【写真】浦和学院―鹿児島実 先発で力投する浦和学院の佐藤(朝日新聞埼玉版)
(27日、鹿児島実5-3浦和学院)
浦和学院は相手主戦の立ち上がりを攻めた。1回、左前安打で出塁した先頭の日高を犠打で送り、小林が中前適時打でかえして先制。1-2で迎えた3回は沼田の適時二塁打で同点。4回は遠藤の適時打で逆転した。
2点を追いかける8回、無死一、三塁の好機をつくったが、中盤以降、尻上がりに調子を上げた左腕の前にあと一本が出なかった。
主戦佐藤は5つの変化球を駆使し、切れのある球を投げ込んだが、本来の制球力を欠いたのが悔やまれる。
◇勢いつかなかった 小林賢剛主将
守備ではピンチを何度もしのいだが、肝心なところで隙をつかれた。それを攻撃でも引きずってしまいチームに勢いがつかなかった。隙のないチームをつくって必ず夏に帰ってくる。
◇「精神的に強くなる」 佐藤拓也投手
2年生右腕の佐藤拓也が、甲子園のマウンドで苦しんだ。緩急と制球力で打ち取るタイプ。だが、「投球を組み立てる土台」という内角への直球が決まらない。「ずっと心がフワフワしていた」。浮足立ち、変化球も高めに入った。
1点リードの5回裏、先頭打者に四球を与え、次打者には左前に運ばれた。続く4番浜田の送りバントは処理をミスして、ピンチを自ら広げた。5番揚村に2点適時打を放たれたのは、高めに浮いたカーブだ。
大会直前に投球フォームを崩していた。左肩から体が前に突っ込むのだ。森士(おさむ)監督はその原因を「エースの責任感と強い球を投げたいという野心。重圧はある」。このところ、練習では付きっきりで声を掛けていた。「力むな。7、8割の力でいい」と。
だが、2年生が迎えた甲子園の初戦。3年の捕手、森光司が何度もマウンドに駆け寄ったが、平常心はゲームセットまで取り戻せなかった。「すべては自分の精神的な弱さ。精神的に強くなって、また甲子園に」と話した。
夏への収穫もあった。4回裏、自己最速を更新する137キロの速球で決めた2者連続三振。2、3回には、冬の間に身につけた新たな決め球、縦に落ちるスライダーで三振を奪った。
出身地の茨城県鹿嶋市は、東日本大震災の被災地だ。「全力プレーを見せて勇気づけられれば」。そんな思いもこの夏に託す。
(朝日新聞埼玉版)
~その時~
鹿児島実ナインへの大声援が、甲子園に響き渡っていた。五回、無死満塁から2点適時打で逆転され、犠打でなお一死二、三塁。マウンドの佐藤拓也は、今までに経験したことのない焦りを感じていた。
試合前の状態は万全だった。しかし、甲子園のマウンドは「ふわふわして落ち着かなかった」。球が高めに浮き、制球が定まらない。主将の小林賢剛は、遊撃の守備位置から佐藤の目を見て「動揺」を感じ取った。「打って取り返す。思い切って投げろ」と声をかけた。
森士監督は、伝令の今栄尚人に「切り替えろ」と伝え送り出した。今栄は自分の考えで、マウンドに集まった内野陣にも呼びかけた。「まだ4回ある。守備で流れを変えよう」。佐藤は気を取り直した。「ここを抑えれば、打線が逆転してくれる。思い切り腕を振ろう」
プレー再開後、佐藤の投球フォームに本来の躍動感が戻った。鹿児島実の7番黒木兼太朗から外角へのスライダーで三振を奪い、続く丸山哲弘のピッチャー返しを体で止めてアウトにした。その目には気迫がみなぎっていた。
「失敗を引きずるな」。ナインは森監督が言い続けてきた言葉を大舞台で実践できなかった。だが、苦しい展開の中で、自分たちを取り戻した瞬間もあった。佐藤は試合後、「この試合を決して忘れず、精神的な弱さを克服する」と言い、涙を流した。夏に向けて自分たちに何が足りないのかを、甲子園が教えてくれた。
~快音~
制球が定まらない主戦佐藤拓也に何度も駆け寄り、「絶対に受け止めるから、思い切り投げてこい」と声を掛けた。試合後、「佐藤を乗せてあげられなかった」と唇をかんだ。
森士監督は父で、3歳上の兄、大(だい)さん(20)の影響で野球を始めたのは小学1年の頃。中学3年時には、甲子園のスタンドから、浦和学院の監督、選手としてグラウンドに立つ父と兄に声援を送った。「僕も同じ舞台に立ちたい」。兄と入れ替わるように進学した。
「お前と同じ実力の選手がいれば、俺はお前を使わない」。グラウンドの父は厳しい。最初は投手で、打力を生かすため、昨春に捕手に転向した。配球やキャッチングに悩んだが、家でも父がスコアブックを片手に、夜遅くまでアドバイスをしてくれた。
兄のチームも甲子園では勝てなかった。「また絶対に戻ってきて、監督に勝利をプレゼントする」。心はもう、夏に向かっている。
(読売新聞埼玉版)