【写真】2024年の都市対抗大会で勝利球を手にする東京ガスの笹川晃平選手(右)とダイヤモンドサポーター「パッチョ」=東京ドームで2024年7月26日
社会人野球の東京ガスで活躍し、2024年シーズン限りで現役を引退した笹川晃平さん(31)が1日、ドイツのプロ野球チーム「レーゲンスブルク・レギオネーレ」と選手契約を結んだ。26年シーズンはコーチ兼任でプレーする。社会人野球日本代表の4番を務めるなど活躍したスラッガーが新たな挑戦に向けて海を渡る。
笹川さんは茨城県出身。埼玉・浦和学院高では甲子園に春夏通算3回出場。岩手・花巻東の大谷翔平選手(米大リーグ・ドジャース)とともに高校日本代表にも選ばれた。東洋大時代にも日本代表を経験し、17年に東京ガスに入社した。21年には都市対抗大会で首位打者に輝くなどチームの初優勝に貢献した。
持ち前の長打力でプロ野球のドラフト候補としても注目されたが、指名されずに東京ガスで8年プレーして現役を引退。その後は社業に就いていたが、退社してドイツでプレーすることを決めた。
笹川さんは毎日新聞の取材に「たった一度の人生。挑戦したい」と海外でのプレーを決断した理由を話した。目標については「チームの成功に最大限貢献したい」と語った。
(毎日新聞)
チームの重要な戦力が日本からやってくる
正確さ、ゲームセンス、そしてユーモアのセンス。笹川航平はかつて大谷翔平と同じピッチに立ったことがある。今、この日本人選手はチームをさらに強化する。
後になって初めてその全貌が明らかになるチームもある。2012年に韓国で開催されたU18世界選手権では、笹川航平と大谷翔平が共に日本代表チームの一員だった。大谷は今や多くの専門家から史上最高の野球選手の一人と目されている。当時外野手だった笹川航平は、来シーズン、レーゲンスブルク・レギオネーレの一員としてフィールドに立つことになる。
笹川選手の経歴におけるこの特別な項目は、決して偶然ではなく、日本のユース育成システムにおける彼のレベルの高さを証明するものだ。日本のU18代表に選出されるには高い基準を満たす必要があり、笹川選手はその基準を見事にクリアした。
国際経験
その後、東洋大学から東京ガスという社会人チームに移り、組織的な環境の中でさらにプレー経験を積んだ。2014年の野球ワールドカップでは、再び日本代表に選出され、今度はU21代表として背番号23を背負い、外野手としてプレーした。
笹川はアジア競技大会への出場権を獲得し、国際舞台で次のステップへと進んだ。2018年のアジア競技大会では、東京ガスの一員として再び日本代表に選出された。日本は予選グループを無敗で突破し、決勝に進出した。それから4年後、笹川は再びこの舞台に立った。2022年アジア競技大会では、外野手として再び代表に選ばれた。
その間、笹川は日本国外の国際リーグでも経験を積んだ。彼はアジアウィンターベースボールリーグのJABAチームでセンターとしてプレーした。
柔軟性のあるコンタクトヒッター
レーゲンスブルクへの移籍は、身長182センチ、体重90キロのこの選手にとって新たな挑戦となる。マット・バンス監督は笹川を主に三塁手として起用する予定だが、外野手としても起用する可能性がある。「外野手としてもプレーさせるつもりだ。彼とニーノ・サカサを交互に起用して、最適な組み合わせを見つけるまで様子を見守る」とバンス監督は語った。
技術的な正確さと状況判断力を重視する日本の野球システムでのトレーニングは、こうした柔軟性の基礎を築いている。攻撃面では、笹川はコンタクト重視のアプローチを優先し、ボールをインプレーにし、状況に応じて柔軟に対応し、既存の打順構成にうまく組み込むことを重視している。
これにより、外国人選手にとって内野と外野の両方で新たな選択肢が開かれることになる。笹川は、大谷とのU18世界選手権への出場、2度のアジア競技大会、アジアウィンターリーグなど、組織的な野球環境での経験を持っている。
マット・バンス監督が今シーズンを通してこの状況にどう対処していくかは、今後の展開次第だ。レーゲンスブルクでは、長年のキャリアをドイツバスケットボールリーグ(DBL)のリズムにどう適応させるかが課題となる。しかし、1994年生まれの日本人選手である彼の国際経験は、チャンピオンズリーグでも特に貴重なものとなるだろう。
ゼネラルマネージャーのトーマス・バイソンは、自信満々だ。「経験と正確さを兼ね備えたコウヘイは、我々にとって大きな力となるだろう。彼は今シーズンのチームにとって重要なピースだ。」
新たなファンが見つかる
笹川航平が既に成し遂げたことの一つは、持ち前のユーモア、オープンさ、そして親しみやすさで、31歳(誕生日は4月21日)の彼がチームとクラブに非常に早く溶け込んだことだ。
笹川はすでにレーゲンスブルクで新たなファンを獲得している。到着後間もなく、彼はグッゲンベルガー・レジオネアーズの野球スクールでコーチとして働き始め、イースターキャンプに参加していた若い野球選手たちを大いに喜ばせた。
(レーゲンスブルク公式ホームページ)


