2回戦4試合が行われ、浦和学院(南埼玉)が夏は6年ぶりの勝利を挙げた。プロ注目の渡辺勇太朗投手(3年)が先発し、6回無失点7奪三振の好投で貢献。5年前に同じ舞台で激闘を繰り広げた仙台育英に9-0で快勝し、借りを返した。
190センチの長身を誇る渡辺が、大器の片りんを見せつけた。初回に2死球を与え、1死一、二塁のピンチ。しかし、ここから踏ん張った。「球の走りがよかった」と仙台育英の4番・小濃から4者連続奪三振。8番・我妻は自己最速タイの149キロで仕留めた。
エンゼルス・大谷に憧れ、スムーズな体重移動ができるよう投球フォームを参考にしている。そんな右腕の快投にネット裏のスカウト陣も色めき立った。西武・渡辺SDは「投げ方は抜群。バランスもいい」と評価。出場全56校が出そろう大トリの試合で、大型右腕が大観衆を魅了した。
燃える思いを秘めながら、背番号11は冷静に腕を振った。13年の1回戦で死闘の末に敗れた相手。その試合をテレビで観戦し、雪辱を当然意識していた中で、試合前に森士(おさむ)監督(54)から「5年前の負けはお前らには関係ない」と鼓舞された。自分たちの力を出し切るだけ-。気持ちが楽になった。
3月上旬に右肘を痛め、ブルペン復帰は5月上旬。春季埼玉大会には間に合わず、ベンチ外だった。スタンドで試合を見ながら芽生えた思いは「みんなを勝たせられるようなピッチングがしたい」。初の聖地でまず1勝。故障から復活した右腕が、チームに恩返しを続ける。
(デイリースポーツ)
190センチ右腕・渡邉「借りを返せてうれしいです」
浦和学院(南埼玉)は、今秋ドラフト候補の190センチ右腕・渡辺勇太朗(3年)が6回を3安打7奪三振で無失点と好投しベスト16に進出した。
初回から闘争心をむき出しにした。2点の援護をもらった直後の初回2死一、三塁。浦和学院・渡辺は、仙台育英の5番・小関遥翔へ投じた2球目に自己最速に並ぶ149キロをたたき出した。最後は130キロのスライダーで空を切らせ、ピンチをしのいだ。「立ち上がりが課題でしたが、後ろの投手を信頼して投げることができました」。6回を投げ、4者連続を含む7奪三振。3安打無失点に抑え、6年ぶり白星をもたらした。
憧れの投手をまねて進化した。身長190センチで、しなやかな投球フォームはエンゼルス・大谷にそっくり。昨秋、「ゆったりとしたフォームから安定した投球ができる」とまねしたところ、球速が昨夏から5キロアップ。ボールの伸びや球威も上がった。日本ハムの大渕スカウト部長も「スケールが大きくて夢のある選手。体を柔らかく使って投げられているし、大谷に似ているね」とうなずいた。
因縁の対戦だった。春夏連覇を狙った13年に、初戦で仙台育英に10―11でサヨナラ負け。この日、球場入りするバスの中で森士監督(54)は「5年前の負けはお前たちの負けじゃない。お前たちが歴史を作れ」と呼びかけた。呪縛から解放されたナインは、伸び伸びプレーで12安打9点を奪い、完封リレーで快勝して見せた。
「借りを返せてうれしいです」と渡辺。3回戦は二松学舎大付との関東勢対決だ。150キロの大台超えの期待もかかるが「力んでしまうので、試合では狙う気はありません」。チームの勝利だけが今の目標だ。
渡邉勇太朗(わたなべ・ゆうたろう)
2000年9月21日、埼玉・羽生市生まれ。17歳。190センチ、90キロ。右投右打。小1から軟式の「手子林ブラックス」で野球を始め、小5から投手。羽生東中では軟式野球部に所属。2年時にエースとして全国大会に出場。高校では1年秋からベンチ入り。
持ち球は直球、緩いスライダー、高速スライダー、カーブ、スプリット、ツーシーム。好きなアーティストはE-girls。憧れの選手はエンゼルスの大谷翔平。好きな食べ物は焼き肉。家族は両親と兄2人。
(スポーツ報知)
渡邉の父「甲子園で周りに恩返しをして」
2回戦が行われ、浦和学院(南埼玉)は、仙台育英(宮城)を9-0で圧倒し、5年前のリベンジを果たした。先発右腕・渡辺勇太朗投手(3年)が6回3安打無失点と好投した
