った。埼玉大会決勝でこのグラブをつけ、仙台育英戦でも左手に着けた。

 森大監督もユニホームのポケットに三浦さんの写真を忍ばせていた。仙台育英に先行される苦しい試合展開だったが、チーム全員が、三浦さんと一緒に戦う気持ちを持っていた。森監督は「あきらめず最後まで粘った姿を見守ってくれたと感じた」として「(敗戦については)『まだまだだよ、もう一度頑張ろう』と言っているのだと思う」と語った。

(読売新聞)

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