渡辺の父・信次さん(50)=自営業=はスタンドで応援。渡辺は1年の冬、不振から思い悩み、寮を出たことがある。1カ月間家業の手伝いをして過ごし、野球から離れていた。その後、蛭間主将や森監督から励まされて部活動に復帰した。信次さんは「周りの助けがあって今がある。甲子園で恩返しをしてほしい」と愛息の活躍を願った。
蛭間主将、躍動!豪快弾&美技
浦和学院主将の3番・蛭間は八回に左中間越えにソロを放つ=など、2安打1打点の活躍。中堅守備では六回に鋭い打球をスライディングキャッチし、攻守ともに存在感を発揮した。快勝での3回戦進出にも「甲子園は逆転が多いので、最後の最後まで怖さがある。何点とっても集中してやるだけ」と気を引き締めた。
(サンスポ)
浦和学院、仙台育英に雪辱 教訓生かし4投手完封リレー
リベンジへの執念が立ち直らせた。浦和学院(南埼玉)のエース渡辺は初回、先頭を含めて2死球を与えた。1死一、三塁のピンチを招いたが、4番・小濃を空振り三振。続く5番・小関には自己最速タイの149キロ直球を投じ、最後はスライダーで空振り三振に仕留めた。
「連続三振で切り抜けられてからリズムをつくっていけた」。6回を投げ、わずか3安打で7三振を奪った。
前回出場した13年。春夏連覇が懸かったが、初戦で仙台育英に10-11でサヨナラ負けを喫した。5年ぶりの再戦が決まると、森士監督は当時の試合のビデオを取り寄せ、練習移動中に選手に何度も試合を見せた。渡辺も「借りを返してやる」と気持ちを高めた。指揮官からの「5年前のことはおまえたちには関係ない。自分たちの野球をしてくれ」という言葉もあり「気負うことなく楽な気持ちで投げられた」と振り返る。
仲間への恩返しもあった。1年の冬。厳しい練習や環境の変化、投球も振るわず「何で野球やってるのかな」。寮生活だったが実家に帰り、野球から離れた。現主将の蛭間らからは「ゆっくりでもいいから戻ってこいよ」。自分の帰りを待つ声に励まされ、1カ月後には復帰した。1メートル90のプロ注目の大型右腕で、大谷(エンゼルス)を「足の上げ方や体重移動は参考にしている」と言う。昨夏まで144キロだった最速は、1年で5キロアップした。
森監督は渡辺を6回90球で交代させ、4投手で完封リレー。5年前はエース小島(現早大)が9回途中に足がつり、降板後に敗れた。その教訓を生かした指揮官は「OB含めてこの一戦に懸ける思いが(この結果に)つながってくれたのかなと思う」と涙を流した。
(スポニチ)
好投・渡邉、ドラ1候補に浮上
100回目の夏、出場56校が出そろった大トリに、大谷級を期待させる怪腕が登場した。5年ぶり出場の浦和学院(南埼玉)で先発した渡辺勇太朗投手(3年)が、6イニングを無失点、7奪三振の好投。春先の肘の不安から復調途上ながら、自己最速タイの149キロもマーク。スカウト陣は素材の高さをあらためて評価し、ドラフト1位候補に浮上した。試合も9-0で仙台育英(宮城)に完勝。5年前の初戦敗退の雪辱を果たした。
100回記念大会の出場56校の大トリを飾るのにふさわしい投球だった。埼玉の怪腕が、今秋ドラフト戦線の1位候補に浮上した。浦和学院の190センチ右腕・渡辺が自己最速タイの149キロを甲子園のスコアボードにたたき出し、6イニングを3安打無失点、7三振を奪った。「きょうはすごく球が走っていたし、緊張もなく、自分の投球ができました。甲子園で勝った喜びがあります」と声を弾ませた。
先発を告げられたのは前日。「自分かな、と予想していたし、いつでもいけるよう準備していた」。1回、2死球で1死一、三塁となるとエンジン全開。4、5番を、140キロ台後半の直球連発で追い込み、スライダーで連続三振。4万1000人をどよめかせた。各球団のスカウトもうならせ、中日の中田宗男アマスカウトディレクターは「スケールの大きさは大会ナンバーワン。大谷(エンゼルス)のような球を投げる可能性がある」と将来性を高く評価した。
スムーズな体重移動やリリースまでのゆったりとした動きなど、大谷のフォームを研究して取り入れている。昨秋にキャッチボールでまねをしてみると、投げやすく感じたのがきっかけ。コーチにも体の軸の使い方が大谷と同じタイプであることを指摘され、「こういう投手にならないと」と言い聞かされてきた。昨秋からつけている背番号11は、日本ハム時代の大谷と同じで「選べるわけじゃなくて偶然ですけど、気に入っています」と話した。
春夏連覇がかかった5年前の夏は仙台育英に初戦敗退した。その雪辱をしたかった。1年冬に厳しい練習がつらくなり、寮を離れて約1カ月、実家から通学していた時期もあったが、温かく見守ってくれたチームメートやスタッフのおかげで戻れた。今春は肘の不安もあって出遅れたが、南埼玉大会で復活。県勢初の夏優勝は昨年の花咲徳栄に先を越されたが、目標はチーム初の夏の頂点。「そのためなら自分は完投しなくてもいい。これからも1球目から全力で飛ばしていきたい」。力強くチームを引っ張る覚悟を込めた。
メジャースカウトも絶賛「数少ないメジャー候補」
浦和学院の渡辺の評価は上昇。広島の苑田スカウト統括部長は「ものが違う。この大会のナンバーワン投手。投げ方に無理がない」と絶賛。ヤクルトの橿渕スカウトグループデスクは「強いストレートを投げる。カウント、打者を見ながら投げている。ドラフト上位もあるでしょう」と評価した。メジャーのスカウトも注目。アストロズの大慈弥環太平洋担当部長は「ボールを動かせるのはメジャー向き。毎年3、4人しかいない数少ないメジャー候補」とほれ直した。
森監督感涙「OB含めこの戦いにかける思いは強かった」
因縁の仙台育英に完勝した浦和学院の森士(おさむ)監督(54)は「選手が頑張ってくれた。OBを含め、この戦いにかける思いは強かった」と感涙にむせんだ。左腕エース小島(現早大)を擁して春夏連覇を狙った5年前の夏、1回戦で10-11でサヨナラ負けした。あれ以来の夏に、同じ初戦で雪辱できた。
大阪入りしてから練習場に向かうバスの中で“あの試合”の映像を選手に見せた。「組み合わせが決まって、あの代から信じてますというLINEがあった」と森監督。先輩たちの思いを伝えたかった。8回にソロ本塁打の蛭間主将は「森先生は5年前の戦いは関係ないと言っていた。リベンジの気持ちはありましたが、意識しつつも目の前の試合に集中しました」と胸を張った。
5年前は、奮闘していた小島が9回に左足がつって限界に達し、降板となってチームも力尽きた。「ボクシングに例えると、タオルを投げたセコンド」と森監督。この夏は、エース渡辺を6回までで降板させて4投手で継投した。5年の間に変わったチームに手応えも感じたに違いない。
(中日スポーツ)
浦和学院・渡邉「打者に助けられた」 149キロ0封
浦和学院(南埼玉)が4投手の継投で仙台育英(宮城)を破り5年前の初戦でサヨナラ負けを喫した雪辱を果たした。先発渡辺は自己最速タイの149キロの直球とストライクからボールになるスライダーを駆使し6回3安打無失点。「県大会中は甲子園に行かなきゃという思いが強かったが吹っ切れて楽しんで投げようと。今日は打者に助けられた」と喜んだ。
背番号11の右腕は校歌を歌う前に主将の蛭間と目を合わせた。1年の冬、厳しい練習をやっても結果が出ず、野球をやめたいと思った。「寮を出て家に帰って、1カ月練習には出なかった」。そんな時、同期の仲間たちが家まで通い、励ましてくれた。「急がなくていい。戻ってくれば必ずよくなるから」という蛭間の言葉に勇気づけられ今がある。
大勝に森士(おさむ)監督(54)は「先制できたのが大きかった。ダメ押しになる5点目はチームが活気づいた。さすが、キャプテン」と初回の佐野の適時打と8回の蛭間の本塁打を称賛し「本当に選手が頑張ってくれました」と涙ぐんだ。投打のバランスの良さは伝統のチームカラー。強さを見せつけた浦和学院が、優勝候補に名乗りを上げた。
(日刊スポーツ)